運河から見る昭和の残照(書きかけ)

類は友を呼ぶと言いますが、
僕の職場には鉄オタが結構居ます。
そんな鉄オタの先輩と後輩が、
今後の仕事に活かせるかも知れないコネを作れるし
何より鉄分を補給出来るからと、
極めてニッチなツアーに誘ってきました。


こういう話には全て乗るのが僕のポリシーです。
という訳で、箱崎にやって来ました。
箱崎と言えばいつも渋滞している箱崎JCTが有名で、
どちらかと言えば鉄オタより車オタ向けな気がします。
駅で言えば東京メトロ半蔵門線の水天宮前駅ですね。
ここからツアー開始です。


まず最初に解説を受けたのがこれ。
…これ。
首都高速9号深川線の隅田川大橋
…の脇にあるテラスと時計台です。


地理院地図で見るとここ。
半蔵門線が微妙に隅田川大橋とはズレた位置を通っていて、
隅田川を渡るトンネルを掘る際に
地元還元的な意味で真上のテラスを拡張したことを記念して
時計台が立っている、という場所です。
のっけからマニアック過ぎる。
ジャブで篩落としに来ていますね。


まず前提知識として、地下鉄というのは用地交渉が容易だったり
地下に構造物が少ないという理由から、
一般的には殆どの区間で公道の真下を通っています。
ところが、この隅田川大橋のように大きな橋は
橋台や橋脚の下に巨大な基礎が打ち込まれている為、
それを避けて橋の部分だけは車道から少しズレた場所を通るのだそうです。


今回のツアーの対象ではありませんが、
この現象は都営大江戸線が隅田川を渡るところを見るともっと明白で、
前後はきっちり都道の真下を走っているのに
厩橋のところだけ左右に膨らんで橋の基礎を避けています。
愛知県なら鶴舞線が庄内川を渡るところなんかもそうですね。


まずは橋を脇役としてその下を走る地下鉄に焦点を当てましたが、
このツアーでは橋梁それ自体にも注目します。
歩いてやって来たのがこの豊海橋。
見慣れない形ですがフィーレンデール橋と呼ぶそうです。
関東大震災の後に架設する際に舟運を阻害しないよう橋下を広く、
かつ日本橋川の玄関口として相応しい威厳のある橋を、
ということで選ばれたのだとか。
日本国内では10例ちょっとしかないかなり珍しい構造の橋です。
レンティキュラートラス何と令和5年に兵庫県養父市で新設され、
南河内橋が国内唯一の例ではなくなった。
南河内橋の方が珍しいけど(オタク特有の対抗心)


豊海橋のすぐ隣にあるのが永代橋。
こちらも関東大震災からの復興時に再架橋されたそうです。
東大の社会基盤学科ではこの橋の模型を作るという課題があるとか。


眺めていたら平べったい船がぬるりとすり抜けてきました。
東京都観光汽船の船のようです。
宇宙船みたいな見た目だなと思ったら、
「銀河鉄道999」の松本零士がデザインしたのだとか。


永代橋に話を戻して橋上を見ると、
5車線という奇妙な車線数をしています。
何故でしょうか?
これは鉄オタの方が答えられるかも知れませんね。
元々真ん中の車線は都電用(都電洲崎線)だったというのが答です。
都電廃止後は時間帯で方向が変わる
リバーシブルレーンとして運用されていましたが、
今年の1月で廃止されて固定車線になりました。


永代橋に潜って下から見るとこんな感じ。
異様にリベットが多いですが、
これは大正時代当時国内で厚い鋼板を製造する技術がまだ無かったので
薄い鋼板を重ねていることの証だそうです。
ベニヤ板みたいな建材を使っているんですね。
内側のゴムっぽい橋脚は耐震補強で近年追加されたとか。


永代橋の脇には東京メトロ東西線が走っています。
今度は下流側に逸れていますね。

左岸に立つ換気塔からその存在を窺い知れます
(マウスオーバーで画像切替)。
ここも橋の基礎を避けてトンネルが掘られた…
のですが、思いがけない事態が発生。
前述の通り、現在の永代橋は関東大震災後の大正15年に架け替えられたもの。
その前には明治30年竣工の永代橋が存在していました。
あまりに昔の話だった為に正確な図面が残っていなかったのか
トンネルを掘っている最中にその先代永代橋の基礎にぶち当たり、
その処理に大変な労力が掛かったとか。


お次は中央大橋へ。
任意の市区町村で使えそうな没個性的な名前ですが、
中央区に架かる大きな橋という意味のようです。
これは斜張橋という形式の橋で、名港トリトンと同じ構造ですね。


隅田川がセーヌ川と友好関係にある都合で
フランスから「メッセンジャー」という銅像が贈られています。


で、ここの地下にも鉄道が走っています。
都民か鉄オタなら何線か勿論分かりますね?
地下鉄…と考えてしまうのは引っ掛けで、正解はJR京葉線です。
中央大橋とは渡る場所が違うので全く干渉していません。


JR京葉線が渡る先はあそこ。
スーパーマリオブラザーズのゴール前の階段の如く
最上階までセットバックした集合住宅
の裏のクレーンが立っている場所です。
あそこには嘗て越中島国家公務員宿舎がありました。
橋だけでなく大きな建物も地下深くまで基礎杭を打ち込むので
そういう大規模な集合住宅も避けて掘るのがセオリーですが、
ここは元々幻の成田新幹線の建設用地だった場所。
一大国家プロジェクトを国家公務員宿舎が妨げることなど
決してあってはならないということで、
特殊な構造の基礎杭を用いてトンネル用の空間を確保していたそうです。


さて、箱崎からここまでは歩いて
隅田川を渡る鉄道トンネルや橋を見て来ましたが、
ここからは屋形船に乗って水上から鉄道を愛でます。
マニアック過ぎる。


離岸するとまず視界に飛び込んでくるのが
この謎の倒立した正四面体のオブジェ。
霊岸島検潮所・量水標跡と言います。
日本国内の標高沖縄や伊豆諸島など遠方の離島では
島独自の水準原点が定められていることもある。
の基準となる海抜0m、
即ち東京湾平均海面T.P.0mを測ったことを記念する碑だとか。
今では検潮所は三浦半島先端の油壺に移転されました。


ちょっと引き返して川から見た豊海橋。
渡っている時は気付きませんでしたが、
上部は緩いアーチを描いていたんですね。


補修中で木造橋みたいになっている勝鬨橋。
今こんな姿になっていたのか…
…東京メトロ有楽町線が並走する佃大橋はどうしたのかって?
見所があんまり分からなかったので撮り忘れました…


そのまま隅田川を下って東京湾へ行くのかと思いきや、
右岸にある水門へと引き込まれていきます。
菊地川水門という水門だそうですが、その先には…


浜離宮恩賜庭園があります。
永代橋で見た東京都観光汽船の水上バスではここで下船出来るとか。
…浜離宮って何だっけ?(常識が無い)


桟橋以外から上陸しようとするのは駄目なようで。
昔試みた輩が居たんだろうか…


浜離宮恩賜庭園の中に廃線はありませんが、
菊地川を挟んだ対岸には廃線があります。
嘗て築地市場に生鮮食品を運んでいた国鉄東海道本線貨物支線、
通称東京市場線です。
今や築地市場すら無くなってしまいましたが。


汐留川水門から隅田川(というかもう東京湾)に戻ります。
水門の脇に鯨の尻尾のオブジェがありますが、
これは豪雨時など水門を締め切った際に
内部の水を排水する為の巨大パイプを装飾したものです。
上手く水飛沫のように見せてカモフラージュしていますね。


ここへ来て初めて目視可能な現役の鉄道路線が登場。
ゆりかもめです。
東京タワーを背景にゆりかもめを撮り鉄出来るのは多分海上だけなので、
中々貴重なショットではないでしょうか。


この撮影地は竹芝埠頭のすぐ南なので、
東海汽船小笠原海運の船に乗っても
運が良ければ撮影可能かも知れません。
というか、見返してみたら10年前におがさわら丸に乗った時に
ギリギリ写真に収めていましたね。


お次は廃線跡。
新日の出橋の脇にあるこの橋台です。


昭和60年版の地図で見るとここ。
これは汐留駅から芝浦岸壁の芝浦駅に延びていた
東京都港湾局芝浦・日の出線の廃線跡です。
これは国鉄ではなく東京都が所有していた貨物線で、
昭和5年に東京市が敷設した芝浦臨港鉄道が前身という
とても由緒正しい路線でしたが、
モータリゼーションの波に押されて昭和60年に廃止されました。

実は最新版の地理院地図でも良ーく見ると残骸が残っていたり。
これを見て廃線跡だと気付いたら
貴方ももう重度の鉄オタです。
手遅れです。


先程の橋台は誰の目にも明らかでしたが、
こちらはちょっと慣れていないと分からないでしょうか。
微妙に蒲鉾型に膨らんでいる駐車場、
都電芝浦線の盛土の跡です。
ここは運河から見るとこんな感じで分かり難いですが、
陸上ではレールがアスファルト舗装から浮き出ていて、
実際に現役当時に使用されていた都電のレールを視認出来る
極めて貴重なスポットになっています。


都電芝浦線は運河を渡って
電車の整備を行う都電芝浦工場に繋がっていました。
芝浦工場の跡地には芝浦アイランド エアタワーという
タワーマンションが建っています。


水上からの貴重なアングルでの撮り鉄その2。
羽田空港から来た東京モノレールです。
後ろに聳えているタワマンはエアタワー…
ではなく、ケープタワーという別のタワマンです。


東京モノレールは芝浦アイランドの陸地を避け、
わざわざ運河上を走っています。
右奥に写っているのはグローヴタワーというまたまた別のタワマン。
どの写真にも写っていませんが
更にもう1本ブルームタワーというタワマンもあり、
僅か0.061km2の島に約1万人という
香港も真っ青な超人口過密地帯になっています
(全盛期の九龍城砦はこの10倍以上の人口密度だったらしいが)。
これは東京モノレールが避けるのも已む無し。


続いては、廃工場みたいな怪しい雰囲気の高浜橋の下を潜って…


ありました。
ゴツい架線柱から分かる通り、ここを通るのは新幹線。
と言っても、勿論JR東海道新幹線の本線ではなくて
田町駅付近で分岐して大井車両基地に向かう回送線です。
それと並走してJR東海道本線の貨物支線、
通称大汐線も走っています。


高架線と一体になった芝浦橋から見ると分かり易いですね。
左の高く真新しい方が東海道新幹線の回送線、
右の低く錆び付いた方が大汐線です。
大汐線は平成10年から長きに渡って休止していて
普通ならそのまま廃止コースまっしぐらですが、
実は最近世間的にも俄かに脚光を浴びています。
あの羽田空港アクセス線はこの大汐線を転用して整備される計画なのです。
そうなれば一気に大幹線の仲間入りですが、果たしていつになるのか。


レインボーブリッジを潜って内海に戻ります。
ゆりかもめの貴重なアングルでのワンショット。


ゆりかもめのループ線を丸ごと収められるのも割とレア?
なお、ゆりかもめループ線はあまりにもメジャー過ぎるので
このツアーの解説では一切触れられません。


レインボーブリッジについては触れます。
橋桁にくっ付いているこの無骨な構造物、
点検用の移動足場なのだそうです。
乗ってみたい。


芝浦アイランドを遥かに超える規模の
タワマン林が近付いてきました。
東京オリンピック選手村跡地のHARUMI FLAGです。
電光掲示板に表示されているFはFLAG
ではなく、Free(入出港船舶無し)の意だそうです。
I(入港船舶有)とO(出港船舶有)もあるとか。


HARUMI FLAGの中に立つエレベーター試験塔みたいなタワーは
中央清掃工場、即ちゴミ焼却施設の煙突です。
排熱を利用した銭湯もあるとか。
タワマンに住むような人って
ゴミ焼却施設が至近にあるのは許せるのだろうか。
まあ、中央清掃工場の竣工はHARUMI FLAGより20年以上前ですが。


豊洲大橋を渡る東京BRT。
先月に乗りましたね。
これもメジャー過ぎるので解説無しです。


カラフルなアーバンドックららぽーと豊洲。
造船ドック跡地に造られたこともあって跳上橋やクレーンなど
造船所を彷彿とさせる設備が散りばめられていますが、
ガイドさん曰く別にこの地に縁のある物ばかりでも無いそうです。


ららぽーとは素通りして晴海橋梁へ。
真ん中だけアーチなっているのは
船を通す空間を確保する為です。


下から見るとこの通り。
はい、これも廃線跡です。
HARUMI FLAGの前身の選手村の更に前身の
晴海埠頭へと続いていた東京都港湾局晴海線の一部。
平成元年に廃止されて以降朽ちるに任されていましたが、
今年春海橋公園の遊歩道としてリニューアルオープンしました。


「春」海橋公園と書きましたが誤植ではありません。
道路橋の方は「春海橋」なのです。
「晴」でも別に縁起は良いと思うのですが佳字化でしょうか?


海の中に現れたコンクリート製の柵。
これは何の跡でしょうか?
正解は豊洲貯木場です。
貯木場というのは、港まで運んできた木材(丸太)を
水に浮かべて保管する場所のこと。
そう、木場駅や新木場駅の「木場」が正にこれのことです。
ちなみに、名古屋港だと今も現役の貯木場があったりします。


信号機付きの豊洲水門。
赤信号になっていますね。
船長が何度か汽笛を鳴らすと…


水門の中に居た職員さんが信号を青に変えていました。
凄いアナログな仕組み。


ここにも廃線跡。
先程の晴海橋梁に続いていた豊洲橋梁の橋台です。


ここまで豊洲で見たものを纏めて
昭和47年版の地図上に図示したものがこちら。
①造船所(現・アーバンドックららぽーと豊洲)
②東京都港湾局晴海線 晴海橋梁
③春海橋
④豊洲貯木場
⑤豊洲水門
⑥東京都港湾局深川線 豊洲橋梁
ギチギチに詰まっています。


汐浜運河に入ると急に下町っぽくなりました。
この辺り一体は嘗て洲崎パラダイスと呼ばれた赤線、
即ち遊郭がありました。
かなりの賑わいようだったそうで
アクセス線とし城東電気軌道なる路面電車が敷設され、
その後東京市に買収されて都電砂町線の源流となりました。


そのまま汐浜運河を進んでいくと
左手の平久水門から何とカヤックが現れました。


更には屋形船も現れたりなんかして、
影が薄くなったとはいえ
まだ東京の運河は現役なんだなと感じさせる一幕です。

(以降、メモ書きネタバレ注意)

越中島貨物線
一番低い 日によっては通れない

レールセンター

東京電力枝川技能訓練センター
名鉄常滑線大同町駅
トーエネック教育センター

コメント