(無題)


図1. 昭和30年頃に撮られた衣浦大橋工事用軌道[1]

昨日偶然見付けたこの写真(図1)。
半田市にある廃線は8年前に調査した
半田臨港専用線と瀧上工業専用線だけだと思っていた僕にとって
この写真は中々の衝撃でした。
この衣浦大橋工事用軌道(仮称)は
半田市の一体何処を走っていたのか?
今日は夏休みの自由研究としてそれを調べてみました。

こういうのはやはり郷土資料を当たるのが一番ということで
まずは半田市立図書館で司書さんに訊いてみましたが、
衣浦港関連の資料は数多くあるものの、
衣浦大橋は半田市単体ではなく
対岸の高浜市を巻き込んだ県単位の事業の為、
どうやら半田市立図書館の管轄外になってしまっているようです。
しかし、そんな中でも司書さんが(ノリノリで)
幾つか有用な文献を持ってきてくれました。
ここからはそんな郷土資料と
国土地理院の公式サイトにあった資料、
それに現地調査の結果を交えて
幻の衣浦大橋工事用軌道を追っていきたいと思います。


図2. 衣浦大橋建設前の大正9年(左図[2,3])と建設直後の昭和34年(右図[4,5])の1/25000地形図

まず知っておくべきは衣浦大橋の建設前後で
亀崎地区の地勢がどう変更を受けたかでしょう。
図2は衣浦大橋建設前後で亀崎地区の地形図を比較したものです。
(衣浦大橋は昭和27年1月着工、同31年1月竣工[6]。)
これを見ると、衣浦大橋は単に知多と三河を結ぶのみならず、
その取付道路で以って衣浦湾を一気に干拓しようという
正に一石二鳥の大工事だったことが分かります。
また、それと同時に工事用軌道の必要性も見えてきます。
高浜町(当時)側はともかくとしても
半田市側は海のど真ん中から橋が始まっており、
そんな場所へ建設資材を運搬する為には
堤防の上に工事用軌道を敷くのが適当でしょう。
湾なので貨物船を用いた海運という線もありますが…


図3. 衣浦干拓地造成中の堤防[6]

また、衣浦大橋と並行して造成が進められた衣浦干拓地の
工事の様子を写したとされる写真(図3)にも
堤防の上に敷かれた複線の工事用軌道が見て取れます。
奥に見える集落(現在の亀崎北浦町?)との位置関係から推察するに、
図1の写真に撮られた箇所の少し北を
反対側から写したものと思われます。
衣浦大橋工事用軌道は衣浦大橋のみならず
衣浦干拓地の為の資材(主に埋立用の土砂?)も運んでいたのでしょう。
衣浦大橋の建設中に工事用軌道が稼働していたことは
最早疑う余地がありません。


図4. 衣浦干拓地に於ける伊勢湾台風の被害を伝える記事[7]

しかし、その工事用軌道の痕跡が
今も本当に残っている可能性があるのかは
また別の問題として注意して考えねばなりません。
衣浦大橋が完成してから僅か3年後の昭和34年、
東海地方を伊勢湾台風が襲い、半田市も甚大な被害を受けました。
図4の新聞記事の写真には堤防が見当たりません。
未曾有の超巨大台風によって衣浦大橋工事用軌道は
路盤もろとも海の底に消えてしまったのでしょうか。


図5. 伊勢湾台風襲来後の衣浦大橋とその周辺を写した空中写真[8]

図5は伊勢湾台風の襲来から丁度2ヶ月後の衣浦大橋周辺を
上空から撮影したものですが、
これを見ると衣浦干拓地は水浸しになっているものの、
取付道路兼堤防はその姿を保っているようです。
以上より、軌条や枕木の残存はほぼ望めないでしょうが
路盤についてはかなりの確率で残っていると期待されます。
それでは、実地調査の結果に移りましょう。


図6. 現在の国道247号(半田市州の崎町2丁目付近)


図7. 現在の国道247号(半田市亀崎町1丁目付近)

まず、結論から言うと衣浦大橋工事用軌道の痕跡として
現時点で最も有力と思われるのが、
図6に写っている車道脇の台形状の盛土部です。
これだけでは盛土部も含めて
そういう形状の堤防という可能性もありますが、
図7に示すように堤防としては中途半端な位置で途切れており、
この盛土部は堤防とは独立した経緯で建てられたものと推察されます。
(実際、右端の堤防(防波堤)本体は
伊勢湾台風の後に防潮対策として建設されたとの情報あり[9]。)
そして、この途切れる位置というのが
丁度衣浦大橋建設以前の岬と一致しており、
ここから取付道路兼干拓用の堤防兼
工事用軌道の路盤が延びていたと考えられるのです。
なるほど、これにて一件落着…


図8. 衣浦大橋開通を伝える市報[10]

が、ここへ来て今までの説を揺るがしかねない資料を発見。
図8中で②と番号の振られている写真の左上に
何と線路が写り込んでいるではありませんか。
この写真で大問題なのが車道の「左側」、
即ち亀崎の陸地側に線路が敷かれているということ。
図6に写っている盛土部と車道とは位置関係が逆なのです!
この写真で列を成して走っている自動車は
恐らくデソート・カスタムのコンバーチブル。
ホイールベースが3,188mmもあるアメ車ですが、
これと比較してもなお余裕のある道幅からするに
海側の堤防から線路まで4mはあるでしょう。
しかし、図6の盛土部にそんな幅はありません。
平らになっている上面の幅は2mもないくらいです。
伊勢湾台風の高潮で削られたとか…?

「調べてみた結果良く分かりませんでした!」
という糞みたいなまとめサイトと同じ結論で大変恐縮ですが、
これ以上のことは半田市立図書館と
国土地理院のサイトで得られる情報だけでは
正直分からないと言わざるを得ません。
衣浦大橋建設工事についての計画図でも無いと…
愛知県公文書館を当たるしかないのか…?
想像以上に難しい研究課題でした。
まだ夏は長いので引き続き調査していきたいです。

参考文献
[1] 「目で見る知多半島の100年 : 半田市・常滑市・東海市・大府市・知多市・阿久比町・東浦町・南知多町・美浜町・武豊町」, 郷土出版社, 平成4年.
[2] 「二万五千分一地形図『半田』」, 陸地測量部, 大正9年測図・大正12年発行.
[3] 「二万五千分一地形図『刈谷』」, 陸地測量部, 大正9年測図・大正12年発行.
[4] 「2万5千分1地形図『半田』」, 国土地理院, 昭和34年二修・昭和36年発行.
[5] 「2万5千分1地形図『刈谷』」, 国土地理院, 昭和34年修正・昭和36年発行.
[6] 「図説 知多半島の歴史 下巻」, 郷土出版社, 平成7年.
[7] 中日新聞, 昭和34年10月12日発行.
[8] 整理番号:KK592YZ コース番号:P20B 写真番号:259, 国土地理院, 昭和34年11月26日撮影.
[9] 半田市報 第247号, 半田市, 昭和36年2月25日発行.
[10] 半田市報 第188号, 半田市, 昭和31年2月25日発行.

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