7:00、起床。
マーシャル諸島を離れます。
何となくそんな予感はしていましたが、
チェックアウトしようとしても宿の人が居ません。
まあ、鍵を置いて勝手に出れば良いか。
空港に向かうタクシーを捕まえないといけないのは
少しだけ面倒だけど。
と、スーツケースを引き摺って歩いていたら、
近くを通り掛かった人が車に乗せてくれました。
やはりマーシャル諸島の人は優しい。
Amata Kabua国際空港(アマタ・カブア国際空港)に到着。
着いた途端に風雨が強まってきたな…
車に乗せてもらえて良かった。
空港では搭乗券を貰う際に
出国税$25を現金で徴収されるので気を付けましょう。
僕は手持ちギリギリで出国出来ないところでした。
凄い暴風雨だな…
ちゃんと飛んでくれるよな…?
天候の影響で遅れましたが、11:35発UA132便に搭乗。
さらば、マーシャル諸島よ…!
この便は往路に使った便と違って
Kwajalein(クワジェリン)と
Kosrae(コスラエ)を経由しないので、
往路では3時間40分掛かっていたPohnpei(ポンペイ)まで
たった2時間15分で着きます。
Majuro(マジュロ)やKwajaleinと違い、
環礁ではなく堡礁になっているPohnpei(ポンペイ島)。
起伏のある地形の為に雨雲が発生しやすく、
島には鮮やかな熱帯雨林が広がっています。
「太平洋の花園」と呼ばれることもあるとか。
(以降、ポンペイ標準時UTC+11.0h)
13:30、Pohnpei国際空港(ポンペイ国際空港)に到着。
勿論、ミクロネシア連邦も観光します!
1984年まではPonape(ポナペ島)と呼ばれており、
年配の方だとそちらの名前の方が馴染みがあるでしょうか。
空港のターミナルでは寒いくらい空調が効いており、
日本のODAで造られたターンテーブルもあるなど
マーシャル諸島よりも一段階発展している印象を受けます。
迎えの車に乗り込んで街に向かいます。
日本に近付いたからなのか分かりませんが、
日本車率がグッと上がりました。
ただ、Majuroで多かったのはアメ車ではなく韓国車だったので
地理的な問題ではないのかも知れませんが。
まずはBank of Guam(グアム銀行)で米貨を入手します。
明日は祝日だそうで大行列です。
…到着が1日ズレていたら大惨事だったな。
Bank of Guamの隣のガソリンスタンドには
面白い看板が立っていました。
曰く、“NO SPITTING BETELNUT HERE”
(ここでビートルナッツを吐くべからず)。
ビートルナッツとはビンロウの実のことで、
これをガムのように噛む習慣があるのだとか。
噛みタバコ的なものだそうです。
台湾にもあるみたいですね。
米貨を無事手に入れたらスーパーマーケットへ。
品揃えはMajuroより若干良い…ような?
それよりも天井の高さが特徴的です。
Majuroでこの高さにしたら台風で吹き飛ばされそう。
そして、Pohnpeiでも売っている沢庵。
ミクロネシアでは沢庵は定番食材なのか…
そう言えば、Houston(ヒューストン)のポキ屋でも
沢庵が入っていたような。
保存の効く野菜として島国では重宝されるのでしょうか
(ポキはハワイ料理)。
物価は全体的にMajuroよりも安め
なのですが、カップヌードルだけ異常に高いです。
1個$21.99って何事?
桁を一つ間違えてない?
それとも、実は1ダースの値段とか?
一方、非常にお求めやすいのがサッポロ一番。
「ラーメンイチバン」として
(実はマーシャル諸島でも)親しまれているのだとか。
南米ではマルちゃんが庶民の味方だったし、
日清は海外だと高級料理扱いなのでしょうか?
買い出しを終えたら宿に向かいます。
実は宿はPohnpeiではなくSokehs(ソケース島)にあるので、
橋で海峡を渡ります。
川にしか見えませんがDaumwoakote Mangrove Channel
(ダウムワコテ・マングローブ海峡)という海峡です。
伊良部島と下地島(2022/3/20)みたいな関係でしょうか。
Pohnpeiの中心街であるKolonia(コロニア)は
あまり放し飼いの犬を見掛けなかったのですが、
Sokehsはヤバいです。
家1軒につき3匹くらいいます。
Majuroと比べると大人しいようにも見えますが…
そんなSokehsの奥の奥、
結構吃驚するような立地に宿がありました。
Majuroでもかなり外れの方に宿を取っていましたが、
どちらも僕が能動的に選んだというよりは
Airbnbで予約出来る宿がここしか無かったのです。
後で知りましたが、中心街のホテルは
基本的に直接のメールでしか予約出来ないみたいですね。
まあ、中心街だと割と喧騒があったりするので、
ミクロネシアまで来たからには完全に俗世を離れた
こういう所にこそ泊まるべきでしょう。
やっぱり余白が広いのがミクロネシア式なのでしょうか。
そして、今度の宿は何と雨戸がありません。
網戸しかないのです。
これはまた強烈な…
リゾート気分ではありますが。
無論、シャワー(半屋外)は冷水だけです。
ただ、宿の周囲は観光も何もあったものではないので、
荷物を置いたら女将さんにKoloniaまで戻してもらいました。
ちょっと散歩してみます。
日本人のお爺さんがオーナーを務めている
Sei Restaurant(セイ・レストラン)。
Pohnpei名物だという胡椒を購入しました。
オーナーは僕が日本人だと分かると
現地人の店員さんに日本語で説明するよう促していたけど、
日本語を教育するほど日本人は来るのでしょうか?
オーナーも僕に対して
「仕事で来たの?」
と言うくらいにはやはり観光客が少なさそうだし。
…いや、本当に仕事で来ているような風貌に見えるのかな?
僕が仕事で来ていると思われる最大の要因である
JICAのオフィスがありました。
エチオピアで聞いた話ですが、
JICAは結構治安に対して五月蝿いので、
JICAがガッツリ活動しているというのは
治安が保証されていることの証左だったりします。
もう一つ僕の仕事の候補に挙がっているかも知れない
Western and Central Pacific Fisheries Commission
(西・中央太平洋漁業評議会)の議場もありました。
…いや、流石に海の男には見えないか。
ミクロネシア連邦での太平洋戦争の激戦地というと
Truk(トラック諸島)ことChuuk(チューク州)が有名ですが、
ここPohnpeiにも旧日本軍の戦車が残されていたりします。
街中の駐車場に無造作に置いてあって
まるで放置車両みたいな扱いですが…
スペイン統治時代の遺構もあります。
Spanish Wall Park(スペイン壁公園)こと
Fort Alphonse(アルフォンス砦)の跡地です。
残されているのは城壁だけで、
かつその城壁もとあるものに再利用されています。
何に使われているか分かりますか?
正解は野球場のフェンスです。
何という大胆な転用
(Spanish Wall Parkの写真2枚は後日晴天時に撮り直したものです)。
もうちょっときちんと残っている物で言うと、
このCathedral of Ponape(ポナペ大聖堂)の鐘楼があります。
ドイツ統治時代の遺構という説もありますが。
飛行機が遅れた所為もあってもう夕方なので、
これまた日本人経営らしいホテルの食堂で夕食。
日本車率の件もそうですが、
PohnpeiはMajuroよりも日本との関わりが強いらしく
日本人経営のお店が沢山あります。
頂くのはマグロカツ定食。
ミクロネシアまで行って日本でもありそうなものを食べるな
というお叱りの声もありそうですが、
ミクロネシアでマグロを食べるというのは
大間に行ってマグロを食べるようなものだと思うんですよね。
何が言いたいかと言うと、美味しいからOKです。
そして、Majuroより割と安い
(Majuroのマグロステーキが$12.75、
このマグロカツ定食は$9.25)。
Pohnpeiは中々良いですね。
あの素晴らしき1次元乗合タクシー制度が無くて
タクシーを捕まえ難いのは玉に瑕ですが…
暗くなる前にシャワーやトイレを済ませて
暗くなったら部屋に籠りました。
夜のジャングルに踏み出すほどの勇気は僕にはありません…
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