テレビで「中・ソ」と映っているのを見て
「中国・ソ連」を思い浮かべてしまった今日この頃。
ソ連はもう疾っくの昔に崩壊していますね。
はい、日本シリーズ第1戦、
中日ドラゴンズ対ソフトバンクホークスでした。
そう言えば今年はソ連崩壊から丁度20年か…
今日は倫理の宿題で「持続可能な社会の在り方と
それを創造するにあたって必要となる価値観」
についてのレポートを書いていました。
うーん、難しい…
世の中に数ある研究職の中でも
突出して変人度、発狂度が高いのが
哲学者と数学者なのも納得だな…
自分という存在が何なのか、
この世界とは一体何なのか、
段々訳が分からなくなってくる…
心理学で言うゲシュタルト崩壊というやつか?
倫理は人間の精神活動の極一部に
焦点を絞って考察を深めていくから、
それによって精神活動の全体性への意識が薄れ、
平然感じている自己の精神活動と乖離するのだろうか?
とするならば、自然現象を事細かに細分化し、
それを分類する事によって理解を図る科学は
正に自ら進んでゲシュタルト崩壊を
起こさせているにも等しいという事になるな…
科学によって得られる自然像は
あくまでゲシュタルト崩壊を起こしたものであって、
全体性を持った纏まりのある構造(ゲシュタルト)、
即ちこの世界全体を自らも含めて包括する
真の自然像は今のままの科学では得られないのか?
ならば、自然を細分化、分類する科学に対し、
それを再度構築し直す学問が必要なのか…?
…何か訳の分からない事を言い出してますね。
ちなみに、物理学者、数学者が
哲学者に転向するのは結構良くある事らしいです。
分かる気がしないでも無い。
あと、何故哲学関連の文章が
日本語でおkばかりなのかも分かった気がします。
多分、抽象化する事である程度の普遍性を持たせ、
幅広い状況に於いて通用し得るようにする為だな…
普通の言葉で書くと当たり前の事過ぎて
「それで?」となってしまうからかも知れません。
そんな感じでテオーリア的生活を送っています。
…意味不明な日記になってしまってすみませんでした。
脚注
※「ゲシュタルト崩壊」
全体として纏まりのある構造を、
長時間見続けたりする事でバラバラに見えてきてしまう現象。
ある漢字をずっと書いていると
「あれ?こんな字だったっけ?」となってくるあれ。
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