話は昨夜から始まります。
夜23時半、東京駅八重洲口。
華の金曜日の飲み会を終えた会社員でごった返す八重洲。
帰路を急ぐ人々を横目に
俄かにごった返すものがもう一つ。
殆ど全滅に近い状態となった夜行列車に代わり、
ある者は終電を逃して致し方無く、
またある者は時間とお金を節約する為に。
敷かれた鉄路を走る夜行列車と違い
繋がりは細く見え難くなった分、
毛細血管の如く全国津々浦々へと延びたのは…
23:55発東北急行バス スイート号仙台行きに乗車。
5:21、仙台駅に到着。
春休みの最後に勢いに任せて近畿を一周しましたが、
あそこで使った青春18きっぷは3回分。
まだ2回分残っています。
そして、有効期間は明日まで。
これはもう行くしかないでしょう。
という訳でまたしても東北にやって来た次第です。
何気に仙台駅の外に出たのは初めてかも知れない…
6:00発JR東北本線普通一ノ関行きに乗車。
小牛田駅で7:11発JR石巻線女川行きに乗り換え。
3年振りの石巻線。
相変わらず田んぼばかりです。
今回目指すのは全線復旧して鉄路が繋がった女川…
という案もありましたが違います。
前谷地駅で7:33発JR気仙沼線普通柳津行きに乗り換え。
7:56、柳津駅に到着。
ここから先へと接続する列車は最早ありません。
気仙沼線という名前でピンと来た方も多いでしょうが、
この先の柳津-気仙沼はリアス式海岸沿いを走り
東日本大震災で壊滅的な被害を受けた区間なのです。
元々利用客はそんなに多くない上に
復旧するなら高台に新ルートを拓かねばならず
莫大な費用を必要とする為、
JR東日本は鉄道での復旧を断念したのです。
駅名標からも隣の陸前横山駅の名が消されています。
今来た列車も前谷地駅へと折り返していきます。
では、ここからどうするのか?
柳津駅外観。
何かに気が付きませんか?
駅前にあるこの喫煙所のような建物、
「JR東日本 柳津駅」と書かれています。
そう、これはバスの停留所です。
正確にはBRT(バス高速輸送システム)と呼ぶべきですが。
8:10発JR気仙沼線BRT気仙沼行きに乗り換え。
気仙沼線に併走する国道45号線を走ります。
これだけなら単なる代行バスですが、
それとは決定的に異なる事があります。
嘗て気仙沼線の線路が敷かれていた用地を使って
バス専用道が引かれた区間があるのです。
BRTとは、一般道から分けられたバス専用道を走る事で
渋滞による遅延を無くそうというもの。
鉄道に比べて維持費や建設費が安価な為
新たな交通機関として注目されており、
東京のお台場エリアでも計画されています。
気仙沼線は鉄道としての復旧が断念された代わりに
BRTとして復旧される事になったのです。
一応、鉄道としてのJR気仙沼線の端くれなので
信号設備もちゃんとあります。
交差点にある信号機のように見えますが。
鉄道の跡地を使ったバス専用道を走る。
鉄道用地をバス専用道に転用したのはこれが初では無く、
紀伊半島を縦断しようとしたあの五新線や
白河駅と常磐棚倉駅を結んでいた白棚線など、
全国に例があります。
鉄路に従う列車では特に何も感じませんが、
バスとなると単線用地では狭く感じますね…
志津川湾。
5年前にこの海が牙を剥きました。
駅がある訳でも無いのに頻繁に信号場(?)があります。
しかも、どうやら車両感応式の信号らしく
対向車が居なくても毎回停車しています。
速達性を確保する為の専用道なのに
これでは意味が無いのでは…
尚、当初BRTでの復旧は仮復旧とされていた為、
現状では専用道区間は半分以下です。
その為、陸前戸倉駅から始まった専用道は
次の志津川駅に着く前に終わってしまいます。
志津川駅。
南三陸ポータルセンターが併設されており、
数人の観光客が下車していました。
この辺りは嵩上げ工事の真っ最中ですね。
ベイサイドアリーナ駅。
これは元々の気仙沼線には存在しなかった駅で、
気仙沼線の線路跡からも大分離れています。
その為にちょっと特殊な扱いになっており、
朝晩のBRTはこの駅を経由せずに
気仙沼線跡のバス専用道を走ります。
便によって経路を変えるというのは
如何にもバスらしいですね。
運行管理システムもまるでカーナビです。
あと、車両も当然バスだから鉄道に比べて揺れるし、
席の構造上とても寝難い…
やっぱり鉄道の方が良いな…
とか思っていたら、いつの間にか寝ていました。
どういう体勢で寝ていたのだろう…
この辺りは未だに更地です。
BRTの第四種踏切?
路面が黄色くなっていて一般車の進入を防いでいます。
遮断機付きの踏切もあります。
ただ、これが鉄道の踏切と決定的に違うのは
一般道の方では無く専用道の方を遮断しており、
普段は閉じていてバスが来ると開くというものです。
あと、一般道優先らしく踏切が開いても
一般車が過ぎるまでバスが停車して待っています。
気仙沼市街に入って来ました。
気仙沼なんてバス専用道があろうが無かろうが
所要時間はそんなに変わらないだろうと見くびっていましたが、
想像より遥かに栄えています。
渋滞も発生しているようです。
でも、この区間は専用道じゃないのか…
大船渡線の鉄道区間と並走。
そろそろ終点です。
10:05、気仙沼駅に到着。
元々気仙沼線が走っていたのと
同じホームに到着するので、
大船渡線鉄道区間にも対面乗り換え出来ます。
時刻表。
一番左の大船渡線(内陸部)のみが鉄道で、
右の気仙沼線と大船渡線(沿岸部)はBRTです。
BRTの本数の多さが際立ちますね。
一便で運べる人数が全然違うので単純比較は出来ませんが、
利便性の点ではBRTもそんなに引けは取らないかも?
…というアピールをしてBRT復旧の支持を得ようという
JR東日本の作戦かも知れませんが。
気仙沼駅外観。
ここから歩きます。
大船渡線BRT区間。
専用道も線路という扱いなのでしょうか。
ちなみに、現在鉄道としては
気仙沼線(柳津まで)は気仙沼に通じておらず、
大船渡線(気仙沼まで)は大船渡に繋がっていません。
大船渡線の鉄道区間を気仙沼線に改称して
BRT区間を合わせて大船渡線に改称した方が良いような…
港に向かって歩きます。
ここにも東日本大震災の際の
津浪浸水深が書かれていました。
釜石と比べるとそんなに高くないように見える。
ただ、あれは釜石の方が異常なのであって
人はこの高さの津波に巻き込まれたら確実に死にます。
気仙沼港に到着。
親と合流して今回最大の目的地へと向かいます。
10:40発大島汽船7便に乗船。
かっぱえびせんを持っているおじさんが居て
カモメが大量に集まって来ています。
北国はカモメが多いですね。
陸の海岸線が続いているのかと思ったら、
いつの間にか島の海岸線になっていました。
何処で途切れていたのだろう…
11:05、浦の浜港に到着。
気仙沼大島です。
数少ない東北の有人島の一つで、
北方領土を除くと太平洋にある日本最北の有人島でもあります。
大島を名乗るだけあってそこそこの大きさがあるので、
親が借りてきたレンタカーで巡ります。
山道の宮城県道208号で北へ。
山の中腹にあった大島神社。
お参りしておきます。
手水舎の蛇口(龍口?)は
まさかの赤外線センサー付きでした。
島では水は貴重だから?
大島神社先の三叉路を過ぎて
少し行ったところにある駐車スペースに車を停め、
徒歩で頂上へと向かいます。
気仙沼大島中心部を俯瞰。
ここも震災で被害を受けたそうですが、
見たところ相当復興しているように見えます。
高台の多い島という地理的要因もあって、
死者行方不明者も他の地域に比べて
かなり少なく済んだそうです。
しかし、本土の石油タンクから
燃え盛る石油が漂着して大規模な山火事が発生。
嘗ては港からここまでリフトがあったそうなのですが、
その山火事で燃えてしまったそうです。
気仙沼大島の最高峰、亀山山頂に到着。
360°遮る物が何も無く眺めは最高です。
その分風も強い!
本州と気仙沼大島を分ける大島瀬戸。
陸続きになりそうなほど狭いです。
その為、現在架橋工事の真っ最中だとか。
平成30年の完成を目指しているそうです。
気仙沼市街。
こうして見ると更地が結構残っていますね…
お腹が減ったので街へ戻ります。
メカジキとマグロの二食丼。
とってもボリュームがあって美味しい。
気仙沼と言えばフカヒレが有名ですが、
気仙沼大島では提供していないようです。
昼食を終えたら、
亀山山頂へ向かう道路から分岐する
細い砂利道を進みます。
駐車場に車を停めて徒歩で海岸の方へ。
東北の島だけあって伊豆諸島や小笠原諸島、
鹿児島の島とは全く雰囲気の違う森ですね。
十八鳴浜に到着。
これで「くぐなりはま」と読みます。
歩くとキュッキュッ(九九)と音がする
→九足す九は十八
→十八鳴浜
という事だそうです。
何故八十一鳴浜にしなかったのか。
それはおいといて、その名前の由来からして
ここは鳴き砂で有名な砂浜なのですが…
うーん、鳴らないな。
濡れていると鳴らないと書いてあったけど、
潮が引いたばかりで湿っているとかなのかな?
岩場の先に浜が続いているので
岩伝いに向かってみます。
北の浜。
綺麗な砂浜だ…
…でも鳴らないな。
この先にはもう砂浜は無いし…
まあ、綺麗な浜を見られたし良いか…
と帰ろうとした時、遂に砂が鳴きました。
なるほど、摺り足じゃないと鳴らないのか!
摺り足だと小気味良く鳴ります。
満足したので今度は島の南へ。
龍舞埼駐車場に車を停めて歩きます。
相変わらず綺麗な海です。
ん?何やら下に降りる階段があるな…
洞穴がありました。
乙姫窟という名前だそうです。
ここに来るまでの階段は
震災の影響かかなり傷んでいました。
乙姫窟からすぐのところに龍舞埼灯台がありました。
気仙沼大島の南端です。
爽快な龍舞崎の眺め。
沖にある岩礁に荒波が砕ける様子が
まるで龍が舞うようだった事から、
龍舞崎の名前が付いたそうです。
一体どれだけ海が荒れるのだろう…
龍舞崎の景色を堪能して
気仙沼大島の見所は粗方見終えた感があるけど、
船の時刻まではまだ少し時間があるな…
亀山から見えた二つの小島を
もう少し近くから眺めてみるか。
そんな訳で島南東部のマツザキにやって来たのですが…
何だこの藪は!
遊歩道らしいのですが全然整備されていません。
赤布は打ってあるから一応道はあるようだけど…
大前見島が見えました。
海鳥達の棲処になっているのかな?
マツザキ突端。
小前見島は木が邪魔で良く見えませんでした。
じゃあ、そろそろ戻るか。
15:20発大島汽船13便に乗船。
車を使う親と一旦別れて鉄道で宿へと向かいます。
16:15発JR大船渡線普通一ノ関行きに乗車。
一ノ関-気仙沼間の大船渡線は
内陸部を走っている為に津浪の被害を受けなかったので
鉄道で復旧しています。
とは言えここも被害は大きかったらしく、
枕木を見ているとその爪痕が窺えます。
これくらいの被害なら台風でもありますが。
ここまで起点駅の一ノ関駅に向かって
真っ直ぐ西に向かっていた大船渡線ですが、
千厩駅でいきなり直角に曲がって
北に走り始めます。
地図を見てもらうと一目瞭然なのですが、
素直に直進すれば良いものを
わざわざПの字を描いて寄り道しているのです。
その姿を揶揄して古くから「鍋弦線」とも呼ばれていたり。
JR東日本は自虐なのか大船渡線に
「ドラゴンレール大船渡線」の愛称を付けています。
龍の身体の如くうねっているという意味です。
この不自然な曲がり方は
地理的要因に因るものでは無く、
お察しの通り大人の事情に因るものです。
曲がった先にあるこの摺沢から輩出された
立憲政友会の佐藤良平が、
大船渡線がここを通るように無理矢理経路を変更したとか。
所謂「我田引鉄」の代名詞です。
摺沢駅。
立憲政友会の力なのかずば抜けて立派な駅です。
単に大船渡線の中で最も利用者数が多いからかも知れませんが。
なお、ポケモンの像が置かれているのは
大船渡線にPOKÉMON with YOUトレインという
観光列車が走っているからです。
大船渡線が曲がった事によって
摺沢の他にここ猊鼻渓も通るようになりました。
川下りで有名な美しい渓谷で、
車内からも見えないかと目を凝らしましたが無理でした。
更にもう一つ、
曲がった事で通るようになったものが。
この工場、地理選択の人なら何の工場か分かりますか?
陸中松川駅。
この広い構内で積み込んで運び出していたものとは…
そう、石灰です!
石灰岩の産出地も通る事になったのです。
曲げられた事で速達性は落ちたけど、
人口密集地やら観光名所やらを通る事になって
案外結果オーライだったのかも?
速達性なんて直線的な経路で作っていたところで
バスには敵わなかっただろうしな…
そんな訳で一ノ関駅に到着。
乗り換えで少し時間があるので
少しだけ街を歩いてみます。
平泉の宣伝の脇で
ひっそりILC(国際リニアコライダー)の誘致が。
東北だという事は知っていたけど、一ノ関だったのか。
ILCというのはヒッグス粒子を発見した
スイスのあのLHCの兄弟みたいなもので、
LHCが円形なのに対してILCは直線形という違いがあります。
磐井川まで来たところで時間切れ。
日も丁度沈みました。
一ノ関駅の新幹線ホームへ向かう踊り場に
ILCの模型が展示されていました。
嘗ては佐賀県の脊振山地と争っていましたが、
現在ではほぼ一ノ関(北上山地)で内定しているそうです。
後は予算の問題だけですね。
アメリカではSSCという超巨大加速器計画が
予算の都合で頓挫した前例があるので…
18:14発JR東北新幹線やまびこ57号盛岡行きに乗り換え。
またしてもズルをしていますが、
これは親が付いてくる事になって
行程を変更したからです。
不可抗力です。
ただ、新幹線や特急列車も
有効活用するとその値段分の価値は十分あるので
変にこだわり過ぎない方が良いかも知れない、
という考えに最近至りつつあります。
その分のお金の余裕があればの話ですが。
第一北上川橋梁を渡る。
日本一長い鉄道橋梁です。
でも、新幹線って殆ど高架だから
橋と言われても区切れ目が良く分からない…
北上駅でレンタカーを返した親と再会し、
18:44発JR北上線普通横手行きに乗り換え。
この北上線が今回の旅行第二の目的です。
こんな時間なので何も見えませんでしたが。
19:26、ほっとゆだ駅に到着。
湯田温泉峡の玄関口となる駅です。
バスの最終便の時刻は過ぎていたので、
タクシーで温泉宿へと向かいました。
やっぱり温泉は良いなあ…
コメント