大無間山 第2日目

4:30、起床。
昨夜は結構風が吹いていましたが、
小屋という安心感で熟睡出来ました。
ランタンでもあればより良かったかなとは思いましたが。
凍り付きそうな温度まで冷えていますが、
手早くお湯を沸かして朝食にします。


まだ夜も明けない5:49に出発。
シュラフなどは小屋にデポして少しでも軽量化を図ります。
小無間小屋に泊まったとはいえ今日のコースタイムは10時間40分。
対して今日の日長は6:30から16:38までの10時間8分。
つまり、日の出前に出発した上で標準より巻いて
休憩込みでなお休憩抜きの標準コースタイムと
同じタイムを叩き出せなければ下山前に日が沈みます。
ただでさえルートファインディングの難しいこの山で日没を迎えるのは
殆ど遭難を意味するでしょう。
それは避けなければなりません。


ならもっと早く出ろよと言われそうですが、
そうなると真っ暗な中で危険地帯を歩く羽目になり
尚のこと危険度が増します。
ギリギリのラインを攻めた結論がこれです。
まずはP4からP1に向かって鋸歯と呼ばれる4つのピークをなぞります。


鋸歯と名付けられるだけあって急登と急降の連続です。
両側は切れ落ちていて巻道も無いので、
愚直に4つのピーク全てを踏む必要があります。
ここの時点で結構荒れているな…
山と高原地図では小無間小屋からP1まで破線コース(難路)扱い。
剱岳別山尾根(2020/9/20-21)は勿論のこと大キレットでさえ実線なので、
破線がどれくらいの扱いかと言うと
表妙義縦走(2019/11/3)や二子山上級者コース(2022/11/12)くらいです。
あちらはルートは明確で純粋な岩登りの難しさだったけど、
こちらはルートが不明瞭ですぐ変な場所に入り込んでしまう…
どうも間違えてトラバースしてしまっているみたいだから
木に頼って多少強引にでも稜線に戻
(バキッ

 


…生きてる?
それなりに太い幹だったので信頼して体重を掛けたら
立ち枯れていたのか砕けてしまいました。
本当に死ぬかと思った…


心拍数に反比例してテンションはだだ下がりですが、
ここまでは前座も前座。
P1を過ぎるといよいよ
山と高原地図からは存在を抹消されてしまった
大無間山最大の難所に立ち向かいます。


現れたな…大崩壊地!
山を丸ごと削らんとする数百mの高さの大崩壊。
崩壊の多い南アルプスの中でも類稀な規模です。


崩壊で胸元にナイフを突き付けられているかのようなこの山が
大無間山の前衛、小無間山です。
崩壊も然ることながら勾配がヤバい。
あそこを登れるのか…?


崩壊の際を歩きながら小無間山に躙り寄ります。
際を歩くだけで済むならまだ良いのですが…


これが大無間山の名を轟かせる最大の難所、
鞍部のナイフリッジです!
何と稜線が完全に崩壊に呑み込まれてしまっています。
何故こんな場所が登山道として指定された(されていた)のか?


昭和51年10月に国土地理院によって撮影された航空写真がこちら。
これを見ると南北から崩壊地が迫ってはきているものの
稜線には木が生えており、
辛うじて持ち堪えていることが分かります。
この時はまだP4〜P1までと然程変わらない道だったのでしょう。


一方、Googleマップにある最新の航空写真がこちら。
拡大を続けた南北の崩壊地が遂に合流し、
稜線が呑み込まれている様子が見て取れます。
合流したと言っても現段階ではギリギリ接している程度で
本当に呑み込まれているのはほんの10mちょっとですが…


たかが10m、されど10m。
どちらに転けても200m以上の滑落が必至のこの死地は
まともな神経をしていたらとても渡れません。


平均台と表現されることもあるけど、
平均台ならせめて水平であってくれ…
鞍部で合流した南北両崩壊地は衰えを見せず
小無間山山頂に向かって成長を続けており、
最後の数mは突き上げるような急登
というか岩壁になっています。


そして、この大崩壊地で最も手強いのが山体の脆さ。
だからこそ大崩壊が生じている訳で当然と言えば当然ですが、
何一つとして安定している構造物がありません。
どんなに大きな岩であっても体重をかけると僅かに動くのを感じます。
まるで巨大な砂山の上を歩いているかのようです。
妙義山にせよ二子山にせよ、地形自体はガッチリとしていて
岩をしっかり掴んでいれば落ちないという
山に対するある種の信頼のようなものがありました。
それがここには一切無いのです。


右側の北側崩壊地からは断続的にパラパラと
石の落下していく音が聞こえてきます。
これはつまり、体重をかけるとかそれ以前の問題で
何もしなくても自壊していくほど脆いということを意味しています。


…ぐだぐだと御託を並べていても仕方無い!
行くぞ!
3本ほど残置ロープもありますが、
何処の誰が渡したとも知れない細い紐に身体を預けるのは…
うおっ!ロープがザックに引っ掛かった!
馬鹿にして悪かった!離してくれ!


どうにかこうにか大崩壊地を抜けて
まだ草木の生えている箇所まで辿り着きました。
死ぬかと思った…


で、ザレ場を抜けたは良いけど、
何処が登山コースなんですかね…
P1から壁のように見えていた通り、ここまでで一番の超急斜面です。
木や岩を掴んで攀じ登る…
しかないのですが、先程のバキッもありおっかなびっくりです。


後ろを振り返ると富士山が聳えていました。
随一の展望です。


何故こんなにも展望が良いのかと言えば
勿論大崩壊地の際に立っているからですね。
深南部に於いて「もっと展望が効けばなぁ」と言うのは、
「もっと崩壊していたらなぁ」と言うのと同義です。


比較的温情が掛けられてきました(当山比)
ここまで来れば大分ルートファインディングが難しくて
大分急登が大変なだけの普通の山ですね。


7:42、小無間山(標高2,150m)に登頂!
展望は一切ありません。
それが却って平和で嬉しい。
下の錆び付いた標識には微かに「大井川鉄道」の文字が見えます。
嘗ては大無間山登山が大井川鐵道沿線の観光資源として
捉えられていた時代があったのでしょうか。


小無間山からはここまでの激登が嘘のように
広々穏やかな稜線歩きになります。
あの死闘を繰り広げた後だとまるで天国です。
この楽園を独り占め出来るなんて…
好きになってしまいそう。
暴力を振るった後に優しくするDV配偶者に沼る思考かな。
ただ、こういう広い稜線は道迷いしやすいので
気を抜き過ぎないように気を付けます。


上の航空写真でも存在感を発揮していた唐松谷の頭の崩壊地から
漸く大無間山の姿が見えました!
え?何処かって?


ここです。
何か遠くない?と思うその感覚はその通りで、
小無間山から大無間山は往復7km、
標準コースタイム4時間の道程があるのです。
もし小無間山と大無間山の山名が逆だったとしたら、
わざわざ向こうまで往復する人は殆ど居なかったでしょう。
小無間山-大無間山間の地形は至って穏やかなものの、
ここまでの難所で時間を浪費していると
時間切れで泣く泣く引き返す破目になりかねないという、
ここがまた大無間山のいやらしいポイントです。


幸いP1から小無間山であまり時間をロスしなかったので、
血涙を流して撤退することにはならなさそうです。
キビキビ進んでいきます。


8:25、関ノ沢ノ頭とも呼ばれる中無間山山頂(標高2,109m)を通過。
これまた殊の外展望の無い山頂です。


実はここ要注意地点で、道なりに進もうとすると
北東方向のあらぬ尾根筋へと迷い込んでしまいます。
正しいルートは左手前へ折り返すこと。
迷い込み防止のトラロープは張られていますが折り返し先が分かり難く、
よりによって眺望が効かず大無間山の方角を確かめ難いこの場所で
トリッキーな方向転換を強いられるのは罠以外の何物でもありません。


あと迷い易いとされているのがここの二重稜線なのですが、
ここはここぞとばかりに赤テープがあるので
よっぽど漫然と歩いていなければ大丈夫です。
漫然と歩いていたらここへ辿り着く前に遭難しているだろうしな…


大無間山へ向けて最後の登りを詰めていると
大崩壊地以来の富士山が見えました。


標高2,250m付近で展望の開けていそうな地点がありました。
ここが噂に聞く山頂直前にある唯一の展望地かな?
さてどんな眺めg うおっ!?


遮る物が無く吹き曝しになっているからなのか
木の根が凍り付いていて滑りました。
展望に気を取られた登山者の足元を確実に掬いに来る狡猾さ…
ここは登山口から山頂までの長い道程の中で
ほんの数ヶ所しかない貴重な展望地にも関わらず
何故か何の名前も付けられていない場所なのですが、
危うくsou16転がしみたいな名前が付けられるところでした(自意識過剰)


ここは全行程中唯一北側の展望が開ける場所で、
聖岳から赤石岳、荒川岳(2023/9/17-19)までの
3,000m級の山々を遠望することが出来ます。
向こうは雪化粧していますね。
大無間山もあと10日くらいで冠雪でしょうか。


山頂直前に慰霊碑がありました。
昭和40年に道迷いして三隅池小屋に辿り着けず凍死してしまったそうです。
大崩壊地での滑落じゃないんですね。
いや、あそこで死者が出ていたら登山道が厳重に閉鎖されるか…
ところで三隅池って大無間山から45分歩いた所なのですが、
60年前にはそこにも小屋があったんですね。
そこを宿泊地に出来れば1日目8時間45分、2日目7時間15分と
負荷を良い感じに分割出来たのに…


おや…?
急に地形がなだらかになってきたぞ…?
ということは…!


9:25、遂に大無間山(標高2,329m)登頂です!!
日本二百名山最難関の一つと呼ばれるこの山、
メインルートが完全に通行不能になる前に登頂出来て感無量です。
遠かった…


話に聞いていた通り、
一等三角点がある他は展望の一切無い山頂です。
三角点マニアはここまで登ってくるんですかね?


何故かブルーシートやポリタンクも打ち捨てられていました。
昔は四阿か何かがあったのでしょうか?
でも、四阿にブルーシートやポリタンクなんて要るかな…


古い看板(火気厳禁?)とみかん缶の残骸も。
それこそ昭和40年とかの品でしょうか?
嘗て深南部にも賑わっていた時期があったのかな…


今はただただ静かです。
鳥の鳴き声や風の吹く音すら聞こえてきません。
この静寂を独り噛み締める…
良い時間だなぁ…
昨夜の小無間小屋での一夜もそうでしたが、
現実・仮想共に数え切れない程の人間との交流をする現代社会に於いて
こういう本物の一人の時間というのは贅沢なものですね。
展望が一切無いのも、
却って一人の時間を満喫するのには向いているのかも知れません。


もっとじっくりどっぷりと深南部に浸っていたいのは山々ですが、
何度も言う通りコースタイムが長いので
休憩は程々にして下山を始めます。
昨日の分も含めた全行程を回収しないといけない訳だからな…


唐松谷の頭付近で単独行の登山者とすれ違いました。
人間が居ると思わなくて変な声が出てしまった。
そして、これが今日すれ違った唯一無二の登山者でした。


愛すべき平和な稜線は小無間山で終了し、
再び死地へと突入します。
あの平和なまま下山出来たらどれだけ良かったことか…
でも、そうだとしたら大無間山が有名になることは無かったし、
多分日本二百名山にはかすりもしなかったんだろうな。


うおお!おかしいだろ傾斜が!
地面が脆過ぎるんだけど赤テープは何処だよ!
…まさか間違った方向に下ってしまったとかないよな?
だとしたらこの斜度で登り返すのは相当に困難だぞ…


トラバースして走査したら何とか赤テープを見付けました。
良かった…
と同時に、これが正規ルートであることに驚きを禁じ得ない。


久々の大展望。
いよいよ来る…あの大崩壊地が…!
往路は無理矢理登ってしまったけど、
もし恐怖心が勝って下れなかったとしたら…?


長考するほどに恐怖心から脚が震えてくるから、
恐怖が頭の中で輪郭を得てしまう前に通過せねば!


おや…?
こちら側から見ると思ったより大したことない傾斜なのか…?
良し…行ける…!


行くぞおぉぉ!


下り傾斜の所為で四つん這いになることすら許されず、
尻をついた情けない格好になりながら何とか渡り切りました。
後から写真を見返したら上から見ても大した傾斜だったので、
この時は感覚が麻痺していたのでしょう。
そうでも無いとここは通過出来ないよな…


一番の難所大崩壊地は抜けましたが、
まだまだ登山口は遥か彼方です。
気疲れした身体の残り少ない体力を
鋸歯の登り返しがゴリゴリ削ってきます。


愛しの小無間小屋まで戻ってきました。
もう1泊してしまいたい衝動に駆られますが、
デポした荷物を回収して下山を続けます。


うー、落ち葉が積もったザレ場はルートが分かり難い上に
凄く滑り易くて苦手なんだよな…
傾斜も滅茶苦茶急だし…
ここで気を抜いて滑落したら洒落にならないので慎重に行きます。


急斜面を九十九折で無理矢理下っていきます。
IT(元・旭丘高)が苦手そうなトラバースの連続だ。


急ぎ足で下っていたら意外とコースタイムより巻けたので、
行きは素通りしていたこの廃屋をちょっとだけ覗いてみます。


ここを使っていた会社の名前とか分からないかなー
と思ったのですが、
何故かヘルメットにも社章などの類は一切無く分かりませんでした。


送電鉄塔を過ぎてもう後少し!
というところで暗い樹林帯に突入して盛大に道迷いしました。
中部電力関係者も通るはずなのにあまりにも道が分かり難過ぎる。
植林密度が高過ぎて赤テープが全然見付けられないので
足元の地面の固さで登山道かどうか判断しないといけません
(登山道なら踏み固められているので周囲よりも固い)。


という訳で、15:00丁度に下山しました!
何だかんだで9時間ちょっとに抑えられましたね。


無事下山出来たので諏訪神社にお礼参りしておきます。
人気は全くありませんが立派な神社ですね。


参詣を終えて境内から出ると、
ブロック塀沿いに登山者用臨時駐車場が設けられているのに
今更気が付きました。
ここにお知らせ看板を立てられても分からないだろ…
せめて下のてしゃまんくの里とかに立ててくれないと…


地理院地図上に図示するとこんな感じです。
その道は誰が通れるんだよという激ヤバ廃道でも掲載している
地理院地図すら追えていない道に駐車場があるとは…
徹頭徹尾不親切の塊みたいな山ですね。


この後はすぐ近くにある田代温泉に浸かってから、
山道を延々走って大井川沿いの抜里集落にある宿に向かいました。

コメント