(無題)

今日は曾祖母の葬式でした。
学生服を着るの何ヶ月振りだろう…

葬式は臨済宗流で行われました。
…僕には違いが分かりませんが。
正座してお経を聞く、極めて一般的な葬式。
倫理で習ったお陰で般若心経だけは聞き取れました。
長年の疑問なんだけど、どうしてお経を読む時に、
お坊さんはあの独特な声を出すのだろう?
鼻腔、頭蓋骨から出ているようなあの声。
車掌さんが車内放送で出すあの声は
雑然とした車内で放送が聞き取れるようにする為、
みたいな事を聞いた事があるけど、
お経を読む時って普通は静まり返っているよな…
一種の音楽みたいなものなのかな?
鎮魂歌のような。
木魚も付いているし。
そう言えば、どんな文化であっても
大切な儀式の時には必ず音楽が付くな。
人間の本能なのだろうか?
Homo Opera(音楽人)…
そんな事を脚の痺れに堪えつつ考えていました。

曾祖母とはそこまで親しくしていた訳ではないので、
告別の時も特に泣いたりはせず、
恙無く荼毘所から家に戻って、
無事お骨が家に着いた旨を
確認するお経を読んで貰った時、
偶々祖父の隣に座ったのですが…
思えば曾祖母が祖父母宅に来てからのこの5年間、
本当に献身的に曾祖母の介護をしていて、
家を曾祖母に合わせて改築したり、
普段見る番組も介護関係のものばかりになったり、
それで家族に色々文句を言われながらも
(実際の所、かなり家族に迷惑を掛けてはいたが。)
最期まで施設にも入れず曾祖母を看取った祖父。
心無しか、一回り小さく痩けてしまったようにも見え、
曾祖母に対する思い入れは誰にも増して大きい筈なのに、
涙一つ零さず座っている姿を見て、
どういう訳だか涙が溢れてきてしまいました。
今祖父は一体何を思っているのだろうか。
そして、それを受け止める事が出来るというのは、
年を経て様々な経験を積んできたからなのだろうか。
自分は将来親が亡くなった時に
こうして受け止める事が出来るのだろうか。
考えさせられます。
形有るものいつかは崩れ、
命有るものいつかは死す。
今こうして生きている一時を当たり前と思わず、
命に感謝しながら生きていく事が大切ですね。
僕は納得の行く人生を送る事が出来るのだろうか…
……

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