九州北部鉄道乗り潰し 第3日目

6:50、起床。
のんびり温泉に浸かってから出発します。


朝の嬉野温泉。
数年前まで鉄道の通わぬ地だったので
さぞかし山奥にある秘湯なんだろう…
と思っていましたが、普通に町ですね。


ユースポ入口バス停から
7:56発JR九州バス嬉野線新武雄病院行きに乗車。
ちなみに、嬉野温泉に来る際に時間を気にしないなら、
武雄温泉駅からこのJR九州バス嬉野線に乗った方が安く、
しかも乗り換えが少なく来られます
(新幹線でも結局嬉野温泉駅から温泉街までバスに乗る為)。


嬉野温泉駅に戻って来ました。
閑散としていますね。


8:35発JR西九州新幹線かもめ5号長崎行きに乗車。


トンネルを抜けて大村湾へ。
長崎県に入ったところで佐賀県の鉄道は完全乗車しました!


起伏の激しい地形で家がギュウギュウに押し込められた
如何にも長崎らしい車窓です。


9:00、長崎駅に到着。


実に10年振り(2014/9/21)の長崎市です。
新幹線開通に合わせて再開発したのか、
駅前を見ても何一つ記憶が蘇らない…
実質初訪問みたいなものですね。


嬉野温泉駅周辺に朝から開いているお店が無くて
朝食を食べ損なっていたので、
長崎名物角煮饅頭を頂きます。
この味は覚えがある!
…けど、長崎で食べたんだっけ?


さて、長崎市と言えば路面電車です。
早速路面電車を乗り潰していきましょう。
長崎駅前電停から長崎電気軌道1系統崇福寺行きに乗り換え。


崇福寺電停に到着。
流石は土地の少ない長崎市、
電停が小島川の上にはみ出してしまっています。


車内から見るとこんな感じ。
川の上に浮いているような感覚です。


電停の名前にもなっている崇福寺を参拝してみます。
ここは江戸時代にキリシタンへの締付けが強まった際、
長崎に住んでいた中国人が仏教徒アピールをする為に
中国から材料を取り寄せて建立した唐寺。
色遣いが如何にも中華風です。


境内は更に中華。
色遣い、石畳の並べ方、木の組み方、
どれを取ってもここは中国かと錯覚するほどに再現度が高い。
プチ中国旅行ですね。
関東からだと中国の方が安く行ける可能性はありますが。


乗り潰しを続けます。
長崎電気軌道1系統赤迫行きに乗車。


西浜町電停で長崎電気軌道5系統蛍茶屋行きに乗り換え。


蛍茶屋電停に到着。
蛍茶屋支線完乗です。


電停の先には蛍茶屋車庫があります。
車庫にロイホとセカストが入っているのか…
土地の少ない長崎市ならでは?
長崎電気軌道3系統赤迫行きに乗車。


諏訪神社電停で下車。
先程は唐を感じたので、今度は和を感じに行きましょう。


キリシタンによって社寺が迫害を受けていた時代に
神社を守る為に建立されたという、
崇福寺とはまた違った経緯でキリスト教と因縁のある神社です。


坂の上にあるので眺めが良いです。
雨予報でしたが晴れてきました。
もしかして、この天気なら今日は就航しているのでは…?
と気になって小呂島航路の運航状況を調べてみたら、
船が故障したとかで運休していました。
何なんだあの島は…


崇福寺を見た後だとさっぱりした意匠に見えますね。
これが和の装い。
ですが、祭では大いにはっちゃけるようで、
あの長崎くんちはこの諏訪神社のお祭です。


参拝を済ませたら乗り潰し再開です。
諏訪神社電停から長崎電気軌道3系統赤迫行きに乗車。


中心街をバイパスするような経路を取る桜町支線です。
なので運行本数は少なめ…
と思いきや、結構走っています。


JR長崎本線沿いに北上していって昭和町通電停で下車。
ここは何かがあるという訳ではないのですが、
赤迫行きの電車しか停まらないというちょっと特殊な電停です。
富山地方鉄道富山港線の
オークスカナルパークホテル富山前電停(2022/2/25)
同じく片方向しか停まりませんでしたね。


この昭和町通電停が片方向しか停まらないのは、
嘗てこの付近の道路拡張工事が行われた際に
一旦昭和町通電停は廃止され、
2ヶ月後に(何故か)赤迫行きホームのみ再開したからです。
JRの西浦上駅の最寄駅だから復活したのでしょうか?
使う人が居るのか疑問でしたが、
一緒に降りた人も入れ替わりで乗った人も居ました。


昭和町通電停が一時完全に廃止された際に、
代替として開業したのが100m南にある千歳町電停です。
今電車が停まっている地点ですね。
やはり何故赤迫行きホームだけ復活したのか謎だな…


改めて赤迫行き電車に乗ります。
誰も気付いていないと思いますが、
最後の一区画300m、住吉-赤迫は昭和35年に
延伸開業した区間になっているので、
書類上は本線ではなく赤迫支線という扱いになっています。


最後の最後で名鉄宜しく単線になっていますね…
これでは前の電車が出るまで入線出来ません。


という訳で、赤迫電停まで乗り通して長崎電気軌道完乗です。
この赤迫電停は日本の路面電車の停留所として
最西端に位置する電停だったりします。
時津町や長与町へ向かうバスに乗り継ぐ人が多いので
利用者はかなり多いのだとか。


今乗ってきた電車がまだホームにいるのに
立て続けに2本も列車が入って来てしまいました。
単線構造でそんなのあり?


構造上必然的にLIFOなので
最後に入って来た電車に乗り込みます。
長崎電気軌道1系統崇福寺行きに乗車。


原爆資料館電停で下車。
ここは商業ビル(長崎西洋館)の1階を路面電車が貫く
珍しい構造の線路になっています。
おや?新地中華街行き電車?
そんな系統あったっけ?


原爆資料館電停は上述の構造を見る為だけに降りたので、
そのまま歩いて爆心地公園へ。
普通の人は平和公園電停で降りてアクセスしましょう。


79年前、こんな快晴のお昼時にこの直上で炸裂した原子爆弾。
広島の原爆ドームは何度か行った記憶がありますが、
こちらは初めて来たような気がします。
かなり外国人観光客が多いです。


原爆ドームのような分かり易い遺構はあまり無く、
この浦上天主堂跡の柱の一部が唯一の遺構です。


付近の地層には当時の瓦礫が今も残っており、
一部溶融しているのが原爆の凄まじさを物語っています。
「向こう75年は草も生えない」と言われた長崎ですが、
今では見違えるほど平和になりました。
放射線の影響を過小評価してはいけませんが、
チェルノブイリ(2018/2/7)の例も鑑みるに
動植物は人間が思うよりずっと逞しいのでしょうか。


隣の平和公園へ。


長崎の原爆と言って真っ先に思い浮かぶであろう平和祈念像。
腕には平和の象徴と言われる鳩が留まっています。
長崎の他の場所で鳩は殆ど見掛けなかったけど、
もしかして腕に鳩が来るように何かやっている…?
と考えるのは深読みし過ぎでしょうか。
ここは特に外国人観光客が多くて記念撮影をしていました。


平和公園電停から長崎電気軌道1系統崇福寺行きに乗車し、
観光通電停で下車。
職場の長崎県出身の先輩に
オススメの飲食店を教えてもらったので、
お昼に食べに行こうと思います。


長崎ランタンフェスティバルをやっているとかで
商店街には赤いランタンが吊るされ、
多くの人達で賑わっています。
それで新地中華街止まりなんて電車が走っていたんですね。
コロナ禍前に人口減少率ワーストだったとは思えない活気。
…ということは、オススメのお店も混んでいるのでは?


やっぱりかー!
第一候補だった茶碗蒸し発祥のお店は大行列。
Googleマップの「混んでいません」とは何だったのか。
では第二候補へ…


こっちは空いている…というか臨時休業!?
何という運の無さ…
それなら第三候補へ…!


第三候補でやっと入店出来ました。
デカ盛りパフェで有名な洋食屋です。


しかし、デカ盛りパフェは一人で食べるものでもないので
10年前と同じくトルコライス。
相変わらず想定そのままの味だ。


食後に梯子して、もう一つオススメされた
シースクリームケーキも食べてみました。
ショートケーキに似ていますが、
シースクリームケーキはブッセでカスタードを挟んだ上に
白桃とパイナップルが乗せられており、
ショートケーキよりもアッサリしたお味です。
「シース」というのは刀の鞘(さや、sheath)のこと。
本当は豆を包む莢っぽい見た目だったので
莢(さや、pod)の英訳を付けようとしたのですが、
「サヤ」で和英辞書を引いた時に間違えてしまい、
誤訳に気付いた時にはもう有名になってしまっていたので
今更改訂することも出来ず今に至るそうです。
でも、ポッドクリームケーキよりは
シースクリームケーキの方が語感が軽やかで、
アッサリした味に合っていて良かったのかも。


食べ過ぎてしまったので長崎駅まで歩きます。
歩いていると埋立地と元からの陸地の差が分かり易いですね。
平坦なのが埋立地で、急坂が元からの陸地です。


さあ、それでは今回の旅行の最終行程といきましょう。
長崎駅から16:09発JR長崎本線普通長与経由佐世保行きに乗車。


長与支線とも呼ばれるJR長崎本線の旧線です。
昭和47年の電化の際に市布経由の新線に付け替えられました。
…ちなみに、西九州新幹線の開業により
博多直通の特急が走らなくなった長崎県内の長崎本線では、
新線の電化設備も撤去されるという事態が生じています。
今の御時世、蓄電池を積んだハイブリッド気動車なら
電車とそう変わらない乗り心地やダイヤを維持出来るので、
東北などでも同様の動きが見られます。
周りの路線が全て電化されているので、
電化した方が車両の運用の都合上安く付くといって
開業後129年も経って電化したJR武豊線(2015/3/1)
特殊例中の特殊例です。


西九州新幹線に近い内陸の経路を通る新線と違い、
旧線は大草-喜々津で大村湾沿いを走ります。
国有化前、九州鉄道が明治31年に開通させた長崎本線
(但し、当時の名前は「佐賀線」)は
江北から有田、早岐、大村を経由する
今で言うJR佐世保線と大村線を合わせた経路だったので、
大村湾をぐるっと半周するような路線でした。


折角なのでもう少しちゃんと大村湾を見ます。
16:41、東園駅で下車。


平地は集落の家に埋め尽くされている為、
切通しの中に設けられた窮屈な立地の小駅です。


地理院地図によれば国道への最短経路だという道を登ります。
細いし蔓が伸び放題だ…


国道207号から俯瞰した東園集落。
入江に沿ってJR長崎本線が大きな弧を描いています。
良い景色ですね…


という訳で、撮り鉄出来そうなお立ち台を探してみます。
国道207号は一段高いところを走っているから、
上手くJR長崎本線を俯瞰出来る地点が幾つかあるはず…


道幅拡張の際に曲率緩和の為に山側が削られて
取り残された感ありありの海側への張り出し。
地理院地図ではこの張り出した部分も
国道として色分けされていますが、
実際のところ書類上はどうなのでしょうか?


で、この張り出し部が中々良い撮影地でした。
時間が遅くて背後の山の影になってしまったけど…


東園駅へ戻る途中に梅崎を回り込む列車も一枚。
波が穏やかだからかJR呉線(2022/11/4)が思い起こされます。


東園の入江の大カーブを回り込むところは…
あまりしっかり撮ろうとすると列車を逃すので、
この辺りで切り上げて駅へと走ります。


17:50発JR長崎本線普通佐世保行きに乗車。


喜々津駅まで乗ったところで長崎県の鉄道は完全乗車しました!


この後は大村駅でバスに乗り換えて長崎空港へ。
19:40発NH670便に搭乗して関東へと帰りました。
この飛行機が遅延した所為で
羽田空港で7分乗り換え(飛行機→京急)をする破目になった…

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