(無題)

今日は博士論文審査会がありました。
博士号を取れるかどうかを決める口述試験です。

博士号というのは博士課程に進学して
口を開けて待っていれば取得出来るものではなく、
幾つかの関門を越える必要があります。
博士論文を書き上げるという行為そのものの
精神的・肉体的負荷も然ることながら、
特に大きな関門は
1. 博士論文提出のゴーサインを得る
2. 審査会を通過する
の二つです。

まず前者の
1. 博士論文提出のゴーサインを得る
についてですが、
多くの大学院に於いて、そもそも博士論文を提出する為には
「大学院の間に何本以上査読付き論文を出版して、
何回以上学会発表をしていないといけない」
みたいな条件が付けられています。
その条件を満たすまで博士論文を書くことすら許されないので
分野によってはD4、D5、D6が量産されるわけですが、
「査読付き論文をこれだけ出版出来たってことは
ちゃんとした研究をしていたってことだよね」
という感じで、後に続く審査会は
形式的なものになっていることが多々あります。
謂わば、博士号の審査を学術雑誌の査読で代用しているわけです。
これは日本の大学院に限った話ではなく、
博士論文を書き始めるスタートラインに立つことが最大の関門で、
後は書き切れば原則めでたく修了というのが
国内外問わず一般的な流れとされています。

が、東大の理学系研究科物理学専攻では
博士論文提出に際しての要件がありません。
極論すれば、指導教員の許可さえ下りれば
1本も論文を投稿していなくても博士論文を提出出来ます。
(流石に指導教員なりの独自基準があることが殆どで、
実際約3分の1はD3では博士論文を出せませんが。)
これが何を意味しているか?

そうです、東京大学の物理学専攻の博士号の質は
2. 審査会を通過する
という一点で以って担保されるのです。
その為、審査会ではガチで審査をしてきます。
審査会の英訳である“defense”の名が示す通り、
審査員からの容赦無い攻撃を耐え切らなければ
博士号を取得することが許されないのです。

…という、ここまでが審査会に臨む前に
色んな人から聞いていた事前情報。
そうは言うものの、知り合いの先輩の中で
本当に審査会で落とされたという人は居ないし、
同期の審査会を覗いてみた感じでも
本当に窮した時は副査が助け船を出していたから、
又聞きした話が誇張されているだけなのでは?
みたいに思っていたのですが…

本当に容赦無かったです。
審査員は主査が1人(宇宙理論)、
副査が4人(原子核理論、素粒子理論、素粒子実験、宇宙実験)なのですが、
副査の1人が想像を遥かに超えてクリティカルな質問を連発してきました。
決していちゃもんとかではなくてぐうの音も出ない正論です。
だからこそ辛い訳ですね。
「なあなあでは通さんぞ!」という鉄壁の意志を感じました。
僕の個人的な感想だと誇張されている恐れはありますが、
聞きに来ていた後輩も同じことを言っていたので
客観的に見ても相当に確からしいことです。
しかし、後輩は知らない。
実は一般参加者を排して行われた後半の非公開審査で
更に厳しい質疑応答が繰り広げられていたということを…
そこで萎縮して黙ってしまうと本当に落とされてしまうので、
声量と勢いを落とさずに押し切りました。

結果としては、審査会に合格しました!
周りの同期でも審査会で落とされた人は居ないので、
何だかんだで通してくれるものなのかも知れません。
が、それは決して審査会そのものが楽であるという意味ではありません。
2時間の死闘を曲がりなりにも戦い抜いたという点に於いて、
やはり審査会は東大物理学専攻の博士号を担保しているのでした。
…と、終わったような雰囲気を出していますが、
まだ審査会で出されたコメントに応じて
博士論文の修正をしないといけないんですね…

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