生成AI時代の自己回顧

書きかけの日記が溜まっている件について、
今日は少し腰を据えて考えてみました。
駐米してから書きたいネタが更に増えたのに、
今後忙しくなるといよいよ書く時間が無い…
このままでは書き切れないまま寿命を迎えることになるのでは?
と、割と本気で危機感を覚えています。

仕事でAIエージェント導入の検討をしているのですが、
これ自分のブログにも応用できるのではと思いつきました。
Markdown形式でその時々の感情を書き留めておいて、
過去記事の文体を学習させたAIに文章を起こしてもらう、という寸法です。
我ながら悪くないアイデアだと思ったのですが、
早速色々な疑問が湧いてきてしまう。

そもそも旅先で一々メモする余裕があるのか…(無い)
音声入力という手もありますが、周りに人が居たら流石に恥ずかしい。
一人旅の時限定の裏技といったところでしょうか。

それに、今の日記のスタイルは写真1枚につき3〜7行程度の分量なので、
これ正直箇条書きでメモするのと労力は大して変わらないのでは、
という身も蓋もない疑念も浮かびました。
推敲の手間が減るのは確かでしょうが、
それが本当にボトルネックだったのかは自分でもよく分からない。
まあ、写真選びまでAIに任せられたら話は変わってくるかもしれませんが。

一番引っかかっているのは、実用性よりもむしろ不安の方です。
自分はAIに食わせる題材を駆けずり回って収集するだけの存在になるのだろうか…
そう考えるとちょっと寂しい。
今の文章力の大半は日記執筆で培われている気がするので、
これを手放したら自分の生の文章力が落ちてしまわないか。
とはいえ、AIに上手く出力させるためのプロンプト力やメモ力は
それはそれで別の筋力として鍛えられるのかもしれませんが。

逆にAIの出力する文章に合わせて自分の思考の方が変質していく可能性もある。
寧ろ常識人寄りになったりして(それはそれで良いのか?)。

書きかけの日記を後から書き上げる作業には、
旅行の追体験が出来るという副産物があります。
諸事情で当分旅行に行けなくなっても、
この追体験が精神安定剤として機能するという説を自分は持っているのですが、
これをAIに丸ごと処理させてしまうのは、
何だか勿体無い気もしています。
別に追体験が目的なら、書くところまでやらなくても
読み返すだけで十分なのかもしれませんが…
書く、という行為そのものに意味があった気もするんだよなぁ。

結局、道具として使うのか、思考の代行者として使うのか、
その線引きを自分の中で決めきれないまま今日も日が暮れていきました。

…如何だったでしょうか?
以上が自分で書いたメモを元に
Claudeに実際に出力してもらった文章です。
1,097文字の文章を出力させるのに
719文字のメモを使ったので、
やっぱり大して労力を削減出来ていない気もする。
そして、自分の文章を学習させてプロンプト用に特徴を出力させると、
自分の文体を明け透けに記述されて大分恥ずかしいですね…
– 「…」を多用し、文末に余韻・ためらいを残す
とか。

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