(無題)

北国旅行第7日目。
今日はいよいよ日本本土最北端の地を踏みます。

5:30、起床。
常に5時台に起きているな…
これで就寝時刻さえ早ければ健康的だ。
支度を済ませて幌延駅へと向かいます。


寒い!
気温が10℃を切っています。
北に来たんだなぁ…


6:30発JR宗谷本線普通稚内行きに乗車。


原野を走ります。
今日も利尻富士が綺麗に見えています。
段々木々が少なくなってきました。
列車は稚内の高校に向かう高校生を拾いつつ走ります。


下沼駅の先の緩やかな丘を越え、宗谷支庁に突入。
これで渡島檜山胆振日高石狩空知上川
十勝釧路根室網走後志留萌、宗谷の
北海道14支庁を全て制覇しました。
…今は支庁では無く(総合)振興局と言い、
しかも幌延町は宗谷総合振興局に所属するらしいですが、
振興局という名前がどうもしっくり来ない古い人間なので
相変わらず支庁で考えさせてもらいます。
どちらにしろ、制覇です。


豊富駅で普通列車と行き違い。
17分停車すると言ったのでちょっと降りてみます。


豊臣では無く豊富なのが惜しい。


豊富駅は日本最北の温泉郷、豊富温泉の入口。
また、サロベツ原野の玄関口でもあります。
サロベツ原野とか、自転車で走ったら爽快だろうなー。


再び北を目指して走ります。


兜沼駅で特急列車行き違いの為7分停車。
ホームから獣道が延びていたので
ちょっとだけ散策してみます。


駅名の由来になった兜沼が見えました。
周囲にはサイクリングロードがあります。
サイクリングロードからは藪に遮られて
兜沼は良く見えませんが。


スーパー宗谷2号をやり過ごして発車。


牛達も元気に草を食んでいます。
これだけのびのびと育てられたら
さぞかし美味しい乳を出すのだろうな…


目的地が近付いてきました。


7:44、抜海駅に到着。


日本最北の無人駅、日本最北の木造駅舎、
日本最北の秘境駅…
色々な称号は与えられるでしょうが、
そういった肩書きを抜きにしても純粋に素晴らしい駅です。


駅舎。
味のある木造駅舎です。
元・仮乗降所の糠南駅とは違います。


駅前大通りを歩きます。
車道はとても立派ですが、
歩道は舗装がひび割れて草が生えています。
整備の力の入れ具合の差が露骨過ぎる。


道路脇の牧場では重機で土を耕していました。
ワイルド。


海が見えてきました。


海沿いの道に辿り着きました。
こんな道を自転車で走れたらなぁ…


抜海集落の背後に雄大な利尻富士が、
そしてその隣には礼文島が見えます。
嗚呼、利尻島・礼文島もいつか行きたいなぁ!


海岸に行ける道は無いかと少し探してみましたが、
野生の花畑が行く手を阻んでいて無理でした。


丘に沢山立っていた謎の筒。
植林用でしょうか。
この辺りは風が強く、気候が寒冷なので
灌木くらいしか育たないようです。


8:38発JR宗谷本線普通稚内行きに乗車。
さあ、いよいよ最後の列車です。


前方に海が見えてくると徐行し始めました。
何かあるのかと前方を見ていると、運転手さんが
「左を見た方が良いですよ。」
左?


おお!
何と美しい利尻富士!
観光列車でも無いのに徐行してくれるなんて
JR北海道は旅客鉄道会社の鑑。
立て札まで立ててあります。


この利尻富士が綺麗に見えるように
経路を決めたのでは無いかと思える程
車窓から見事に利尻富士が見えます。
鈍行列車だからこその贅沢ですね。


稚内の街が近付いてきました。


最後の途中駅、南稚内駅に到着。
残るは1駅です。


線路の終わりは近い。
高架橋で道路を跨いだり、意外と高規格です。


そして、遂に…


8:56、稚内駅に到着。


日本最北端の終着駅であり、
同時に日本最北端の駅でもあります。
実は終着駅=最端駅なのはここ稚内駅だけ。
これぞ終着駅の中の終着駅。


北緯45°25′03″。
最早この先に線路はありません。


あの枕崎駅から3,126.1km。
ここまで長かったなぁ…


今の真新しい駅舎(4代目)は平成23年に完成したもので、
旧駅舎(3代目)はもう100mほど北にありました。
今もその位置まで線路が残されています。
取り敢えず、ホテルにザックを預け、
銀行に寄ってから稚内観光を始めます。


国境の街、稚内。
標識にはロシア語も併記されています。
表音が原則の英語表記と違って
ロシア語は結構表意的に表記しているようです。
(表音なら「水夢館」→”Суимукан”)


なぎさプロムナード。
水が凄く澄んでいるな…


稚内港北防波堤ドーム。
嘗てはここに稚内桟橋駅があり、
樺太の大泊港に向けて鉄道連絡船が出ていました。


稚内副港市場。
稚内駅と南稚内駅の間にある土産物屋です。


樺太についての資料も多くおかれています。
根室の「返せ!北方領土」の様には言っていませんが、
暗に南樺太は本来自分達のものだという
主張をしているような気がします。
日本政府の公式見解としては、
日本領では無いものの南樺太は所属未定、です。


稚内牛乳のお店で牛乳とコーヒーフロートを購入。
濃くて美味しい!
全国展開して欲しい。


さあ、稚内に来たなら行くべき場所はあそこでしょう。
港2バス停から11:04発宗谷バス音威子府行きに乗車。


日本海(オホーツク海?)沿岸を走る。
このバスは旧・天北線の代替バスですが、
より需要の見込める沿岸部を走っています。


需要が見込めると言っても、
皆無だったものが極少になっただけですが…


波の無い浅瀬に空が反射して
不思議な色を放っていました。


逆さ利尻富士が見えるかと期待しましたが、
沖合いは波が立っていて無理でした。
宗谷海峡だもんな…


間宮林蔵出発の地の記念碑。
間宮林蔵はここから樺太に渡り、
間宮海峡を発見して樺太が島である事を確認しました。


そして…


11:55、宗谷岬バス停に到着。


日本最北端の地、宗谷岬です。
遂にここまでやって来たぞー!
最北端というのはその他の端にもまして男心を擽ります。


本当の日本最北端は択捉島のカモイワッカ岬で、
北方領土を除いてもこの弁天島なのですが。
ただ、一般人が普通に行けるのは宗谷岬です。


最北端の碑の傍には間宮林蔵の立像もあります。
遥か彼方の樺太を見つめる間宮は何を思うのか…


って、普通に見えてますね。
宗谷岬から樺太までは僅か43km。
天気が良ければはっきりとその姿が見えます。


そんな訳で、この地は戦時的な超重要拠点。
この大岬海軍望楼では宗谷岬を監視していました。
(大岬は宗谷岬の旧名。)


祈りの塔。
昭和58年に起きた大韓航空機撃墜事件の
追悼として建立されました。


あけぼの像。
北海道の牛乳生産量100万トン突破と、
飼育乳牛50万頭突破を記念して建てられたとか。
宗谷岬は納沙布岬と違って領土問題の碑が無い代わりに、
何かと理由を付けて雑多な碑が立ち並んでいます。
最端と言うのは碑の建てどころなんですかね。


ここで、明日外せない実験があるというMDが
12:40発のバスに乗って一人帰っていきました。
バス発車時刻の15分前に自発的にバス停に行くなんて、
MDも成長したんだなぁ…
ありがとう、また大学で!


残された3人で昼食。
ホタテラーメン。
バターの風味とホタテの出汁がマッチして美味。
ラーメンは北に行くほど旨くなる(お店の宣伝文句)


さて、帰りのバスの時刻まで何と5時間もあります。
5時間もぼーっとしている訳にはいかないので
辺りを散策してみる事にします。


辺りは一面牧場になっていて黒牛が放牧されています。
宗谷黒牛としてブランド化されているとか。
これだけ伸び伸びと育ったら美味しくなるだろうな…
稚内牛乳もこの辺りで作られているのかな?


この辺り一帯は宗谷丘陵と言って
日本では珍しい周氷河地形が見られます。
緩やかな起伏が連続するのが特徴です。


その地形と年中吹き荒ぶ風を利用して
風力発電所が建てられています。
ん?向こうの山に観測所みたいなものが見えるな…
あそこを目的地にしてみるか。
風を感じつつ丘陵地帯を歩きます。


謎の無印標識。
何の注意喚起をしているのだろう…
この先何も無い事を知らせているのかな?


観測所に続く分かれ道までやって来ました。
関係者以外立ち入り禁止?
どうやら、自衛隊のレーダーサイトだったようです。
そうか、良く考えたらここはロシアが目の前に控えた
国境最前線なんだものな…


凄く景色が良く車通りも少ないので
3人で記念撮影会をして遊び、
暫く休んでから岬に戻ります。


結構長い距離歩いていたんだな…
日が暮れてきた。


宗谷岬に戻ってきました。
歩いた距離は約11km。
ここで東京からやって来たAFさん(東大P会4年)と合流。
AFさんはここから一緒に旅行する事になります。


日本最北端の日没。


いつまでも見ていたい気持ちですが、
バスの時刻が丁度日没と同時なので
泣く泣くこの場を後にします。


17:46発宗谷バス稚内駅前ターミナル行きに乗車。


夕闇の中を走るバス。
利尻富士が綺麗に見えました。


18:35、稚内駅前ターミナルに到着。
夕食後、AFさんの希望で再び稚内港北防波堤ドームへ。


夜の稚内港北防波堤ドーム。
稚内市が野営を公式に禁止していなかった為、
嘗てはライダー達の格好の野営所だったそうですが、
ネット上で論争が起こって稚内市が公式に野営禁止とし、
ライダー達は締め出されたのだそうです。
…奥にテントが3張見えますが。


稚泊航路の記念碑。
稚内と大泊を結ぶ航路を稚泊航路と言います。
名前こそ大泊では無くなったものの、
今でもその残照は残っています。


市街地だというのにこの星の多さ。
そして、人の声も、虫の音すらも聞こえず、
9月だというのに大晦日の夜を思い起こさせます。
この後は明日に備えて寝ました。

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