インドネシア旅行第2日目。
今日からこの旅の目玉である
Sumatera(スマトラ)を巡るツアーの始まりです。
5:30、起床。
眠い…
まあでもチェックインカウンターはすぐそこだから
ギリギリまで寝られるのは良かった…
朝食は丸亀製麺を見付けてしまったので
気になって入ってみました。
チキンカツカレーうどん。
Yerevan(エレバン)の日本料理屋のうどんは
うどんを名乗るうどんのような何かでしたが、
流石丸亀製麺は日本と全く変わらぬコシと喉越しです。
Rp.60,000(約470円)というのは
インドネシアの物価からすると結構お高めですが、
(日本で言う1,500円くらいの感覚?)
早朝から結構お客さんが入っていました。
空港価格として容認されているのでしょうか。
丸亀製麺の他にも、吉野家やらビアードパパやら
日系の飲食店がえらく多いです。
これまで行った国の中で一番多いかも知れません。
何故これほどまでに日本企業が
積極的に進出しているのだろう…
余裕をこいていたら搭乗口が巨大なターミナルの端っこで
危うく乗り遅れそうになりましたが、
7:25発GA296便に搭乗。
8:48、Fatmawati Soekarno空港
(ファトマワティ・スカルノ空港)に到着。
Sumatera南西部の街、Bengkulu(ブンクル)です。
Fatmawati Soekarnoとはインドネシアの初代大統領
Soekarno(スカルノ)の第一夫人です。
ここBengkulu出身なんだとか。
さて、これから向かおうとしている場所は
インドネシア人でさえ滅多に行かないようなところで、
インドネシア語で数字も数えられない僕一人では
熱帯雨林で文字通り行き倒れてしまうので、
事前に現地旅行会社にガイドの手配を頼んであります。
僕一人に対して英語のガイドと運転手
(後に目的地の村の地元ガイド)という
ソマリランドで手配していたのよりも手厚い体制。
まあ、日本の感覚からしても高い金額を払ったからな…
まずはDanau Dendam(デンダム湖)の畔で
ウェルカムコーヒー。
ココナッツの殻を容器にしています。
スダチくらいの大きさのレモンが添えられているので、
まさかコーヒーに入れるのかと訊いたら
肯定されたのでちょっと驚きましたが、
やってみたらこれが中々合いました。
ここのコーヒー店は今売り出し中だそうで、
日本語と英語で宣伝動画を撮らされました。
もっと良い見た目の人を使うべきでは。
ガソリンのような臭いがしていたので
ドリアンがあるのかと訊いたら、
Nangka(ナンカ)という果物だと言われ、
目の前で割いてくれました。
(日本名はパラミツ、英語ではジャックフルーツ。)
アーモンド大の種子の周りに
ねっとりとした食感の果肉がくっついており、
一切の酸味を感じさせない強烈な甘さです。
口の中の水分を持っていかれるので
果物なのに飲み水必須です。
続いてやって来たのはMasjid Jamik(マスジッ・ジャミッ)。
Masjidとはインドネシア語でモスクのことです。
Soekarnoが1938年から1942年まで
オランダ領東インド政府によって
この地に流刑されていた時に改装したのだとか。
モスクの中はこんな感じ。
Prishtinë(プリシュティナ)にあった
Xhamia e Fatih(ファーティヒ・ジャミーア)と同じく
礼拝の時間はデジタル時計で厳密に管理されています。
世界共通のシステムなのでしょうか。
お次はFort Marlborough(マールボロ砦)。
オランダ東インド会社が来る前、
イギリス東インド会社が造った要塞です。
敷地内には大量の大砲が置かれています。
イギリスのものだけでなく
オランダのものも交じっており、
イギリス製のものは女王陛下の
王冠のマークが描かれているのですぐに分かります。
オランダも王国なのにそういうマークは無いんだな…
博物館もあるのですが、
説明が全てインドネシア語で書かれており
全く理解できません。
マレー半島縦断の時の経験から
東南アジアは英語の普及度が高いと思っていましたが、
インドネシアについてはそこまででもないようです。
勿論、中南米やロシアに比べたら高いですが。
インドネシア語を勉強しておけば良かった…
インドネシアにもあった顔ハメ看板。
ハメているのは運転手さんです。
Fort Marlboroughの側にはチャイナタウンがあります。
しかし、通りには殆ど人が歩いておらず、
チャイナタウンらしからぬ活気の無さです。
次はRumah Kediaman Bung Karno(ブン・カルノ邸宅)。
Bung Karnoは「カルノ兄貴」の意味で
Soekarnoのことを指します。
Soekarnoが愛用した自転車などが展示されています。
庭には顔を洗う用だという井戸もありました。
インドネシアには頻繁に沐浴する習慣があるそうです。
で、ここで何よりも衝撃を受けたのがこの公衆トイレ。
トイレットペーパーが無いのは完全に想定内だし、
便座が無いのもキューバで経験済み。
しかし、バケツから水をすくって
それを使ってお尻を手で洗うというのと、
何よりも承服しがたいのが
このトイレが土足禁止のエリア内にあって
なおかつスリッパも何も置かれていないということ。
つまり、「裸足で」この水浸しのトイレに
踏み入っていかねばならないのです。
便意を催さなかったことだけは幸いでしたが、
用を足した後に件の井戸で足を洗いまくったことは
言うまでもありません。
カルチャーショックを受けた後は昼食です。
Patin(パティン)という川魚のスープ。
サバに似た味で中々美味しいです。
ただ、辛くないと言ってたのに普通に辛いじゃないか…
Sumateraの料理は基本的に全て辛いので、
現地の人の「辛くない」は信用なりません。
ガイドさんと2人前でこの量。
インドネシア人は大食いなのか…?
日本でも一時期話題になった大豆の発酵食品
Tempe(テンペ)の揚げたやつが特に美味しかったです。
納豆好きなら絶対にハマります。
さあ、昼食を終えたらいよいよ都市部に別れを告げ、
Sumateraの奥地へと歩を進めていきます。
道も舗装されていないような土地ですが、
ほぼ全ての家がパラボラアンテナを付けています。
辺境の地だからこそ通信環境に力を入れるのでしょうか。
沿道も熱帯雨林と見せ掛けて
実はその多くがゴムのプランテーションです。
ゴムはインドネシアの主要な生産物の一つ。
だからなのかは分かりませんが、
インドネシア人の時間感覚もJam Karet
(ゴム時間)の名で広く知られています。
ちょっとした街に辿り着きました。
今夜の宿があるKetahun(ケタフン)です。
これが宿。
Losmen(ロスメン)というタイプの宿で、
日本で言うところの安宿とか
ビジネスホテルみたいな感じの宿泊施設です。
この街では一番立派だそうですが。
部屋はこんな感じ。
地階で光は入って来ず若干湿気ていますが、
かなり広くてベッドも立派です。
しかし、トイレ兼風呂はやはりインドネシア式…
トイレットペーパーやシャワーなんてものはありません。
宿で一休みしてから町を散歩してみます。
東南アジアらしくバイクの多い町です。
町の玄関口であるバスターミナル。
ただ、今はバスが1台もいません。
ここは終点ではなくただの中間点なのでしょうか。
バスターミナルの周りには屋台が並んでいたので、
僕も一つ買って食べてみました。
これは白身魚のつみれを焼いて辛いタレに着けたもの。
香ばしくて美味しいです。
でも、やはり日本人には辛い…
辛さで喉が渇いてしまったので
売店に入って冷蔵庫を見てみたら
何とヤクルトが山積みになっているではありませんか。
ガイドさん曰く、ヤクルトはインドネシアでも人気なんだとか。
日本では殆ど飲みませんが、
インドネシアで見るとやけに美味しそうに見えるので
纏め買いしてしまいました。
夜は地元の食堂へ。
勿論Nasi Goreng(ナシゴレン)です。
ここまで来ると観光地要素は皆無で
インドネシア人によるインドネシア人の為のNasi Gorengですね。
やはり美味しい。
外れの無い料理を持っている国は強いです。
さあ、明日はいよいよジャングルの奥地へと向かいます。
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