(無題)

オリンピックからのレスリングの除外の撤回を求めて
アメリカ、ロシア、イランが協力…
世も末と言うか、何と言うか…
ロシアとイランが組むのはともかくとしても、
そこにアメリカが絡んでくるとは…
IOCも凄い相手に喧嘩を仕掛けたものですね。
三大超軍事大国じゃないですか。
末世なんだか、平和なんだか。

思うに、人間が他人と結束出来る時というのは
その相手と共通の敵を認識して敵を外部とし、
それに比較して自分と相手を共通の内部に置いた時、
その時に限られるのではないかと思います。
例えば、普通の学校生活に於いては、
クラスが団結するという事はまず無く、
大抵は幾つかのグループに分かれていますが、
HR対抗など他クラスという敵を認識した時は団結し、
県大会では他校を敵として学校が団結し、
全国大会では他県を敵として県が団結し、
世界大会では他国を敵として国が団結します。
史上最も多くの人が団結したのは、
50ヶ国とも言われる国々が連合国として団結した
あの第二次世界大戦の時でしょう。
正に、団結あるところに争いあり、です。
多分、世界が一つになるという理想が実現されるのは
宇宙人が攻めてきた時くらいでしょう。

だから、「平和な世界」とは
あらゆる国が団結している世界ではなく、
あらゆる国が団結していない世界、
誤謬を招かないように言い換えると、
「あらゆる国が互いに団結する必要の無い世界」
ではないでしょうか。
国内紛争の根絶も含めて言えば
「全ての人が互いに団結する必要の無い世界」
になりましょうか。
「敵が居なくたって人は団結出来る!
災害からの復興の時には皆が団結するじゃないか!」
という意見もあるかとは思いますが、
それもある意味「災害」を敵として
団結しているとも取れる訳です。
良く言いますよね、「地震に負けず頑張る」って。
明らかに災害を敵と見做している言葉です。
だから、敵が人類の手に負えないものであれば
取り敢えず、人類が団結する事は可能かも知れませんが、
果たしてそれが「平和な世界」と言えるかどうか…

それが余りに寂しいというなら、
不利益や後腐れを生まない程度の争いを
意図的に起こす事が考えられます。
殺し合いや財産の奪い合いではなく、
しかも、決着が付いた後に後腐れの無い争い。
スポーツの意義はここにこそあるのではないでしょうか。

お?
オリンピックから始まって
上手い事スポーツに戻って締められたかな?
少しは現代文も出来るようになった…だろうか。
いや、まだまだだな…

コメント

  1. sou16 より:

    (中南米だから)ま、多少はね?
    じゃあ、実のところ人類は平和なんか望んでないって事で良いんじゃないかな(適当)