(無題)

北国旅行第10日目。
今日は南樺太を巡ります。


6時前に起床。
起きたらこんな景色でした。
…と言っても、Сахалин(サハリン、樺太)に於いて
車窓で現在地を判別する事はほぼ不可能です。


6:17、Южно-Сахалинск駅
(ユジノサハリンスク駅、豊原駅)に到着。
戻ってきました。
ホテルに向かいます。

もうチェックイン出来るらしいから、
荷物を置かせてもらって…
…あれ?Миграционная Карта
(入出国カード)が無い!
パスポートに挟んであった筈なのに!
もしや、駅でパスポートを確認された際に落ちたのか…?
まずい…
そんじょそこらの観光国ならともかく、
ロシアに於いてこれは非常にまずい!
出国が出来ない可能性があるし、
そもそも、Регистрация(滞在登録)が出来ない!
英語が殆ど通じないホテルの受付のおばちゃんと
拙いロシア語や身振り手振りでやり取りをした結果、
Корсаков港(コルサコフ港、大泊港)まで戻ってもう一度
Миграционная Картаを貰ってこいとの事。
おばちゃんの呼んだタクシーに
同じく港へ向かう日本人観光客の人と一緒に乗り込みます。

30分ちょっとでКорсаков港に到着。
ロシア語で入出国管理官に経緯を説明して
Миграционная Картаを貰わねばならないのか…
冷戦が終わったとは言えСахалинは国境最前線だし、
あっさり出してくれるものなのだろうか…
と思ったら、吃驚するくらいあっさり出してくれました。
えっ、ビザも確認してないけど良いの?
入国側にスタンプとか要らないの?
と聞いても、”OK, OK!”としか返しません。
うーん、まあOKというならЮжно-Сахалинскに戻るか。

…Южно-Сахалинскに戻るのも一苦労なんだよな。
一昨日は時間があったからバスターミナルまで歩いたけど、
他の皆を待たせている身でそんな事は出来ないし、
かと言ってタクシーは見当たらないし…
港からバスターミナルへのバスがあるかも知れないから
それを地元の人に訊いてみるか。
と、近くに居た人に訊いてみたら、
「俺もЮжно-Сахалинскに行くから送ってやるよ!」
との返事が。
本当に!?
正に天の助けという事で有難く乗せて頂く事に。
車内でした話に拠ると、
何でも、日本人の母とロシア人の父の間に生まれた
日系2世の方なのだそうです。
「オバマも安倍も狂ってるが、プーチンは頭が良い。
日本はアメリカじゃなくロシアと組むべきだし、
ロシアも中国じゃなくて日本と組むべきだ!」
みたいな事を言っていました。
親日なのかな…?
日本とロシアが手を組んだら
全方位に喧嘩を売る事になりそうだけど。

ホテルに戻り、心配だったРегистрацияも無事終了。
助かった…
という訳で、観光を始めます。
明日も夕方までЮжно-Сахалинскに居るので
今日は明日土曜日にやっていない
Музей Истории Сахалинской Железной Дороги
(サハリン鉄道歴史博物館)に行ってみます。


博物館前に静態保存されているD51。
子供達が隠れん坊をしています。
何処の国でも変わらないんだな…


D51の裏にあるのが鉄道歴史博物館。
…鍵が掛かっているな。
やっていないのかな?
何か貼り紙がしてあるけど、何て書いてあるのだろう…
などと話し合っていたら、
後ろからお爺さんが
「博物館が見たいのかい?」
と話し掛けてきました。
筆談や指差し会話帳を駆使して意思疎通を図った結果、
どうやら、博物館の管理人に掛け合ってくれるとの事。
良いんですか!?


言われるがままお爺さん
(Виктор Петровичさん)についていきます。
Южно-Сахалинск駅横の
車両展示場を見せてくれるようです。


日本から寄贈されたキハ58もあります。
嘗ては現役で使われていたそうですが、
今は全てロシア製ディーゼル車に置き換わりました。


北海道以上の寒冷地なだけあって
除雪車が幾つも展示されています。


博物館の中も見せてくれました。
Сахалинとロシア本土を結ぶ
海底トンネル計画についても展示されています。


今は橋梁案の方が有力なようです。
ただ、Сахалинってそんなに需要があるのかな?
出来たら面白いけどなー。


稚内と結ぶ計画もあるのか…
もし実現したら、東京発ロンドン行きなんて列車が?


様々な器具も置かれています。
これを持っての記念撮影なんかもさせて貰いました。


日本軍が測量していた
泊居(Томари)から恵須取(Углегорск)までの予定線、
泊恵線の線路縦断面図。
明らかに貴重そうなこの文献を…


何と広げてくれました。
見られるのは凄く嬉しいけど、
そんなに雑に扱って大丈夫なのかな?


あと、意思疎通を図る際に指差し会話帳を使っていたら、
「Сахалинの本と交換して欲しい!」
と言われ、
博物館の蔵書3冊と交換する事になりました。
Сахалинの鉄道関連の書籍に混じって指差し会話帳…
こう置かれると貴重な書物のように見えてしまうな。


Викторさんが次の目的地への
乗り合いバスの手配までして下さいました。
何から何まで本当に有難い…
運賃は公共のバスより少し安い₽300。
その代わり、満席になるまで出発しません。


という訳で、次の目的地目指して
バスは峠越えにかかります。


Сахалинにしては凄くしっかりした道だ…
重要幹線なんですね。


1時間ちょっとで到着。
Холмск(ホルムスク、真岡)です。
日本時代からの重要港湾であり、
大陸への鉄道連絡船も出ている街です。
嘗ては小樽からの船便もありました。


中々活気付いているとは思うけど、建物は凄くボロい。
ただ、大間やら糠南やらНогликиやらを見た後だから
活気の基準がかなり狂っている感は否めない。
まずは駅に向かってみます。


地図に拠ればここに駅がある筈なんだけど、
それらしき構造物が見当たらない…


もしや…


この荒れ果てた石段の先に…


あった!
ホームと駅名標だけの駅だ!
Холмск-Южный駅(ホルムスク南駅、真岡駅)。
大陸への玄関口である等と誰が信じられるだろうか。
隣のХолмск-Северный駅
(ホルムスク北駅、北真岡駅)がメインなのかな?


駅名標の裏には時刻表が貼ってあります。
夏期は1日7往復?
本当にそんなに走っているのかな?


次は王子製紙の工場跡を探してみます。


おっ、貨物列車だ!
港町なだけあって物流は盛んなようですね。


回送中(?)のディーゼル機関車。
ロシアンブルーです。


あれが王子製紙工場跡かな?
凄い荒れ果て様だな…
周りの雰囲気も余り宜しくありません。
まあ、保存しようなんて考えていないだろうし、
戦後も製紙工場として使っていたらしいからな。
他の遺構も求めて街を巡ります。


跨線橋を渡って線路の東側へ。
王子製紙工場跡は跨線橋からの方が良く見えます。


この跨線橋、いつ崩れてもおかしくない有り様だな…
ロシアには鉄道の保線以外にメンテナンスの概念は無いのか。


パイプラインを階段で越えます。
この道、裏道かと思いきや意外と通行量が多いです。


音楽学校?
子供達が窓から手を振って挨拶してきました。


пл. Ленина(レーニン広場)。
近くのショッピングセンターで買い物したら
若いお兄さんにやけに英語で話し掛けられたけど、
あれは一体何だったのだろう…


ул. Победы(勝利通り)を歩きます。
名前の通り、壁には戦勝70周年の絵が描かれています。


Холмскはかなり坂の多い街だな…


スキーのジャンプ台の様なものも見えます。


人気の無い遊園地(?)。
しかし、遊具は綺麗です。
地図に拠ると、この辺りに真岡神社の跡があるらしいけど…
それらしき構造物は見当たらないな。


もしかして、この石段?
真岡(Холмск)はソ連軍の艦砲射撃により
完膚無きまでに破壊し尽くされたので、
日本時代の遺構は殆ど残っていません。


石段の先は何かの会社になっています。
石段は再利用するんだな…


跨線橋を渡って海側に戻ります。
港の貨物用クレーンが見えます。
壁にナルトの落書きがしてあったりしました。
こんなところにまで漫画は普及しているのか…


ぐにぐに曲がるパイプライン。
もう少し上手い通し方があったのでは…


真岡郵便局跡。
真岡郵便局では昭和20年8月20日、
ソ連軍との激戦中に電話交換手9名が
「皆さん、これが最後です。
さようなら、さようなら。」
との言葉を遺し、集団自決したという悲劇がありました。
建物は昭和60年頃に焼失してしまい、
跡地には集合住宅が建てられていますが、
1階部分には今も郵便局(Почта)が入っています。
日本時代の遺構はあったとしても土台だけです。


大量のハトがいるпл. Мира(平和広場)。
Холмск市民の憩いの場でしょうか。


広場は海に面しています。
壁にイルカが描かれているけど、
流石にイルカはいないのでは…
そうこうしていたらいつの間にか時間になっていたので
バスターミナルへと向かいます。


17:00発516番バスに乗車。
ワイパーかと思ったら、
豪快にフロントガラスが割れているのか…
あと、車のナンバーを見ていて気付いたのですが、
ロシアの車のナンバーに使われている文字は
アルファベットとキリル文字で共通の形のもの、
А、В、С、Е、Н、К、М、О、Р、Т、Х、У
の12文字だけのようです。
外国人にも分かり易くする為?


渋滞していて時間が掛かりましたが、
2時間ほどでЮжно-Сахалинскに戻ってきました。
ところで、今更気付いたのですが、
Южно-Сахалинск駅には
現地時間(UTC+10.0h)だけで無くモスクワ時間(UTC+3.0h)も掲示されています。
ロシアはシベリア鉄道を始めとして
幾つもの時間帯を跨いで運行する列車が大量に存在する為、
現地時間で時刻表を書くと
この駅はどの時間帯やねん!
と物凄く面倒臭いし間違いも起き易いので、
ロシア鉄道の時刻表は全てモスクワ時間で統一されています。
ただ、Сахалинの鉄道は全てСахалин内で完結する為、
駅に掲示されている時刻表は全て現地時間です。
でも、ロシア鉄道のホームページで調べると
モスクワ時間で表示されたり…
広大な国土を持つが故の混乱。
だからなのか分かりませんが、
中国は標準時が一つしかありませんね。
ロシアでそんな事をしたら
極東地域は日を跨ぐ前に日が明けますが。

さて、実は昼に会ったВикторさん、
「夜にまた会いましょう。」
という口約束を交わしていました。
海外で相手の口車に乗ってほいほいついていくのは
どう考えても文字通り死亡フラグ、
良くて身包み剥がれて無一文なんだよなぁ…
しかし、あれだけ親切にしてくれたВикторさんを
無下にするのも忍びないので、
必要最小限のお金だけを持って集合場所に向かいます。
朝会ったのと同じサハリン鉄道歴史博物館で再開。


Викторさんに言われるがままついていきます。
今日は何かの記念日らしく、
市役所の前で軍楽隊によって演奏が行われています。
これを見せたかったのかな?
と思いきや、これは素通りで
ул. Ленине(レーニン通り)を南へと進みます。
何処へ行くんだ…


着いたのは教会。
まさか、何か怪しい宗教なのでは…
と訝しんでいたら、現れた人の口からは流暢な英語が。
どうやら、アメリカからやってきた宣教師の人のようです。
ロシアなのにモルモン教なのか…
そして、Викторさんが僕等をここにつれてきた理由は、
英語とロシア語が分かる宣教師の人を交える事で
コミュニケーションを取りたかったのだとか。
…え?それだけ?


という訳で、宣教師の人を交え、
英語とロシア語と日本語が飛び交う会食。
勿論、お金をボラれたり等という事は一切無く、普通の会食。
Викторさん超良い人じゃん!
日本だってここまで良い人はそうそう居ないぞ…
疑ってしまったこっちが心苦しくなってしまうレベル。
Викторさんの住所も教えてもらい、
「帰ったら手紙を送って欲しい。
必ずまたСахалинに来て欲しい。
君達は私の友達だ!」
と言われ、抱きしめられて別れを惜しみました。
こんな出会いがあるなんて…
ロシア人の事を誤解していました。
ロシアにも良い人は要るものですね。

コメント

  1. sou16 より:

    北方領土に至っては8月28日に侵攻開始してるんだよなぁ…
    スターリンは†悔い改めて†