7:46、起床。
素晴らしきかな三連休なので今日も休みです。
こんなにも天気が良いから今日は白雲山へ…
というのもちょっと頭を過りましたが、
流石にそこまでの山馬鹿ではないので
今日は休息も兼ねて妙義山周辺を観光します。
まずやって来たのは碓氷峠鉄道文化むら。
これまで幾度となく群馬県を訪れておきながら、
ここにはまだ来ていませんでした。
碓氷峠は急勾配で名を馳せた難所で、
ここを通った信越本線は、旧国鉄の路線としては唯一
通常のレールに歯形のラックレールを組み合わせた
アプト式を導入していました。
普通のレールだと滑って登れないような急勾配に使われる
特殊な形式の線路です。
しかし、構造が複雑なアプト式は
通常のレールよりも遥かに保線費用が嵩んだ為、
昭和38年に粘着式鉄道(所謂普通の鉄道)に
転換される形でアプト式の旧線が廃止。
それでも、国鉄一の急勾配であることは変わりはなく、
最大66.7‰というこの急登を乗り越える為には
特注の機関車を2両連結してやらねばならず、
やはり運行費用は馬鹿になりませんでした。
その為、碓氷峠を越える軽井沢-横川間は
北陸新幹線が長野まで開通した際に
第3セクター化されることもなく廃止されました。
ちなみに横川駅は駅弁峠の釜飯でも名を馳せました。
専用の機関車に付け替える際に
列車が横川駅での長時間停車を余儀無くされていたことから
特に駅弁需要が高かった
…という理由なのだと思い込んでいましたが、
当時としては画期的な温かい駅弁(土釜は保温性が高い)
というところがウケたのであって、
横川駅という立地が大ヒットの主要因ではないそうです。
とはいえ、駅弁が有名なことには変わりないからか
弁当を持ち込んで食べられる展示車両もありました。
窓の締め切られた走行音の無い車内で黙々と弁当を食べる様には、
駅弁という言葉の響きから想起される
風の吹き抜けるような爽やかさなど欠片もありませんが。
国鉄信越本線の廃線跡、
めがね橋こと碓氷第三橋梁にも来てみました。
賑わっていますね。
橋の上は遊歩道になっています。
元々は東海道本線よりも有力な中山道本線として
京都と東京を結ぶ路線の一部になることを見越して造られた為、
非常に幅広の立派な橋梁です。
そして、徒歩でもキツいと感じるほどの急勾配です。
ここを長大な編成の列車が駆け抜けていたとは信じられません。
実はこの橋だけではなく、
13kmにも及ぶ区間が「アプトの道」の名の下に
遊歩道として整備されています。
が、表妙義を縦走した翌日には
片道13kmも急坂の遊歩道を歩く気力も時間もありません。
橋の上からはもう1本橋が見えます。
あれは昭和38年に建設された新線です。
一瞬北陸新幹線かと思いましたが、
新幹線が走っているのはもっと遥かに奥です。
そのまま碓氷峠を越え、再び山に分け行って
白糸の滝に来てみました。
この滝、普通の滝とは違って上流には一切川が存在しません。
じゃあ何処から水が来ているのかというと、
全て浅間山の伏流水です。
こんな勢いで水が地下を流れているんですね。
上の写真だと、山奥に隠れた
知られざるスポットのようにも見えますが、
実際にはこんな感じです。
山奥とは思えない混みっぷり。
それもそのはず、ここの所在地は…
日本一有名な避暑地、長野県北佐久郡軽井沢町です。
まともに軽井沢を見るのは初めてな気がする。
秋の三連休の軽井沢ということで何処も混んでいます。
比較的空いていたログハウス風の喫茶店を見付けて昼食。
自分で運転して峠を越えてくると一味違いますね。
あまり長居すると帰宅ラッシュに巻き込まれそうなので
昼食を終えたら早々に退散します。
下りはITの運転で。
梢の間から妙義山がチラリと見えました。
どう見ても人間が登る山の形じゃないですね…
昨日あそこに居たとは信じられません。
そう言えば、軽井沢だけではなく
群馬県側でもこれまで素通りしていた観光地があったので
最後に寄っておきます。
世界文化遺産にも登録された富岡製糸場です。
蚕に繭を作らせる装置も展示されていますが、
富岡製糸場で行われていたのは
購入した繭を乾燥させるところからです。
この暗いひんやりした蔵は繭を保管する置繭所。
繭の取れない冬の操業に備えて貯蔵すると共に、
繭を等級別に分ける選繭が行われたりしていました。
壁には繭(を入れた袋の数?)を計算した跡が。
13×6の値は一度計算すれば分かるんだから、
寧ろ78×6-1とかを計算するべきでは。
何百人もの工女が働いていた繰糸所。
煮た繭から糸を引り出して撚る工程で、
製糸場と言えばこのイメージではないでしょうか。
実は案外福利厚生が充実していたそうです。
昭和62年まで操業を続けていただけあって
思ったよりも新しい機械ですね。
こちらは役員用の社宅。
今は生きた蚕が展示されていたり、
座繰り体験が出来る施設になっています。
これだけの巨大工場を要した企業の役員なのに、
社宅は案外質素なんですね。
本当の上級役員は普通に豪邸を買うのかも知れないけど。
碓氷峠を越えて帰ってきたということで、
最後に峠の釜飯を食べて今回の登山は終了です。
良き山納めであった。
コメント