(無題)

インドネシア旅行第3日目。
Molek(モレック)に乗ります。

4:45、起床。
5時出発だと言われたので余裕を持って起きましたが、
インドネシア時間なのか結局5時半になっていました。
Ketahun(ケタフン)から奥地へと向かいます。


熱帯雨林の中の未舗装路を走ります。
鉱石を運び出すトラックが走っているからか、
未舗装路ながら路面状態は良好です。


鉱山の沈殿池。
これから向かうのも鉱山です。


高さ制限のゲートを過ぎると
道がいよいよ本領を発揮してきました。
とは言え、エチオピアのあの道を経験した後なら
こんなのはどうってことありません。


でも、この道をバイクで2人乗りするのか…
蕎麦屋の出前も吃驚の平衡感覚ですね。


Ketahunから1時間半ほど走ったところで現れた
Ulok Kupai(ウロッ・クパイ)の食堂に入って朝食を食べます。
Nasi Uduk(ナシ・ウドゥッ)という、
Tempe(テンペ)にIkan Putih(イカン・プティ)という
味も食感も見た目もまんま煮干しみたいな小魚を混ぜた
ピリ辛ソースをご飯にかけたものです。
インドネシアはカンボジアとかマレーシアよりも
料理が日本人の好みに合っている気がする。


朝食を終えたら、熱帯雨林の中を更に走ります。


Napal Putih(ナパル・プティ)に到着。
お目当てのMolekの起点となっている集落です。


急に裏路地へと入り始めました。
こんな道の先に駅があるのか…?


誰かの民家に到着しました。
誰の家だ…


あっ、Molekがある!
…そろそろMolekについて解説しておくと、
Molekとはこの地域に敷かれた軽便鉄道のことで、
“MOtor Lori EKspres”
(原動機付トロッコ急行)の略だとか。
インドネシア語で“molek”は
「可愛い」という意味の単語でもあるそうです。
極稀に日本でも紹介されることがあるのですが、
P会OBの方が上げていた写真に衝撃を受けて
居ても立ってもいられなくなったというのが、
今回インドネシア行きを決めた最大の理由です。


しかし、ここで便意を催して
居ても立ってもいられなくなってしまいました。
覚悟を決めるしかない…
民家(駅?)のトイレを借ります。
和式だ…
ただ、毎回便器を水で丸洗いしているからか
洋式に比べてあまり汚さは感じません。
少しインドネシアのやり方に慣れてきた…ような。
お尻の処理には持参した紙を使わせてもらいましたが。


閑話休題、Molekは公営というよりも、
遥か昔19世紀初頭にオランダ東インド会社が敷いた線路で
村人達が乗合バスのように走らせている感じなので、
こんな風に個人宅の軒先に置かれており、
思い思いの塗装が施されています。
このMolekには三菱のようなマークが。
エンジンはカワサキ製でしたが。


曲がりなりにも鉄道(それも単線の)ということで、
一応時刻表らしきものがあるらしく、
「9時」まで猫と戯れたりしながら待ちます。


あれ?っていうかこのMolek、
線路が繋がってないんじゃないか?
そもそも直角に交わっているし。
どうするのかな…


と思っていたら人力で車体を持ち上げて…


人力で車体を回転させて線路にはめていました。
何という力業。
軸間距離の短過ぎる一見不格好な車体は
テコの原理で持ち上げやすくするためのものなんですね。
誰か分岐器や転車台の概念を教えてあげるべきでは。


インドネシア時間の9時、
即ち9:40に出発しました!
民家の裏の草茫々な線路を走ります。


それにしても遅い!
早歩き程度の速度しか出ていません。
民家で飼われているヤギも
余裕の面持ちで線路を歩いています。


Napal Putihの集落はすぐに終わり、
いよいよ熱帯雨林の中に突入です。
Molekは側面に窓ガラスがはめられていないので
草木や虫が容赦なく入り込んできます。


泥濘んだ箇所では路盤が車重に耐えられず、
屡々つんのめって停車しています。
保線という概念は無いのかな…?


泥に覆われて線路が全く見えません。
これでもちゃんと(?)走れているのだから、
鉄道というのは凄いですね。


今にも崩れ落ちそうな橋梁が現れました。
ガイドさん曰くオランダ統治時代の遺構だそうなので、
築100年は経っていることになります。
幹線の普通鉄道ならばともかく、
簡易軌道で大して補修もせず100年以上使っているとは
はっきり言って正気の沙汰とは思えません。


もう1本ボロい橋が現れ
ぐおっ!
飛び出していた枝が入ってきて右目をやられた…
運転手だけでなく乗客も気を抜けない鉄道ですね…


この軌道を見せられて廃線ではなく
現役の路線だと答えられる人がどれほど居るだろうか。


良く見ると線路が微妙に途切れている箇所が
そこかしこに存在しており、
そういう箇所では1km/h以下にまで速度を落として
慎重に車輪を線路にはめていきます。
いや、保線して線路を繋げるべきでは。
某JR西○本も驚きの保線削減ですね。


数分に1回くらいのペースで脱線し、
後退もできず二進も三進もいかなくなると
車掌(?)が飛び降りて車体を持ち上げ、
力ずくで線路に戻しています。
鉄道に対する固定観念を悉く崩してきますね。


また危なっかしい橋が現れました。
何かもう橋の入口からして線路が宙に浮いているけど
これ本当に大丈夫なんだよな…
え?ここで降りろ?


何と、乗客を載せたままでは危険ということで
徒歩で橋を渡されることになりました。
それはそれで怖い。


翡翠色の綺麗な川です。
落ちたくはありませんが。


これは最早鉄骨渡りの域では。
右に思いきり傾いているけど、
本当に列車が渡れるものなのか…?


意を決して列車が動き始めました!


うおぉぉっ!
見ているこっちが緊張する!
運転手は顔色一つ変えず突破していました。
プロだな…


保線状態は益々悪くなる一方で、
車掌は最早列車を降りて徒歩で先行し、
随時保線しながら進んでいます。
リアルに歩いた方が早い。


2時間ほど走ったところで途中駅(?)に到着。
ここで暫く昼食休憩するそうです。
昼食休憩と言っても周囲には何も無いので
ご飯は持参しておかねばなりませんが。


反対方向からもMolekがやって来ました。
どうやら列車行き違いの為の運転停車も兼ねているようです。
でも、交換の為の側線とかは一切見当たらないけど、
単線で一体どうやって交換するのかな… 


何て思いつつ眺めていたら
人力でMolekを回転させ始めました。
何と、それぞれの方面からやって来たMolekを
各々回転させて折り返させて
乗客と荷物を移し替えるのか!
逆転の発想ですね。


貨車は側線(線路に垂直に並べられた2本の木の棒)へ
待避させて、Molekの転回が終わってから
力ずくで本線に戻していました。
意地でもポイントは設けないという強い意志を感じる。


えらく長いこと待たせるので
地元の人達と話したり昼寝したりしていたら、
次から次へとMolekがやって来て
待合室は人で溢れてしまいました。
こんなに沢山の人が使っているんだな…


どのMolekも気合の入った塗装です。
某JR西日○も見習うべきでは。


ザンビア国旗みたいな塗装の
WE ARE THE LEGEND号に乗り込みます。
2時間半の休憩を終えて再出発です。


2台のMolekで続行運転。
橋は1台ずつ渡ります。


前のMolekもちょいちょい脱線しています。


この路線は終点の集落へ通じる
唯一無二の交通機関というだけでなく、
沿線の農園の物資輸送手段も兼ねているらしく、
仮乗降場(?)で野菜を積み込んだりしています。


再び乗客に降りるよう指示がありました。
ここは橋ではないのですが、
どうやら土砂崩れが起きて
村人達が再建した箇所のようで、
路盤が丸太で組まれています。
まあ、ホワイトサイクロンも木造だったし、
そんなに突拍子もない話ではない…かも?
感覚が麻痺してきていますね。


右手に川が沿うようになって来ました。
高度感があって中々怖いです。


この辺りは断崖を削って線路が敷かれており、
車両限界がかなり厳しいです。
Molekの大きさはどうやらここで決まっているらしく、
崖すれすれを擦るようにして走っています。


一方、全線で3本あるというトンネルは
手掘りながらかなり広く、
余裕で通り抜けることができます。


集落の入口を示す石碑が現れました。
もう少しです。


最後にもう一度川を渡ると…


遂に集落が姿を現しました!


16:02、Lebong Tandai(レボン・タンダイ)に到着。
Napal Putih出発から実に6時間22分。
路線延長は30kmだそうなので
標定速度は驚きの4.7km/h、
途中の2時間半の運転停車を抜いたとしても
平均速度7.8km/hという、
間違いなく世界で一番遅い鉄道の一つでしょう。
それでも、このLebong Tandaiにとっては
外界に出る為の唯一無二の手段なのです。


当然のことながらこんな地に宿があるはずもなく、
今夜は村長のお宅にホームステイさせてもらいます。


村長のお宅にあった棚。
可愛らしいペンギンの脇に
「うおぉーっ エキサイテングだぜーっ!!」
と日本語で書かれているけど、
そんなにエキサイテングな要素は無いような…


そして、こちらが便所兼浴室。
来るところまで来た感がありますね。
山の上からの湧き水を引いているそうで
水の勢いが激しいです。


荷物を置いて一服したら、村の散策に出掛けます。
そもそもオランダがこんな奥地にまで鉄道を敷設し、
それが今もなお使われ続けているのは
この地に金鉱脈があるから。
Monumen Nasional(独立記念塔)の頂上にあった
純金で象られた炎の像は、
ここで掘られた金を使って作られたのだそうです。
日本で言う佐渡島みたいな存在なのでしょうか。


まずは学校みたいな建物に入り、滞在登録をします。
この建物は嘗てこの地で操業していた
Lusang Mining(ルサン鉱業)社が
役員の宿泊所などとして使っていたそうです。


滞在登録を済ませたら集落の奥の方へ。
Lebong Tandaiには隅々にまで
Molekの線路が引かれています。


年季の入った吊り橋。
オランダ統治時代の遺構だとか。
勿論現役です。
築100年超えの吊り橋…
オランダの建築技術を褒めるべきか、
Lebong Tandaiの人々の物持の良さを讃えるべきか。


もう1本架かっているこちらの橋は
Lusang Mining社によるものだそうです。


Molekも走れる併用橋になっています。
動力の無い手押しのRolly(ローリー)しか走らないそうですが。


その先には坑道が。
この坑道は5kmもの長さがあり、
最深部まで行くには2時間を要したとか。


鉱石から金を選別する機械。
村の動力は全て湧き水や川による水力に頼っており、
この機械も電気やガソリンを一切使わない
水力100%のとってもエコな造りです。


オランダやLusang Mining社が去った今、
この村の鉱業は極めて原始的な方法に立ち返っており、
薬品等を一切使わずに金を取り出しているそうです。
環境保護という点ではある意味最先端かもしれない。
これは鉱石を粉々に砕く装置で、
動力源は勿論水力です。


集落を離れ、更に奥へと進みます。


どん詰まりに川へ下りられる場所がありました。
オランダがボートの発着所として
使っていた場所だそうです。


今では釣りスポットらしく、村人が釣りをしていました。
朝に食べたIkan Putihを釣っているそうで、
釣り針ではなく網を使っていました。


今度は川の左岸を歩きます。


危なっかしい飛び石を進んでいくと…


廃止された坑道がありました。
これがオランダ統治時代の坑道だとか。
今では完全に放棄されており、
地下水が溜まって立ち入れなくなっています。
暗くなってきたので今日の散策はこれにて終了。
村へと戻ります。


村に戻ると皆からえらく記念撮影を求められました。
話を聞く限り、観光客は多くはないにしても
決して皆無というわけではないし、
まして日本人は極度の鉄オタが多いから
そんなに物珍しくはないと思うんだけど、
このスレていなさは一体何なのだろう…
世界の観光地は見習うべきですね。

昨夜はチキって下半身を洗うのみに留めてしまいましたが、
今日は意を決してマンディしました。
暗くてトイレが良く見えないのと、
水流が激し過ぎるのとで汚さはあまり感じません。
ただ、湧き水だから冷たい!
しかし、浴びると不思議と身体の芯から熱が出て
お風呂に浸かった時のようにポカポカしてきます。
単に気温のせいかもしれませんが。
その後夕食を済ませると、
日本人観光客がやって来たという噂を聞き付けて
村人が続々と訪ねてきました。
記念写真を撮ったり、お宅にお邪魔したり…
まるで有名人にでもなった気分です。
誰かと間違えているわけじゃないよね…?
夜通しお祭り騒ぎで…
なんてことは流石になく、
イスラム教でお酒を飲まない村の夜は早いので
21時半過ぎには就寝しました。

コメント