自宅待機108日目。
一般的な半島には数多く存在するのに、
知多半島では極めて稀な
道路上に存在するあるものとは一体何でしょうか?
今日は梅雨の晴れ間だったので、
愛犬達と共にそれを探しに行ってみることにしました。
小野浦海岸からスタート。
あまりにも遠浅過ぎて逆に海水浴に不向きなのでは。
潮干狩りには最適でしょうが。
しかし、何にせよお目当ては砂浜ではありません。
バンガロー村へと続く道を歩いて内陸部へと向かいます。
バンガロー村を無視して更に突き進むと、
このような岐路に差し掛かります。
一見、直進か左斜め奥にしか進めないようですが…
気が付いたでしょうか、
この右側が何やら意味深に刈り払われていることに。
これだけなら、鋭角に切り返せない車が
奥の道と左奥の道を行き来する際に
転回する為の空間のようにも見えますが、
立ち入ってみると…
唐突にその姿を現しました、内海トンネルです。
そう、知多半島では稀な存在とはトンネルのこと。
緩やかな地形と災害の少なさが相俟って、
僕が知る限りでは車道にあるトンネルは
衣浦トンネルと南知多道路の切山トンネルの2本のみ。
(但し、名鉄知多新線には7本のトンネルがある。)
そんな中、この地に幻のトンネルがあると聞いて来てみました。
金網で閉鎖されていることかも分かる通り、
このトンネルは遥か昔に廃止されており、
落盤して通行不可能になってしまっています。
近くに刺してあった看板によると、
昭和3年に内海かじや荘の主人、林喜助氏が
海岸へと下る歩道として私費で建設したそうです。
車も余裕で通れそうなくらいこんな大きな断面なのに
「昭和初期」に「私費」で整備された「歩道」という、
突っ込みどころが多過ぎる廃トンネルです。
一体どんな大金持ちの道楽だったのか。
尾根を越えた先にあるお吉ヶ浜は
その当時小野浦集落からも内海集落からも隔絶されており、
このトンネルが陸路での唯一のアクセス手段だった
…のですが、実は開通から僅か3年後の昭和6年に
今の国道247号の前身となる道が海岸沿いに開通したので、
このトンネルの実質的な使用期間は
たったの3年足らずということになります。
何一つ合理的な点の無いトンネルですね。
さて、内海トンネルが控える三叉路を直進すると
望水荘という民宿があるのですが、
左へと進むとこんな感じでいきなり道が荒れだします。
コンクリートではあるものの舗装はされていますが。
片側だけ草もっさもさですね。
日当たりの違いにしては極端過ぎるような…
そして、巨大な切通しが現れました。
これが第二の目的である内海峠です。
愛犬と比較してその大きさが分かるでしょうか。
あの名越切通よりも遥かに巨大です。
これは国道247号(の前身)が開通する
昭和6年以前に使われていた旧道で、
陸路で内海へ向かう際のメインルートになっていました。
先程の民宿以外沿道に建物は何一つ無く、
田畑や人工林の類すら存在していないので
この道の利用価値は限りなくゼロに近いはずなのですが、
今でも何故かきちんと整備されています。
色々と謎の多い場所ですね…
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