(無題)

南欧旅行第8日目。
掴み所の無い謎の国、マケドニア共和国を巡ります。

6:02、礼拝の時間を告げるアザーンで起床。
支度を済ませて出発します。


早朝のPrishtinë(プリシュティナ)。
昨夜の活気は嘘のように全く人通りがありません。
バルカンの朝は遅い。


Prishtinëの有名ガッカリ観光名所、
New Born Monument(ニュー・ボーン・モニュメント)。
この見た目だけでも十分ガッカリスポットですが…


落書きだらけで更にガッカリ。
落書きを上から塗り潰して消す為なのか、
屡々絵柄が変えられているようです。
まあ、シンガポールのマーライオンみたいに
到達証明として使うような感じでしょうか。
ちなみに、Tiranë(ティラナ)と
Prizren(プリズレン)を結ぶ幹線道路の
アルバニア領内にある山岳地帯のガソリンスタンドにも、
少し小型ながら同様のモニュメントが置かれています。


Prishtinë駅(プリシュティナ駅)に到着。
相変わらず小さな駅舎です。
少し温もりを感じてきました。


コソボ国鉄の時刻表。
この5往復がコソボを走る旅客列車の全てです。
しかも、この内2往復はPrishtinë駅まで乗り入れないので
コソボの中心駅たるPrishtinë駅からは
1日に3本しか旅客列車は出ない事になります。
旧・岩泉駅並みですね。


窓口で切符を購入。
終点Скопје(スコピエ)まで通しの切符は買えず、
ここでは国境駅までコソボ領内の切符を買って、
国境駅でマケドニア領内の切符を改めて買うそうです。
切符はペラペラのレシートなので
失くしてしまわないように注意。


始発だからもう入線しているかと思ったけど、
まだその気配は無いな…
そう思ってホームでぶらぶらしていたら
駅長さんが出て来て、
「今朝の列車は7:15に来て、7:40に出発する。
外は寒いから、良かったら中に入りなさい。」
と、駅長室に入れてくれました。


駅長室。
コソボ国鉄はPejë(ペヤ)方面からの通学輸送が主で
マケドニア行きの国際列車に乗る人は少ないとか、
中国人はセルビアに行ってしまってコソボには来ないとか、
駅長さんの名前は日本語でどう書くのかとか、
たわいもない話をして盛り上がったり、
一緒に記念撮影したり、
Raki(ラキ)という蒸留酒を頂いたりしました。
コソボの人達はとてもフレンドリーですね。


これはダイヤグラムじゃないか!
黒の実線は旅客列車なので、
青の実線は貨物列車を表しているのでしょうか。
貨物列車は結構頻繁に走っているんですね。
あと、駅に掲示されている時刻表には載っていない
Prishtinë – Fushë Kosovë(フシュエ・コソヴァ)間の
区間列車1往復(4401/4402列車)が
14時台と16時台に見受けられます。
もしかすると回送列車なのかも知れませんが。


少し闇を感じる一面もあります。
この禁煙のステッカーは
セルビア語表記だけ削り取られています。
セルビアに対する憎悪はまだまだ根深いんだな…


とは言え、そういう話題に触れさえしなければ
コソボはバルカンの中でも特に友好的な国です。
ロッカーや引き出しなど
至る所に描かれていた食べかけリンゴマーク。
駅長さんの茶目っ気でしょうか。


7:15になっても列車はやって来ず、7:25になって漸く
駅長さんがポイントを切り替えにいきました。
始発駅だし、折り返し列車でもないのに
一体何処に遅れる要素があるのだろうか。


おっ、来た!


7:10発IC891列車Скопје行きに乗車。
曲がりなりにも国際列車だというのに
まさかの気動車1両編成です。
そして、とってもファンキーな塗装。
初見でこれが国際列車と分かる人は居ないでしょう。
Pejë行きの国内列車の方が
機関車1両+客車4両の5両編成で
よっぽど国際列車感があります。


車内はこんな感じ。
ゴミ箱にゴミが溢れていてちょっと臭いです。


車内にはコソボ国鉄の路線図が掲示されていました。
現在この大半は旅客列車が走っていないけど、
これは将来計画という事なのかな?
本当にPrizrenや空港まで繋いでくれれば便利だけど。


Pejë行きの列車が入線するのを待ってから
30分遅れでIC891列車が発車。


雪原の中を走ります。
何か燃えているな…
こんな時期に野焼き?


操車場のような場所に来ました。
コソボ国鉄の車両基地のようです。


Fushë Kosovë駅(フシュエ・コソヴァ駅)。
四方からの路線が接続する
ジャンクション駅になっています。
Prishtinë駅より遥かに立派ですね。


かと思えば、バス停並の駅も多いです。
Elsam駅(エルサム駅)…
いや、Elsamは広告を出している会社の名前だろうか…


Kaçanik駅(カチャニク駅)を過ぎると
険しい山の中を走るようになります。
険しいと言っても磐越東線くらいですが。


9:10、Hani i Elezit駅
(ハニ・イ・エレズィット駅)に到着。
ここでコソボ国鉄の列車から
マケドニア国鉄の列車に乗り換えるようです。
軌間が違う訳でもないのに何故そんな面倒な事を…


マケドニア国鉄の車両もペインティングされています。
落書きなのか、国鉄自身がやっているのか。


今度は気動車1両編成ではなく
客車1両+ディーゼル機関車1両の2両編成で、
6人1組のコンパートメントになっています。
コソボ国鉄よりかは幾分立派。
しかし、動力が付いていないからなのか
全く暖房が効いておらず、非常に寒いです。
まるで冷蔵庫です。


コソボの出国審査も、マケドニアの入国審査も、
車内で座りながらにして終了し、
マケドニア国鉄分の切符を買いました。
なお、コソボの出国スタンプは捺されず、
マケドニアの入国スタンプは捺されました。
ちなみに、「マケドニア」という国名は
かのアレクサンドロス大王の
マケドニア王国から来ていますが、
現代で言うところのマケドニア人(スラブ系)よりも
ギリシャ人の方がマケドニア王国と関係が深い為、
ギリシャはマケドニアという国名に対して反発しており、
EUや日本では国連加盟時の暫定名称である
「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国(FYROM)」
の名前を公式には用いています。
何はともあれ、マケドニア共和国に入国です!

(以降、スコピエ時間UTC+1.0h)

この列車の車内でFerizaj駅(フェリツァイ駅)から
乗ってきたおじさんが話し掛けてきて、
そのままСкопјеまで話し込んでいました。
何でも、コソボ紛争の際にドイツに逃れ、
最近戻ってきたものの
コソボは汚職が酷いと嘆いていました。
娘と連絡を取って欲しいとか言っていたけど、
真意は何処にあったのだろう…
このおじさん、ドイツに住んでいただけあって
英語は拙いながらもドイツ語は堪能で、
第二外国語がドイツ語だった僕に
「これって英語で何て言うんだっけ?」
とドイツ語の英訳を求めてきました。
ドイツ語の授業がバルカン半島で役に立つとは…
卒業旅行らしさがありますね。


10:23、Скопје駅に到着。
Hani i Elezit駅からはノンストップでした。
寒い!
Prishtinëよりずっと寒いです。
コソボよりマケドニアの方が寒いのかな?


やけに閑散とした駅構内。
殆ど僕等くらいしか居ません。
駅自体は割と立派なんだけどな…


おお、懐かしのキリル文字だ!
マケドニア語はスラブ語族なのでキリル文字表記です。
単語もかなりロシア語と似ています。
ロシアを思い出しますね。


Скопје駅外観。
まさかの高架駅です。
高架自体バルカン半島では初めて見た気がする。


Hani i Elezit駅から一緒になった
おじさんに連れられて街に出ます。
何だか異常に霧が濃いな…
そして、これまでのどの首都よりも閑散としています。
霧で見えないだけ…?
ロード中なんだろうか。


おじさんの案内するままショッピングモールへ。
エスカレータが階段状ではなく
傾斜付き動く歩道になっています。
アキレス腱が伸びますね。


フードコートで昼食。
料金は従量制になっていて、
これで一皿大体180ден(約400円)くらいです。
流石にコソボと比べると物価が高いですね。
とは言え、日本よりはずっと安いですが。
FKがおじさんに昼食を奢っていました。
昼食後はおじさんと別れて宿へ。
荷物を置いて街の散策に出掛けます。


Собрание на Репблика Македонија
(マケドニア共和国議事堂)。
前に何やら立派な銅像が立てられていますね。
マケドニアの英雄なのかな?


って、何だこの大量の銅像は!
議事堂の前の公園にも驚くほど銅像があります。
日本の公園に遊具が置いてあるような感覚で
其処彼処に銅像が乱立しています。


凱旋門のような建造物もあります。
マケドニア門という名前だとか。
両脇には勿論銅像が建っています。


Скопјеの中心広場。
マケドニア王国の英雄、
アレクサンドロス大王の巨大な銅像が聳えています。


Вардар(ヴァルダール川)に架かる
Камен Мост(カメン・モスト)。
これまでの中で最も立派な石橋です。


これまた異様に立派な
Археолошки Музеј(考古学博物館)。
Скопјеの建物がこうも真新しく巨大なのには
ちゃんとした訳があります。
時は1963年、Скопјеは大地震で
街の建物の8割が崩れるという壊滅的な被害を蒙りました。
時は冷戦真っ只中。
ソ連は東側陣営の威信を懸けて
共産主義だったСкопјеの再建にあたり、
実情と乖離したこんな街並みになったのです。


そして、その前の橋には欄干に銅像が乱立。
Мост Око(モスト・オコ)、
文明化の橋という名前だそうです。
思想家の銅像が並んでいるのかな?
しかし、校長室にある歴代校長の写真みたいな勢いで
Скопјеでは銅像を建てまくるんだな…


海賊船までありました。
ホテルと書かれているけど、泊まれるんだろうか…


街並みを見ているだけでも中々楽しいですが、
基本的にはСкопјеは見所が少ないので
宿の貼り紙で紹介されていた渓谷に行ってみます。
Скопје駅に隣接するバスターミナルから
13:05に出る60番バスに乗れば良いとの事だったけど…

おかしい、発車時刻を過ぎてもバスの来る気配が無い。
何か変だと思い、窓口のおばちゃんに尋ねるも
驚くほど英語が通じない。
どれくらいかと言うと、”sixty”が通じないレベル。
ならばとロシア語で”шестьдесят”と言ってみるも、
似ているとは言えやはり別言語だからか通じない。
(マケドニア語では”шеесет”らしい。)
キリル文字を使う国では
どうしてこうも英語が通じないのか。
何とか英語の話せるお姉さんを見付けて通訳を頼み、
60番バスについての情報を得られました。
それによると、バスの発車時刻は13:05ではなく13:50との事。
宿に掲示されていた60番バスの
時刻表が間違っていたのか…
にしても、0と5を逆にするってどういうミスなんだ。


13:50発60番バスに乗車。
街の人通りは少ないし、
このバスもきっとガラガラだろうと思ったら、
案外バス停毎に人が乗ってきて
席が全て埋まる程度の乗車率にはなりました。


なお、Скопјеの市バスに乗る為には
交通系ICカードを購入する必要があります。
車内で運転手から買うと1枚150денで、
予めどれだけチャージされているのか分かりませんが
少なくとも60番バスなら1往復分は
追加チャージ無しで乗る事が出来ます。


14:42、終点のМаткаバス停(マトカバス停)に到着。
Скопје近郊の定番お出掛けスポット、
Кањон Матка(マトカ渓谷)です。


バス停から歩きます。
深い峡谷の底にはもう日の光は届いておらず、
Скопје市街と比べてもかなり寒いです。
その割には結構多くの人が散策していますが。


大きなダムが現れました。
Скопјеの水瓶でしょうか。


ダム湖の畔の岩を刳り抜いた道を歩きます。
黒部峡谷の道みたいですね。
行った事ありませんが。


歩いた先にはレストランやホテルがあり、
ここで宿泊する事も出来るそうです。
夏は避暑地として大変賑わうとか。


観光地に良くある世界各都市までの距離を示す看板。
月と火星も入っているのがマケドニアの茶目っ気でしょうか。


散策路は更に10km以上延びていますが、
冬なので道が悪く、
普段履きのスニーカーでは辛いので引き返します。


代わりに、船に乗って
船でしか行けない洞窟を目指してみます。


屋根付きの小型ボートで水面を走ります。
そこそこスピードが速いので寒いです。
水面からは霧が発生しています。


洞窟に続く船着場に到着しました。
船のエンジンが止まると辺りは静寂に包まれます。


洞窟内を照らす照明の発電機を動かしてもらい、
洞窟の中に入ります。


意外にも洞窟の中はかなり蒸しっとしています。
この洞窟の名はПештера Врело(ペシュテラ・フレロ)、
ずばり「熱い洞窟」です。
奥で温泉が湧いているようです。


何かの繭か蛹のような形の鍾乳石。
綺麗と言うよりは気持ち悪ささえ覚える形状だな…


歩道の先端まで辿り着きました。
そんなに長くはないですね。
ちなみに、この温泉が湧いている地底湖は
潜水調査によって外の渓谷に繋がっている事が確認されています。
こういう地底湖に潜るって
考えただけで気が狂いそうだけど、
調査の為とは言え良くやるな…


Пештера Врелоを見終えたら、
もう少し先まで行ってみます。


Пештера Врело内で湧いている温泉が
外に漏れ出しているという場所。
水が湧き上がっています。
Кањон Маткаに立ち込める霧は
これが原因なのかな?


それでは、そろそろ戻ります。
宿に貼ってあった復路の時刻表が正しければ、
結構急がないとバスを逃してしまいそうだな…
滑り易い道に気を付けながら急ぎます。


ボートの練習場?
こんな寒い場所でやるんだろうか…


60番バスに乗車。
結局、バスは30分も遅れて来たので余裕でした。


バスターミナルに到着する少し手前で下車。
もう少しСкопјеも観光します。


やって来たのはオールドバザール。
嘗てはオスマン帝国に支配されていた時期もあるので
トルコっぽい雰囲気を感じさせます。


マケドニア土産を探していたら、
何故かアルバニア国旗の入った土産が沢山ありました。
アルバニアやコソボと隣接するマケドニアにも
人口の2~3割のアルバニア人が暮らしており、
一部のアルバニア人が掲げる大アルバニア主義は
マケドニアもアルバニアの一部となるべきと主張しています。
また、ブルガリアも密かにマケドニア⊂ブルガリアの意識を持っており、
旧ユーゴスラヴィアから唯一平和的に独立した国マケドニアは
未だに国家の存在を脅かされ続けています。
まあ、単に土産物という観点で見ると
アルバニア国旗の方がマケドニア国旗より格好良いというのも
一つにはあるのかも知れませんが。


うぉっ!十字架が宙に浮いている!?
…あ、山が霧で良く見えていなかっただけか。


昼より更に豪華絢爛になっている
Собрание на Репблика Македонија。
しかし、相変わらず人通りは少ないな…


工科大学(?)の壁に描いてあった落書き。
やけに絵が上手い。
でも、この式って何を表しているんだろう…
Dkの分子はπが入っているから弧度法っぽいのに
分母が180で度数法っぽいのが非常にむずむずする。


宿から3kmほど歩いてやってきた
Скопје一のレストランで夕食。
マケドニアも料理が美味しいですね。
やはりバルカンは良い。
この後は更に人通りが少なくなった街を抜けて宿に帰りました。

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