南太平洋旅行第8日目。
いよいよあの国へと飛びます。
6:44、起床。
本当に3時間半遅延なのか、
実は夜の間にこっそり遅れが回復していたりしないか
心配になって起きてしまいましたが、
ちゃんと3時間半遅延していました。
Nadi国際空港(ナンディ国際空港)へと向かいます。
乗るのはナウルの国営航空会社、
Nauru Airlines(ナウル航空)です。
電光掲示板の表示は2014年以前の
Our Airline(アワー航空)のままになっていますね。
本当はキリバスのTarawa(タラワ)から乗る予定で、
例のキリバス航空が欠航したことで
その航空券は無駄になってしまったのですが、
諦めきれずにフィジー経由で行く道を見出しました。
何故キリバスについては潔く諦めた僕が
ナウルについてはこんなに固執しているのか?
日本のパスポートが世界ランキングで1位になった、
という報道を耳にしたことのある人は多いと思います。
今やあのブラジルでさえビザは不要となり、
世界に227ある国と地域の中で
未だに日本国民に対してビザを要求するのは
僅かに37のみ(電子ビザ、アライバルビザを除く)。
その数少ないビザ要求国の中でも
特にビザが取り難いとされるのがこのナウルです。
何故そんなにビザが取り難いのか?
その理由は旧ソ連諸国のような厳しい管理体制でも、
サウジアラビアのような宗教的事由でもありません。
ただ純粋に「全てが良い加減」だからなのです。
まず、入国管理局の公式サイトがダウンしていて
ビザを得る為の公式情報がネットで確認出来ない。
個人の旅行記から情報を得て
公式のメールアドレスにメールしてみたら、
そのメールアドレスまでダウンしていて届かない。
ネットの海から担当者のgmailアドレスを見付け出して
直接メールを送ってみたらまさかの休暇中。
代理の担当者にメールを送ってみたら
待てど暮らせどメールが返ってこない。
宿の人にメールを返すよう言ってくれと頼んだら
(宿の人と代理担当者は知り合いらしい。)
漸くビザ申請の為の申請用紙が届いて、
速攻で申請用紙を提出したら、
1週間くらいでビザが下りると返事が来たのに
3週間待っても何も音沙汰が無い。
痺れを切らして担当者の上司にメールしてみたら、
「ちゃんと仕事しろ」
というメールがCCに僕を入れて送られ、
そうしたら3時間でレターが届きました。
適当過ぎる…
あまりに適当過ぎて、レター無しでも強硬入国出来る
みたいな情報が散見されるくらいです。
(※Nadi国際空港のチェックインカウンターで
かなり入念にレターを確認されました。
レターが無いと搭乗拒否されそうです。)
そんな1ヶ月以上に渡る大変な苦労の末に
やっとの思いで手に入れたナウルビザを
みすみす無駄にはしたくなかった、
というのが大きな動機の一つになっています。
ちなみに、僕のビザの通し番号は何と6番目。
つまり、今年6人目の観光客なのです。
例によって政府が適当なので統計資料はありませんが、
ナウルを訪れる外国人観光客は
年間300~400人という推計があり、
世界一観光客の少ない国の一つとされています。
そりゃあ、あんな糞面倒な手続きをさせられて
世界遺産の一つも無いんじゃあな…
On Time(大嘘)
前日から遅延宣言すれば定刻とかいう謎論理。
しかも、この便はNauru(ナウル)終着のはずなのに
いつの間にかTarawa(タラワ)と
Majuro(マジュロ)にも行くことになっています。
色々と謎だな…
どうやら、TarawaとMajuroは便名が変わった後の
ON48便の行き先を表示しているようですが。
7:00発(10:30発)ON18便に搭乗。
いよいよです。
この便はガラ空きだな…
ATR42-600で十分なのでは。
改めて、さらばフィジーよ!
3時間のフライトですが、
かなりガッツリした機内食が供されました。
金満時代の名残り?
(以降、ナウル時間UTC+12.0h)
13:28、Nauru国際空港(ナウル国際空港)に到着。
遂に辿り着きました!
ツバルより更に小さい21km2の一島一国、
世界でも指折りの失敗国家、ナウル共和国です!
まずは苦労して手に入れたレターで入国します。
殆どの人はTarawaやMajuroへの乗り継ぎで、
この便でナウルに入国した観光客は僕一人でした。
だからなのかは分かりませんが、
「この国へ観光に来るなんて絶対におかしい。
何か裏があるに違いない。」
と言わんばかりの勢いで荷物を検査してきます。
ちなみに、メールで届くのはビザではなくレターで、
ビザ本体はスタンプでパスポートに押される
という方式でした。
このナウル、とにかく冗談みたいな歴史を持つ国です。
嘗て国土の殆どがアホウドリの糞由来の
良質な燐鉱石で覆われていた為、
その採掘によって莫大な富を築いて
1980年代には世界有数の一人あたりGDPを叩き出し、
税金ゼロ、住居も政府が無償で提供、
鉱石採掘で実際に働くのは外国人労働者なので
ナウル国民は一切働く必要無し、と
今の産油国など目じゃないくらい
この世の春を謳歌していました。
しかし、21世紀を待たずして燐鉱石が枯渇。
国民は働きたくないとかいうレベルではなく
「働いて生計を立てる」という
概念そのものを知らないという有様で、
経済はあっと言う間に破綻。
小さい島国で産業など何も無いものだから
国ぐるみでマネーロンダリングしてみたり、
オーストラリアに溢れていたアフガニスタン難民を
受け入れる見返りに援助を貰ったり、
「台湾は最高!台湾を国家承認します!」
→「中国こそ至高!中国を国家承認します!」
→「やっぱり台湾が(ry」
と、台湾と中国の間でころころ国交を結び直して
その度に援助を引き出してみたり、
他の国なら思い付いたとしても実行出来ないような
アクロバティック外交を繰り返しました。
しかし、それでもやっぱり財政が破綻して
ナウルへの唯一のアクセス手段だった国営航空が
オーストラリアの空港で飛行機を差し押さえられ、
更には国の通信機器が故障したことで、
近代国家一国が丸ごと物理的にも通信的にも
一切アクセス不可能になるという前代未聞の事態に。
現在ではその頃より少し状況が好転したものの、
それでも国民の失業率は驚異の9割という
文字通りの国民総ニート国家です。
何はともあれナウルに入国出来ました!
まずは宿へ向かいます。
空港から目と鼻の先にある民泊です。
何と言うか凄く建築途中みたいに見えるんですが、
ちゃんと竣工してるんですよね…?
さて、ツバルよりも更に赤道に近く、
ほぼ赤道直下に位置するナウル。
今は南半球の夏なので大差はありませんが、
ということは茹だるような暑さです。
ツバルより国土面積が小さいとは言え、
9つの環礁に分散していたツバルと、
1つの島に纏まっているナウルとでは
体感的な広さは後者の方が上です。
というか、そもそもFongafale Island
(フォンガファレ島)の大きさでも
原付無しでは熱中症で死んでいたので、
宿の女将さんに頼んで車で島を案内してもらいます。
国営のMenen Hotel(メネン・ホテル)。
現在増築中だとか。
ただでさえ観光客の少ないナウルで
どうしてホテルを増築する必要があるのかというと、
前述の通りナウルがオーストラリアから
難民を引き受けて援助を貰っていた時、
その当時は国連職員やらボランティアやらで
ナウルの数少ない宿泊施設は
慢性的に客室不足の状態に陥っていた為、
このMenen Hotelを増築することが決まったそうです。
しかし、今年の6月までにはナウルに居る全難民が
ナウルを去る予定になったのだとか。
それでも、一度決まった公共事業は止まらない。
何処の国も変わりませんね…
Anibare Port(アニバレ漁港)。
現在ではナウル唯一の漁港だそうです。
太平洋の只中で環礁も殆ど無いナウルは
かなり激しく波が打ち付けており、
殆ど風の無い今日も防波堤は波に洗われています。
そんなわけで、波の穏やかな漁港の中は
ナウルの人達にとって貴重な遊泳場になっています。
また、周りのAnibare Bay(アニバレ湾)は
ナウルで最も景色の美しい場所として
定番のピクニックスポットになっているそうです。
奇岩が聳えるAnibare Bay。
全て珊瑚礁由来のものです。
海岸沿いに残されたバンカー。
ナウルは1942年8月に旧・日本軍によって占領され、
太平洋に於ける戦闘拠点の一つとされました。
ミクロネシア連邦Chuuk(チューク)への
ナウル人の強制連行も行われており、
ナウルの初代大統領もその中に含まれていたそうです。
難民キャンプ。
難民が帰ったらどうするのかな?
ツバルにもあった台湾農園がここにもありました。
現時点でのナウルは台湾と国交を結んでいるようですね。
国の電力を一手に引き受けるディーゼル火力発電所。
近年はUAEからの支援により
太陽光発電所も建設されているそうです。
UAEは嘗ての資源大国の没落を見て
将来の自分の姿を重ねているのでしょうか。
流石にUAEはもっと上手く立ち回りそうですが。
Aiwo Port(アイウォ港)。
つい最近までは古い小さな漁港でしたが、
中国企業によってコンテナ船も接岸できるような
巨大な新港に改築されている最中だそうです。
またしても国交変更の兆しが…?
ただ、女将さんは
「燐鉱石ももうあまり採れないし、
難民も帰っちゃうって言うのに、
こんな港を造って一体何を積むのかね…」
と言っていました。
Aiwo Portの傍には嘗て燐鉱石の搬出に使われていた
カンチレバーの残骸も。
在りし日の栄華を今に伝えています。
こちらは燐鉱石精製所跡。
今でも燐鉱石の採掘は細々と続いているそうですが、
こんな大規模な工場を要するほどではないそうです。
島の中央部にあるBuada Lagoon(ブアダ・ラグーン)。
てっきりこれも鉱業関係の産物だろうと思ったら、
これは自然に元々あったものだそうです。
この池の周りには野生のマンゴーが多く生えており、
「昔はマンゴーの季節になるとやって来て
皆で採っては食べたものだけど、
最近はこの集落の人達が所有権を主張して
自由には採れなくなっちゃったね…」
と女将さんが言っていました。
原始共産主義から資本主義への遷移ですね。
また、嘗てはミルクフィッシュを
この池で養殖していたそうですが、
誰かがティラピアを放ったことで全滅してしまい、
しかも、ナウル人はティラピアを食べられないので
今となっては食料生産には使えないそうです。
華僑が自分の店で魚の缶詰を売る為に
ティラピアを放ってミルクフィッシュを…
というのは流石に考え過ぎでしょうか。
それこそ、華僑に訊いたらティラピアの食べ方くらい
幾らでも教えてくれそうなものだけど。
中国企業のダンプカーとすれ違いました。
内陸部から採石して新港での埋め立てに使うそうです。
燐鉱石採掘後の残土は有り余っているので、
ある意味では有効活用…なのでしょうか。
Civic Centre(市民センター)。
市民センターと言っても公民館ではなく、
郵便局やスーパーマーケットが集まった
複合型商業施設のようなものです。
ツバルと同じく郵便局ならお土産を買えるかも…
と期待しましたが、土曜日なのでお休みでした。
Gabab Channel(ガバブ水路)。
小さな漁船が出る為の水路だそうです。
周囲360°が太平洋なのだから、
当然漁業が主要産業になりそうなものですが、
流石は国民総ニート国家というべきか
偶に趣味で釣りをするくらいしかしていないそうです。
太平洋諸国がナウルのBoe District(ボエ地区)に介し、
気候変動についての声明を出したという
Boe Declaration(ボエ宣言)の記念碑。
ただ、僕はそもそもこの宣言の存在を知らなかったし、
宿の女将さんも内容を知りませんでした。
ナウルに来ると他国の官僚まで適当になってしまうのか。
Nauru国際空港(ナウル国際空港)の滑走路。
ツバルと違って立ち入り禁止です。
5年前まではナウルでも滑走路に立ち入れたとか。
5年前って何かあったっけ?
もしかして、9年前の同時多発テロへの反応なのかな?
Naoero Museum(ナウル博物館)。
燐鉱石の運搬に使われていた蒸気機関車が
入口の脇に静態保存されていました。
中も見てみたかったのですが、土曜日でお休み。
フィジーのNadi(ナンディ)ですらそうだったけど、
南太平洋の土日は本当に何もかもが休むんだな…
そして、最後に政府庁舎と大統領官邸。
滑走路によって島本体から隔離された位置にあります。
嘗てナウルが通信不能に陥った際に、
これらの建物が燃やされていたということがあり、
今でも原因は闇の中だそうです。
色々説明してもらいながら島を一周したのに、
40分で戻って来てしまいました。
流石は世界一小さい島国。
商店で飲料を買い、宿に戻って一休みします。
Nauru国際空港から離陸していく貨物機。
さて、これで今日の観光が終わりというのは
流石に勿体無いというものなので、
小休止を終えたら再び出掛けます。
しかし、徒歩で回るのは流石にキツい…
バスはあるのかと女将さんに訊いたら、
「ナウルでの主な移動手段はヒッチハイクだよ。
炎天下で暑いことは皆知ってるから、
道端で乗せてくれって頼んだらすぐ乗せてくれるよ。
何も危ないことは無いからやってみな!」
と言われてしまいました。
ヒッチハイクなんてやったことない…
ツバルで勝手に乗せてくれたことはあったけど。
まずは自分の足で行ける範囲を回るべく
空港の裏に延びる道を登ります。
燐鉱石を搬出していた鉄道の廃線跡を探して
地図にあったそれらしき記号の場所まで来てみました。
どうやら、現在では土砂運搬用ダンプカーの
専用道路に転用されているようです。
一応、レールも見付けました。
結構立派な規格のレールですね。
流石は元・成金国家。
海に突き出した埠頭のような場所があったので
気になってきてみたら、
カンチレバーが良く見えました。
カンチレバーを見学する為の展望スポット?
閉店中の郵便局の内部。
郵便関係だけではなく携帯電話用品も売っていますね。
広い意味での通信を扱っているということでしょうか。
同じCivic Centreに入っている
スーパーマーケットの品揃え。
カスタードクリームがミネラルウォーター並みにあります。
カスタードクリームってそんなに大量に使うものだっけ…?
ちなみに、ナウルは肥満率世界一の国としても有名です。
肥満を解消する為か、ただの暇潰しか、
海沿いでバレーボール大会をやっていました。
あまりやる気はありませんが。
勿論、ラグビーをやっている運動場もありました。
さて、徒歩で回れる範囲は精々この辺だな…
Ewa District(エワ地区)に行きたいけど、
やはりここはヒッチハイクするしかないのか…
って言っても、島民同士ならともかく
こんな見ず知らずの外国人なんか
そうほいほい乗せてくれるものかな…
乗せてくれた。
人生初ヒッチハイクはあっさり成功しました。
流石ナウル。
島のほぼ反対側に当たるEwa Districtに到着。
…あれ?島の反対側まで送ってもらったのは良いけど、
そのまま同じ方向に走り去っていったあの親子は
一体何処に向かって走っていたのだろう?
もしかすると、やることが無くて暇過ぎて、
車を持っている人は特に意味も無く島を周回して
ヒッチハイク待ちをしているのでしょうか?
ピックアップトラックの中には、
ヒッチハイクした人が座る用の
椅子まで用意してあるものも走っています。
最早タクシーとして営業すれば良いのでは…?
と思うのは資本主義に毒され過ぎでしょうか。
そんな商売っ気の無いナウルですが、
Ewa DistrictにあるこのEwa Lodge(エワロッジ)と
それに併設されたスーパーマーケット、喫茶店は、
宿の女将さん曰く
「ナウルで唯一上手く行っている個人商売」
なんだそうです。
今もオーストラリア人が何人か泊まっている様子。
一方、こちらはオーストラリア資本の高級(?)ホテル、
Budapest Hotel(ブダペスト・ホテル)。
何故Budapest(ブダペスト)なんだろう…
ナウルでは最高級のホテルですが、
勿論一般的に「高級ホテル」という単語で
日本人が想起するそれとはかけ離れています。
夕暮れで遊ぶ子供達。
そろそろ帰りたくなってきたけど、
この北海岸は住んでいる人が少ないからか
走っている車の数が激減してしまった…
何とか捕まえたのがこの車。
ヒッチハイクした人用の椅子が荷台にある
ヒッチハイク待ちピックアップトラックです。
運転手のScottyさんは
「オーストラリア人共からは金を取るが
お前は日本人だから無料で案内してやるぞ!」
と、頼んでもいないのに観光案内してくれることに。
「わしらで組んでナウルで日本車を売ろう!
そうしたらすぐに億万長者間違いなしだぞ!」
と連絡先まで渡してきました。
ちょっと胡散臭い。
女将さんの車では行けなかった
内陸部の燐鉱石採掘地帯です。
草が生えて見難くなっていますが、
黒い岩は全て採掘時に出た残土だとか。
こちらは現役の採掘地帯。
残土が白いです。
残土は時間の経過と共に黒ずんでいくんだとか。
燐鉱石の採掘に当たらせている…
わけではないと思いますが、
ナウル唯一の刑務所も内陸部にあります。
20人くらいが収容されているとか。
薄暮のGabab Channel。
もう宿まで徒歩圏内なのでここで降ろしてもらいました。
最後まで疑心は解けませんでしたが、
Scottyさんは本当に一銭も請求してきませんでした。
億万長者云々の件はナウルなりの
他愛も無い世間話だったんだろうか…
夕食はやっぱり中華料理。
“Pork Rice”なるメニューがあったので
豚肉を使った炒飯だろうと思って注文してみたら、
まさかの「豚肉炒め+白飯」でした。
味はそこそこ。
ツバルの方が美味しかったかな…
夕食を終えたら宿に戻ります。
滑走路への立ち入りこそ禁止されたナウルですが、
滑走路とターミナルの間を島一周道路が貫いており、
飛行機が駐機している時は通行止めになるという
中々エキサイティングなことをしています。
…あれ?時間的にはとっくの昔に
TarawaとMajuroをホッピングしたON48便が
Nauruに帰って来ているはずなんだけど…
ここが閉鎖されると宿へ帰る為に
5km近く遠回りを強いられるので、
好都合と言えば好都合ですが。
結局、定刻(16:40)から4時間以上遅れた
21時前に着陸していました。
その所為で、昨日の時点で既に
1時間35分の遅延宣言メールが届いていた明日の便が、
更に1時間遅延することが確定したそうです。
無限に遅延が波及していく感じなんですかね?
Nadiでの折り返し便が遅れるのはともかく、
何故本拠地のNauruで夜間停泊するのに
翌朝の便まで遅延が繰り越されるのか。
まさか、操縦士が1人しか居ないのか…?
何と言うか、ツバルとかともまた違った奇怪な国です。
脚注
※「ナウル入国管理局の公式サイト」
先月まで1年近くに渡り閲覧出来ない状態が続いていたが、
つい最近復旧したらしい。
但し、今度はナウル航空の公式サイトが不調になっている。
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