道東旅行 第2日目

道東旅行第2日目。

7:30、起床。
網走バスの一日乗車券を買って網走市街を巡ります。


網走駅から8:42発網走バス観光施設めぐり号に乗車。


道の駅流氷街道網走に到着。
この時期の網走に来たからには砕氷船に乗ります。


9:30発網走流氷観光砕氷船おーろら1便に乗船。


オジロワシに見守られながら出港します。
ガンガンに暖房の効いた船室もありますが、
ここはやはり寒風吹き荒ぶ甲板で冬を感じます。
沿岸にはあまり流氷が無いけど大丈夫かな…


ちょっと心配していましたが、
出港から20分ほどで流氷帯が近付いてきました。


普通の船なら全力で避けるところですが、
砕氷船なので勿論突っ込みます。
砕氷船は氷に無理矢理乗り上げることによって
自重で氷を砕いていくという船。
ただ、今日はどちらかというと砕くまでもなく
押し退けるという表現の方がしっくり来ますね。


見渡す限り氷に埋め尽くされた海。
遥か彼方のアムール川からやって来ています。
アムール川の流量はとんでもないですね…


東を見ると知床半島の羅臼岳が綺麗に見えます。
羅臼岳もいつか登ってみたいな…
ただ、ヒグマ密度が凄いらしいんだよな…


ふと足下を見ると流氷の上に謎の足跡があります。
キタキツネ?
でも、陸からは何kmも離れているけど…


15分程流氷帯に航路を刻んだら帰ります。
砕氷という名前から想像される
バキッ!バリバリ!みたいな感じではなく、
終始実にスムーズな航海でした。


そして、何やらテレビの取材も来ていました。
北海道のテレビ局っぽいけど、
道民は流氷なんて見飽きていないのかな?


港に戻って来たら道の駅で流氷帰りに一本。
北海道と言ったらやっぱりローカル牛乳です。
網走も濃くて美味しい!


11:35発網走バス観光施設めぐり号に乗車。
次の観光地に向かいます。


11:50、博物館網走監獄バス停に到着。
網走というだけで刑務所を想起してしまう、
それくらい網走と刑務所は切っても切れない関係です。
ここは昭和58年に全面改築が行われた際、
歴史的に価値のある建造物が失われることを憂いた地元の名士が
借入金の個人保証をするなど尽力して開かれた博物館です。


刑務所、それも日本最北の網走刑務所ともなれば
どう足掻いても陰鬱なイメージしかありませんが、
中にはこんな瀟洒な建物もあります。
これは囚人ではなくて管理者が使っていた庁舎ですが。


中は土産物屋になっていて
本物の網走刑務所で受刑者が作った製品などが売られています。


一方、この見るからに粗末な小屋は
まるで便所のようにも見えますが…


懲罰房です。
網走刑務所ではなくて札幌の北にあった樺戸集治監のものだそうですが、
規則を犯した受刑者はこの闇室の中に七昼夜、
つまり丸1週間もの間閉じ込められて食事は重湯だけという、
想像しただけで気が狂いそうな懲罰が科せられていました。
快適な時期だとしても発狂しそうなのに、
冬の北海道でそれをやったら生きて出られないのでは…


こちらのちょっと校舎っぽくも見える建物は…


浴場です。
開拓を兼ねていた北海道の刑務所はとにかく重労働が多く、
お風呂は食事と並ぶ数少ない楽しみの一つでした。
入浴中もこんな風にバッチリ見張られていた訳ですが。


明治5年の規則では夏は1日おきに行水出来たものの
囚人数の激増によってキャパシティ不足となり、
明治14年には夏期が5日に1回、
冬期に至っては10日に1回まで減らされてしまいます。
が、それでは流石に受刑者からの不満が多かったのか
規則改正の度にちょっとずつ増やされ、
現在では週に2〜3回となっているようです。
それでも毎日は入れないのか…


お次は舎房及び中央見張所。
これこそが網走刑務所と聞いてまず真っ先に思い浮かべるであろう施設。


監房です。
正式名称は五翼放射状官舎と言います。
一直線に延びる廊下に無数の分厚い木造扉が連なっており、
その一つ一つが囚人を収める独居房や雑居房です。


何故廊下が一直線になっているかと言えば
一つの中央見張所で効率的に監視する為です。
しかし、これだけの数の監房を絶えず監視するって
刑務官側も相当な苦痛だな…


監房の中はこんな感じ。
隙間だらけの板張りで如何にも寒そうです。
零下30℃になることも珍しくない網走の冬では、
耳や鼻は常に揉んでおかないと
凍傷を起こして腐り落ちてしまうとか。
こんな施設を40年足らず前まで使っていたのか…


このような過酷な環境では当然脱獄を企てる者も現れますが、
そこは網走刑務所。
日本で最も脱獄が困難とまで言わしめる厳戒態勢でした。
ただ、昭和になってからもたった一人だけ
脱獄に成功した受刑者が居て、
それが昭和の脱獄王こと白鳥由栄です。
味噌汁の塩分で檻を錆びさせて外したなど
今もなお語り継がれる逸話を残しています。


ちなみに、現在の網走刑務所はこんな感じになっているそうです。
実物は一生見たくありませんね。


明治時代の道内各地の集治監は北海道のインフラ整備、
特に道路や鉄道の建設に囚人を容赦無く駆り出しており、
その場合は監獄に戻ることすら許されずに
このような丸太小屋で寝泊まりをさせられていました。
囚人は長い丸太を枕に寝かされ、
朝になると丸太の端を木槌で叩いて起こされたことから、
「叩き起こす」の語が生まれたとも言われています。


こちらは作業を行う場所だった二見ヶ岡農場庁舎。
外壁が白いだけでもちょっとは陰鬱感が減りますね。


中はこんな感じ。
煉瓦と板敷だった舎房と違ってコンクリート敷なので
ちょっと近代感があります。
実際には明治29年竣工のオンボロ建物を
直し直し使ってこの形になったようですが。


食事風景。
コロナ禍以前はここで囚人に交じってご飯を食べられたそうですが、
今ではここの食堂は閉鎖中です。


網走刑務所で出される正月料理。
お節にコーラやらプチシューやらって合うんだろうか…
話に拠ると、刑務所では滅多に甘いものが出されないので
囚人は甘味に飢えているそうですね。
ぶっちゃけ、お節の方がおまけでお菓子がメインなんだろうか。


二見ヶ岡農場庁舎の食堂は閉鎖中ですが、
独立した食堂は営業中だったので喫食します。
囚人が体調を崩すと大変なのと
不満を溜めて暴動でも起こされると一大事なので、
刑務所のご飯は結構美味しいです。
実際の刑務所では喫食時間は厳密に決められているので
ゆっくり味わうことは出来ませんが、
我々は娑婆の人間なので幾らでものんびりと…
…と言いたいところですが、バスの時間が迫っているので
実際の囚人ばりに急いで掻き込みます。


ギリギリ間に合いました。
14:00発網走バス観光施設めぐり号に乗車。


14:05、天都山(流氷館)バス停に到着。
所要時間の短さから気付いた方も居るかも知れませんが、
博物館網走監獄のすぐ上にある博物館です。


網走市街から知床半島まで綺麗に見えます。
今日の流氷は知床側に流れ着いているようですね。


内陸側にあるこれは現役の網走刑務所。
現代の刑務所っぽい無機質な建物ですね。


この流氷館はその名の通り、
流氷が無い時期に網走を訪れた人にも流氷を感じてもらおうと
冷凍室の中に保存されている流氷を触ることが出来ます。
まあ、我々はついさっき流氷を見てきたばかりですが。


キタキツネの剥製が流氷に乗せられている…
ということは、やはりあの足跡はキタキツネ?
流氷が接岸している間に歩くのでしょうか。


網走バスの一日乗車券があると割引とのことだったので、
青い塩をまぶした流氷ソフトを買ってみました。
寒空の下食べるソフトクリームはシベリアを思い出しますね…
15:19発網走バス観光施設めぐり号に乗車。


15:32、網走駅に到着。
あまり意識していませんでしたが、
網走刑務所を意識した駅名標になっていますね。


そして、車両はルパン三世仕様です。
これはルパン三世が網走刑務所に入る話があるから
ではなく、ルパン三世の作者のモンキーパンチが道東出身だからです。
でも、道東は道東でも網走から直線距離で100km以上離れた浜中町で、
この車両も普通は根室本線を走っていた気がするけど…
16:17発JR釧網本線普通釧路行きに乗り換え。


東へ向かうほどに流氷が岸に押し寄せてきます。
何処から海面なのかが判然としませんね。


夕暮れの雪原をひた走ります。


どんどん羅臼岳が目前に迫ってきます。
…と思っていたけど、これもしかして方角的に
羅臼岳じゃなくて海別岳?


17:08、知床斜里駅に到着。


7年前と同じ道の駅しゃりで夕食。
この後は18:00発斜里バス知床線
ウトロ温泉バスターミナル行きに乗車し、
18:50にウトロ温泉バスターミナルに到着しました。
冬の網走の次は冬の知床です。

コメント