見果てぬシーサイド

D論を書いていた頃は平日も休日も
のべつ幕無しに仕事をしていた時期もありましたが、
今のご時世、会社の仕事でそういうのは許されません。
休日は休むのも仕事の一つです。
という訳で、今日は先月(2023/2/19)に引き続いて
外房をドライブすることにしました。

外房は多摩から見ると都心を挟んで反対側なので、
どうしても都心を突っ切る必要が出てきます。
頑張って外環道や圏央道を走れば
迂回出来ないことも無いですが
大分所要時間が延びてしまうので、
初めてS2000で首都高を走ります。
急カーブとジャンクションをふんだんに織り交ぜ、
押し込まれスパゲッティのように絡まった道路、
渋滞していなければ走っていて楽しそうですね。
渋滞しているので楽しくありませんが。


延々2時間半も掛けて道の駅みのりの郷東金に到着。
既に疲れた…
首都高は渋滞する上に休憩施設が殆ど無いからな…


元・千葉県民としてノスタルジーを感じてしまったので
フルヤ乳業の牛乳と麦芽ゼリーと、
時期なので沢山入荷していた苺を買ってみました。
じっくり楽しむつもりが
疲れもあって一気に食べ切ってしまった…


流石にイチゴと麦芽ゼリーでは昼食には足りないので、
道の駅オライはすぬまへ梯子。


いわし丼を頂きました。
蒲焼きのタレで味付けしたイワシの天ぷらが最高です。
勿論、ついでになめろうも食べました。
酒の肴っぽい組み合わせですが、
ドライブなので当然お酒は飲みません。


昼食後九十九里浜にやって来ました。
初めてS2000を運転した時に行った
中田島砂丘(2021/3/29)を思い出すな…


いや、ブライアンビーチ(2021/11/13)かな?
何も無い平坦かつ一直線な砂浜はテキサス湾のそれを彷彿とさせます。
S2000で走ったりはしませんが。


人影の疎らな砂浜には美しい風紋が刻まれています。
この辺りの風の強さを物語っていますね。


また、極端に遠浅で尚且つ一直線な海岸線という地形から
波が見慣れない挙動をしていて、
物凄ーくゆっくりじわじわと打ち寄せてきます。
テレビで見た海嘯がこんな感じだったような。


暫くのんびりと海を眺めていましたが、
ここが主たる目的地ではないので次に向かいます。


と言った側から寄り道。
その道のオタクには有名な千葉県立旭農業高校です。
どういう点で有名なのか分かりますか?
アニメの舞台になったとかではありません。


正解は日本一短い住所です。
正式表記で「千葉県旭市ロ1番地」のたった9文字。
「ロ」は漢字の口(くち)ではなくカタカナのイロハのロです。
イロハは新田開拓などで新しく土地が生まれた際に
地名を一々考えるのが面倒で付けられることの多い字名で、
2015年2月まで日本最長の地名だった
愛知県海部郡飛島村大字飛島新田字竹之郷ヨタレ南ノ割
の「ヨタレ」もそういう由来でした。

が、ここの「ロ」は事情がちょっと違っていて、
明治22年に網戸村、成田村、十日市場村、太田村が合併して
旭町が新設される際、
普通は旭町網戸、旭町成田みたいに
旧村名は字名として残されるものなのですが、
何故かここは旧地名を完全に消し去って
網戸村→イ、成田村→ロ、十日市場村→ハ、太田村→ニ
と置き換えられたのだそうです。
業務効率化の為でしょうか。
ただ、イロハだけはシンプル過ぎて逆に使い辛いらしく、
住民の日常会話では134年前に消えたはずの旧村名が
未だに用いられているのだとか。


旭市イ5238番地にある道の駅季楽里あさひ。
朝から運転し通しで疲れたので仮眠を取ります。


仮眠を終えたらドライブ再開。
ここまで来たので銚子市にも寄っておきます。


屏風ヶ浦です。
以前(2019/5/12)もドライブで来ましたが、
この辺りは走っていて気持ちが良いです。


犬吠埼はスルーして茨城県に向かいます。
S2000では初めての茨城県です。


神栖市の海岸線を通る快走路、
波崎シーサイド道路にやって来ました。
信号が無く、交通量も少ないということで
嘗ては弾丸道路とも呼ばれていたとか。


しかし、今では弾丸道路の名はあまり聞かれなくなりました。
但し、それは茨城県民の運転マナーが改善したからではありません。
別の名前が有名になってしまったのです。
平成の関所という。


非武装中立地帯の波崎シーサイドパーク。
富津岬のショボい版みたいな錆び付いた展望台が哀愁を誘います。


この波崎シーサイドパークを訪れるのは、
鹿島灘の雄大な景色を眺めたい観光客というよりも
投げ釣りに勤しむ太公望達です。


そして、展望台から南東方向を見遣ると、
何やら道路上が物々しい雰囲気になっており、
回転する赤色灯まで見えます。
あれこそが平成の関所でしょう。
今はもう令和ですが。


S2000は安全地帯に停めておいて徒歩で近付いてみます。
普通の通行止めなら入口に一つ看板を立てておけば済むものを、
絶対に間違い通行が起きないようにしたい、
何なら通行どころか見せることさえ避けたいという
行政(神栖市)の強い意志が伺えます。
ただ、ここはまだ通行止め区間ではありません。
なので、非常に邪魔臭い配置にはなっていますが
スラローム走行すれば一応進んでいけるようになっています。


更に進んでいくと
「地権者より料金を要求されます」という文言が。
正に関所。


そして、遂に最終警告が現れました。
「この先の通行止め区間内においての
トラブルや係争について当市は一切関与しない」
まるでスパイ映画みたいな言い回しです。
そして、神栖市ではなく地権者が立てたと思しき看板には
罰金4万円という説明が。

そう、これこそここが平成の関所と呼ばれる所以。
昭和45年に旧・波崎町がここに市道を建設した際、
手続きのミスで90m程の区間が私有地を通ってしまい、
20年程経ってこの土地を購入した地権者が行政を相手に提訴。
高等裁判所で地権者の主張が認められ、
波崎町、そして後の神栖市は
この土地を買い取ろうと交渉をしたものの、
地権者は市から相場だとして提示された額の
実に30倍(3億円)もの額を要求。
当然交渉は決裂し、未だにこの区間は私有地のままとなっています。

平成18年頃から地権者は通行者から料金を徴収し始め、
最初は500円だったその料金もどんどんエスカレートして
今では4万円という法外な額に至っているのです。
しかも、虫一匹通すまいと
四六時中掘っ立て小屋で監視を続けて
接近者にスピーカーでがなり立てているのだとか。
というか、監視カメラか何かで監視しているようで
ここから見ているだけでもインターホンで怒鳴られました。

そして、一番ヤバいのがこの地権者の攻撃性。
この道絡みで報道されているだけでも3回逮捕されており、
丸腰の人間に水中銃で銛を撃った、
無抵抗の人間を軽トラで轢き倒したなど
常軌を逸した行動を繰り返しているのです。
私有地に道路を通されてしまったというだけなら
ただ可哀想な無辜の住民ですが、
さっきの怒鳴ってきた調子からしても、
寧ろ公道が私有地を通っていることに目を付けて
因縁を付ける為に土地を買ったのでは…?
とさえ思えてきてしまいます。
銚子市とか神栖市は色々黒い噂も多い土地柄なので…
まあ、部外者が憶測で物を言うべきではないか。
少なくとも、道路が建設された時点に於いては
地権者側に落ち度は無い訳ですしね。
神栖市側も負い目を感じているのか、
「特定道路対策室」という専門の部署まで設けています。


係争が起きない内にとっとと帰ります。
シーサイド道路の通行可能部分で北へ。
何と言うか、ガラの悪い道路だな…
行政の設置した(と思われる)標識で
「飛ばしすぎ危ねえよ」と書かれていたり、
弾丸道路や関所のエピソードと相俟って非常に印象が悪いです。
マル暴がヤクザっぽくなるのと同様に
行政も朱に染まってしまったのだろうか…


この後は茨城県名物のセイコーマートで北海道を感じてから、
首都高を突き抜けて多摩へと帰りました。

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