7:16、起床。
時差ボケと極度の疲労がありながら
何故目覚ましの設定時刻の14分前に目が覚めるのか。
昨夜大変な思いをして辿り着いた宿からの眺め。
明るくなってから見ると余計に辺鄙な場所ですね。
予約サイトでの位置表示が詐欺過ぎる。
馬車が現役で走っているのだが…
配車アプリでタクシーを呼んで街中に向かいます。
運ちゃんから「何故こんな場所に?」みたいな反応をされましたが、
僕等も全く同意見です。
セネガルは人口の9割超がムスリムという国ですが、
フランス統治時代の教会などもあります。
このCathédrale Notre Dame des Victoires
(ノートルダム・デ・ヴィクトワーレ大聖堂)は
Dakarの観光スポットとしても有名です。
タクシーの運転手さんが(勝手に)寄ってくれました。
Presidency of Senegal(セネガル大統領官邸)。
ここも運転手さんが立ち寄って
「ここがセネガルの大統領官邸だぜ!」
と写真撮影を促すような素振りを見せてきたので撮ってみましたが、
自動小銃を抱えた警備員がそこら中に立っていておっかないです。
Port de Dakar(ダカール港)にやって来ました。
ツアーガイドをするという客引きを適当にあしらって
乗船券を買ってからターミナルの中へと進みます。
賑わう旅客ターミナル。
現地人っぽい人も居なくはないですが、多くが外国人観光客です。
しかし、港の様子はどう見ても貨物港で
観光客が大勢乗る旅客船が発着するようには見えません。
アフリカ大陸最西端に位置するCap Vert(ヴェルデ岬)は
Cape of Good Hope(喜望峰)ほどではないせよ、
やはり海運の要衝です。
10:00発のフェリーに乗船。
汎アフリカ色の国旗をはためかせて港湾を抜けます。
港の外にも碇泊中の貨物船が幾つもいます。
このような恵まれた立地を活かしてセネガルは発展
していても良さそうなものですが、
残念ながら西アフリカのご多分に漏れず
後発開発途上国の座に甘んじています。
そして、Dakarはその昔とあるものの海運拠点として
大いに栄えていた歴史があります。
それは繁栄の歴史というよりも、負の歴史と言うべきもので…
10:30、Île de Gorée(ゴレ島)に上陸。
大都会Dakarの沖合にありながら透き通る大西洋に浮かぶ小島、
それがÎle de Gorée。
これだけだとリゾートアイランドのようにも聞こえますが、
Île de Goréeは奴隷貿易の拠点として開発された島。
負の遺産として世界文化遺産に登録されています。
…という歴史を意識しているのかどうか怪しいハートのオブジェ。
どうなんでしょう、セネガル人的には寧ろ
ビーチリゾートとして扱って欲しいのでしょうか?
8,000CFAで案内するというガイドが沢山寄って来ますが、
一度断ると意外にも素直に引き下がります。
エチオピア人より聞き分けが良い。
島内を歩いてみます。
小さな島なので車は無く、細い路地が張り巡らされています。
家々がカラフルで凄くお洒落!
カリブ海のCaye Caulker(キーカーカー、2018/3/17-20)を思い出しました。
やっぱりリゾート地を目指してる?
キチンと奴隷貿易の歴史を伝える
Maison des Esclaves(奴隷の家)という博物館もあるのですが、
団体観光客が見学中だとかで入れなかったので
島の頂上でも目指して時間を潰します。
種々の作品が並べられたアートな一角。
自分で作った作品を並べている人も多いです。
Île de Goréeは芸術家の島でもあるのでしょうか?
頂上付近にはサンドアートのアーティストも。
この人は関東の大学に留学していた経験があるそうで、
日本語がとても流暢です。
日本人観光客ってそんなに来るんですかね…?
島の頂上らしき場所に到着。
ハニカム構造の謎オブジェが立っています。
何を表しているのだろう…
オブジェの傍では兄弟がサッカーに興じており、
STが日本代表として参加していました。
やっぱりサッカーが人気なんですね。
海を覗き込むと素潜り漁をしている人が居ました。
何が獲れるのかな?
第二次世界大戦で使われたという大砲。
映画「The Guns of Navarone(ナバロンの要塞)」に準えて
Canon de Navaronnes(ナバロンの大砲)とも呼ばれているようです
(Googleマップ情報)。
映画のナバロン島はギリシャ領という設定だそうですが。
砲台付近から見下ろしたÎle de Gorée。
砂っぽい気候の所為で辺り一面セピア調になっており、
今この場で撮影しているのに
昭和の時代の写真に見えてきます。
ギャラリーなどを覗きつつ下ります。
子供達の元気な声が響くEcole Maternelle Mame Coumba Castel
(マメ・クンバ・カステル幼稚園)。
セネガル国旗を掲げる男の子の隣に書かれているのは
皆さんお馴染みの特殊相対性理論の公式E=mc2です。
幼稚園から質量とエネルギーの等価性をやるのか…
小学校で一般相対性理論を学びそうな勢いですね。
改めてMaison des Esclavesにやって来ました。
その響きから灰褐色の建物を想像していましたが、
やけに明るいラトソルの色で塗られています。
後から塗り直したのかな?
こちらが当時を伝える絵。
1階が奴隷を保管しておく為の場所で、
2階はフランス軍人が使うスペースだったそうです。
Île de Goréeには津泊としての役割があり、
各地から集められた奴隷はこのような狭く薄暗い部屋に
ぎゅうぎゅうに押し込められて出荷の時を待ちました。
そして、海況が整ったところで、
このPorte du Voyage sans Retour(帰らざる旅の扉)から
アメリカ大陸へと積み出されたのです。
…というような説明がされていましたが、
扉の外に船着場らしきものが見えないので
本当にここから出たのかは少し疑問があります。
一直線に大西洋が目に飛び込んでくるという印象的な眺めから
象徴としてその名を与えられたのかも知れませんが。
2階は鮮やかな塗装が施され、
資料館になっていました。
宗主国の人間は1階でもがく奴隷を他所にここで寛いでいたのでしょうか。
思ったより小さい施設で、
あっと言う間に見終わってしまいました。
船の時刻も迫っているので港に戻ります。
STは最後に露天でマラカスのような西アフリカの民族楽器、
Asalato(アサラト)を購入していました。
これ、船でも鳴らしている人が居たんだよな…
12:00発のフェリーに乗船。
もうちょっと島で潮風を感じながらのんびりしたいところでしたが、
本土も本土で回ってみたいので帰ります。
帰路の途中で擦れ違った、
何とも心許無い船で大西洋に漕ぎ出す工事作業員達。
一瞬海賊かと思った。
騒がしい本土に戻って来ました。
まずは、港から徒歩で僕がどうしても見ておきたいあれに行きます。
Gare de Dakar、即ちDakar駅(ダカール駅)です。
隣国マリのKoulikoro(クリコロ)までの1,287kmを結ぶ
Chemin de fer Dakar-Niger(ダカール・ニジェール鉄道)の
起点として開かれた駅ですが、
現在は末端の僅か36kmの区間のみが残っているに過ぎません。
それでも、西アフリカでは貴重な旅客鉄道ですが。
動いていたとて、鉄道駅は特に治安が悪くなりがちだしな…
…ここは大丈夫だよね?
「やあ!日本から観光に来たのかい?」
自分は教師で教え子に日本人の子供が1人居る、
時間があるから市場を案内してあげる、という
怪しさしかないおじさんが声を掛けてきました。
どう考えてもガイド料とか言ってお金をせびってくるか、
ぼったくりのお店に連れて行かれるやつですが、
こういう人にカモとして連れられている間は
強盗とかには寧ろ遭い難いのでは?という考えで
敢えてついていってみることにします。
途中、カシューナッツの屋台でナッツを奢ってくれました。
セネガルは落花生一辺倒のモノカルチャー経済の典型例として
地理の教科書に掲載されていた国(今の教科書ではどうか知りませんが)。
カシューナッツもまた西アフリカの典型的な換金作物です。
活気に溢れるMarché Sandaga(サンダガ市場)。
どういう訳か服飾のお店が異常に多いです。
通りには綿毛が舞っています。
綿花も落花生に並ぶ重要な農作物ではあるらしいけど…
そして連れ込まれた怪しい洋服のお店(工場?)。
洋服が堆く積み上げられ、そこら中からミシンの音が響いています。
ここで押し売りタイムです。
絶対に来ると思っていたぜ!
しかしまあ、お土産が欲しいのはその通りなので
久し振りのアフリカン値段交渉を楽しみます。
最初の提示金額がヤバ過ぎたのもありますが、
約4分の1まで価格を下げることに成功しました。
後に答え合わせしたところ、
空港売店での販売価格と同程度にまでは落とせたようです。
STは巨大ジャンベを購入していました。
疲れたのでDakar駅の食堂で昼食。
セネガル料理を食べたかったのですが、残念ながらそれは無く…
フライドチキンになりました。
ジュースはBissap(ビサップ)というハイビスカスの一種で、
西アフリカでは定番のジュースだそうです。
Aloko(アロコ)という謎の付け合わせも頼んでみたら、
フライドポテトならぬフライドバナナでした。
芋みたいな主食用バナナかと思いきや、
割と普通に甘味や酸味のあるバナナで美味しい。
昼食を終えたら駅の裏手にある
Musée des Civilisations Noires(黒人文明博物館)へ。
観光スポットには乏しい西アフリカですが、
文化という意味では数多くの国と民族を擁する西アフリカは
アフリカ文化の真髄を感じられる場所です。
時間の制約上少数民族の集落を訪問するとかは出来ませんが、
博物館で少しでも西アフリカ文化を感じます。
…古代から始まっている所為でエジプトの比重が大きい。
エジプト文明って黒人文明の括りに入れちゃっても良いんだっけ?
勿論、ちゃんと西アフリカの展示もあります。
セネガルではなくナイジェリアのものが多いですが。
あと、エジプトの展示に比べて解説が非常に少ない…
こちらは現代芸術のコーナー。
Dakarの芸術祭Grand Prix Dak’Art(グランプリ・ダカート)の
受賞作品などか展示されています。
現代芸術…だよね?
制作時期不明とか書いてあるけど…
こちらも現代芸術のコーナー
に見せ掛けて、社会問題を扱うコーナーです。
現代のDakarの種々の社会問題が取り上げられています。
何か歩道橋らしきところに特攻しているタクシーの写真で草。
そもそもどういう状況に陥ると
歩道橋を走ろうという発想に至るんですかね?
ムスリムが最大多数の国らしく
イスラムについての展示もありました。
西アフリカではこのような木の板を使って
イスラムの教義を広めていったようです。
博物館全体の展示のジャンル的には
Ithra(イスラ、2023/8/17)との共通点も感じますが、
内容の充実度で言うと…うーん…
セネガルとサウジアラビアの国力の差が如実に現れていますね。
サウジと比べるのはそんじょそこらの先進国でも酷か。
でも、西アフリカの文化を見られて良かったです。
ミュージアムショップがあれば尚良かったけど。
博物館を見終えたら三度Dakar駅に戻って、
アフリカ最西端の鉄道に乗ります!
西アフリカの鉄道というと廃止されていないだけで万々歳、
運行していても数時間どころか数日レベルの遅延が当たり前で、
しかも車内も駅構内も治安は最悪、
みたいな偏見を持っていましたが、
Dakarの鉄道はTER、Train Express Régional(近郊急行鉄道)として
フランス資本で改良されて2021年末に運行を再開したばかり。
10分に1本程の高頻度運行と
QRコード式の切符による自動改札というハイテクっ振りです。
人流も整然としていて欧州顔負けです。
券売機は無く切符は窓口で買わないといけませんが。
15:45発Diamniadio(ジャムニャジョ)行きに乗車。
フランス製の真新しい車両です。
車内は満員。
しかし、乗客は皆静かで治安が悪そうな雰囲気もありません。
何なら欧州の鉄道より日本の鉄道の雰囲気に近いです。
バスより運賃が高めらしいので、
経済的に少し余裕のある人達が乗っているのでしょうか。
15:48、隣のColobane駅(コロバン駅)で下車。
終始スムーズな運行だった。
コンテナを改造したような見た目の橋上駅。
ちなみに、ここがアフリカ最西端の駅です。
勿論、それを示すようなものは何もありませんが。
Colobane(コロバン)にはバスターミナルがあり、
またDakarの中心地から少しずれているので、
ここで帰りのタクシーを拾えば渋滞を回避出来るのでは
という考えでやって来た訳ですが、
ハイウェイの向こう側にあるバスターミナルまで
歩道が繋がっていません。
駅前には全くタクシーが居ないし…
仕方無いので車道の端を歩いてバスターミナルに向かいます。
治安とは別の意味で怖い。
そして、バスターミナルに近付くと…
混沌、chaos、これぞアフリカ!
いや、文章にすると何か喜んでいるみたいですが、
内心穏やかではありません。
これだけ人が集まっていてアジア人も白人も皆無、
日本人の僕等はスイミーの如く目立ちます。
野次られてはいませんが、
もしここに窃盗団や強盗団が紛れ込んでいたとしたら…
Marché Sandagaより遥かにローカルな雰囲気の市場。
ここも洋服ばかり売っているな…
セネガルの人はお洒落に敏感なのでしょうか?
そして、この奥がバスターミナル。
これ立ち入って大丈夫なやつなのか…?
バスターミナルって鉄道駅以上に治安が悪い場所の代名詞だけど…
いっそ駅に戻って電車でDakar駅に戻るか…?
いや、しかしそれだと宿に戻る時間に間に合わない可能性が…
ええい儘よ!
意を決してバスターミナルに飛び込み、
どうにかタクシーを捕まえることが出来ました。
周りの人達が一緒になって目的地に向かうタクシーを探してくれたり、
皆さん凄く優しかったです。
勝手な偏見で怖がってごめんなさい。
…と安心したら次はやられるパターンかな。
無事到達したのはMonument de la Renaissance Africaine
(アフリカ・ルネサンスの像)。
50mもの高さがあり、
New York(ニューヨーク)のStatue of Liberty(自由の女神像)や
Rio de Janeiro(リオデジャネイロ)のCristo Redentor
(コルコバードのキリスト像)よりも高く、
勿論アフリカで一番巨大な像です。
大統領の独断で国有地と引き換えに
北朝鮮の国営企業に建造させ、
男性の頭の部分に設けられた展望台への入場料の35%は
大統領の懐に入る契約になっていたという曰く付きの代物です。
展望台は閉じていたので台座から街を眺めてみます。
風が強過ぎてMarché Sandagaの死闘で手に入れた帽子を
危うく飛ばされそうになった。
さて、今回の旅行のコンセプトは
未知なる西アフリカを開拓するというだけではなく、
とにかく西の果てを目指すというものもあります。
アジア最西端のİstanbul(イスタンブール)を経由したのも
その一環だったりする訳ですが、
ここDakarはアフリカ大陸最西端の都市。
となれば、アフリカ大陸最西端の岬を目指さない訳にはいきません。
タクシーでPointe des Almadies(ポワント・デ・アルマディーズ)へ。
巨大なアメリカ大使館の先にあるPointe des Almadies。
海沿いにレストランが立ち並ぶリゾート地的な場所です。
アフリカ大陸最西端の地はこのレストランの裏の海岸に出て
南へ行ったところにあるはず…
海岸に出ることには成功しましたが、
南への道は謎の建物により塞がれていました。
アフリカ大陸最西端の地は廃業したホテルの敷地内にあるようです。
まあ、アフリカ大陸の大きさを考えたら
ここも最西端みたいなものだから…
アフリカ大陸最西端のバーで夕陽を見ながら夕食を頂きます。
セネガル料理が食べたかったのですが、
立地的にアメリカ大使館の関係者が来る店なのか
アメリカンな料理かアジアンな料理しかありませんでした。
残念…
アフリカ大陸で一番遅い日没。
Le Sahara(サハラ砂漠)の砂埃の所為なのか、
お天道様は水平線より前に姿を消していました。
それでは、Dakarに別れを告げてタクシーに乗り込みます。
一切街灯の無い未舗装路をひた走ります。
…道は合ってるよね?
確認する術は無いけど…
合っていました。
Dakarから35km程の距離にある
Lac Rose(ラックローズ)に無事到着しました。
またしても真っ暗な未舗装路に面した宿です。
人が居ないということは悪人も居ないから治安が良い…のだろうか。
真っ暗でほぼ何も見えないので、
Lac Rose観光は明日にして今日のところは寝ます。
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