九州北部旅行第1日目。
台風の中を突き進みます。
7:00、起床。
本来なら福岡市の島を訪れる予定だったのですが、
当然の事ながら全便欠航しているので断念。
なら乗り潰しでもするか…
今日から秋の乗り放題パスが使えるようになったので。
しかし、JR九州のダイヤも大混乱。
ほぼ全ての路線で遅延、減便、運休が発生していて、
予定を組んだところで全く役に立たなさそうなので、
アドリブで行く事にしました。
8:59発JR篠栗線快速直方行きに乗車。
沿岸部の路線は厳しそうなので、
内陸部を攻める事にします。
というか、博多駅を出発する列車の中で
まあまあまともに動いていたのがこいつだけでした。
が、篠栗駅まで来たところで
強風の為に運転見合わせ。
雨は殆ど降っていないのですが、
風が凄くて停まっていても脱線しそうなほどに揺れます。
焦ったところでどうしようもないし寝るか…
幸い、1時間弱で運行は再開しました。
篠栗駅を出ると博多から続いていた市街地は終わり、
山間部になってきます。
その割には立派な高架線になっていて、
だからこそ強風の影響を受けやすいのでしょう。
城戸南蔵院前駅で列車行き違いの為また止まったり、
ちょこちょこ遅れは積み増されていきます。
10:47、新飯塚駅に到着。
まるで狙ったかのような見事な遅れだったので
そのまま10:49発JR後藤寺線普通田川後藤寺行きに乗り換え。
1時間に1本しかない路線なのですが、
篠栗線が丁度1時間遅れたので1本遅らせるだけで済みました。
この後藤寺線は殆ど唯一と言っていい、
現在の台風影響下の福岡県で
完璧な平常運転を行っている路線です。
という事は、JR東海で言うところの東海道新幹線みたいに
JR九州の屋台骨を担う超重要路線かというと、
単線非電化1両編成ワンマン運転という事から
火を見るよりも明らかな通りそんな事は一切なく、
単に総延長13.3kmと短い上に
線内で折り返し運転をしているので
影響を受けにくいだけです。
この後藤寺線は筑豊地域の他の例に漏れず
鉱産資源の輸送を目的に敷かれた路線で、
船尾駅はセメント工場の真っ只中にあります。
今はもうトラック輸送に切り替わっているようですが…
11:10、田川後藤寺駅に到着。
何という寂れきった駅前でしょう。
煤けた建物からは生気というものがまるで感じられません。
その昔は人でごった返していたのでしょうか…
11:38発JR日田彦山線普通小倉行きに乗り換え。
11:42、田川伊田駅に到着。
ここもまた寂れていますが、
駅舎はそれと全く釣り合わないほど立派です。
イギリスを手本にした本州とは違って
九州の鉄道はドイツ人に指導を仰いでおり、
ドイツの重厚な鉄道造りの影響を色濃く残しているのだそう。
田川伊田駅からちょっと坂を上って
やって来たのは田川市石炭記念公園。
そう、この地域は嘗て栄華を極めた筑豊炭田の中心部。
全盛期には蜘蛛の巣の如く鉄道が敷かれ、
至るところで石炭を掘っていたのですが、
エネルギー革命によって石炭の需要は激減。
昭和60年代に次々と鉄道路線は廃止され、
街も衰退の一途を辿ったのです。
ここには旧・三井田川鉱業所伊田竪坑櫓が残されています。
明治日本の三大竪坑の一つで、
田川地域の深部採炭を支えました。
このケージに乗って深さ300m以上まで吊り下げられるのだとか。
想像しただけでお尻がむずむずしてきますね…
炭鉱内で使われた電気機関車なんかも展示されています。
多分、現役時代よりも綺麗に塗装されていますね。
公園から街の方を見遣るとボタ山が見えました。
ボタ山とは石炭を掘る際に出た土を積み上げて出来た山で、
田川地域で現存しているのはここだけだそうです。
折角なのでもう一つ現存しているもの、
嘗ては石炭の輸送に使われ、その後第3セクター化された
平成筑豊鉄道に乗ってみます。
田川伊田駅はかなり重要な駅の筈なのに、
切符販売すらしていないのか…
相当に合理化を進めているようですね。
12:24発平成筑豊鉄道伊田線普通直方行きに乗車。
LINEスタンプを売り込んでいます。
12:36、金田駅に到着。
九州にはUSA駅もカナダ駅もあります。
12:45発平成筑豊鉄道糸田線田川後藤寺行きに乗り換え。
高級感の漂う車両ですが、
この糸田線は平成筑豊鉄道の中でも特に利用者の少ない路線。
次にこの地域へやって来る時まで残っているか不安だったので
この機会を逃すまいと乗ってみました。
では何故そんなに利用者が少ないのかと言うと、
その理由は地図を見てやれば一目瞭然で、
糸田線は全線に渡って伊田線と並走しており、
しかも全駅が伊田線の駅から1.5km以内に位置していて
列車本数は伊田線の方が多いとあれば、
寧ろ何故この僅か6.8kmの路線が
今日まで生き延びられたかの方が不思議です。
豊前大熊駅で僕以外の唯一の乗客が降りて
文字通り貸切状態となってしまいました。
良くこれでやっていけてるな…
糸田駅で2人乗ってきましたが。
12:58、田川後藤寺駅に到着。
戻ってきました。
さて、昼食を食べねばなりません。
果たして、この寂れきった町に飲食店はあるのか…
ネットで出てきたお店を片っ端からあたってみましたが、
台風の所為なのか本当に潰れてしまったのか
何処も固くシャッターを閉ざしています。
仕方がないので、駅前の商店街で
唯一営業していたお菓子屋で慰め程度のお菓子を購入。
駄目元で女将さんに食事処が無いか訊いてみると…
すぐ隣にありました。
何故見逃していたのだろう…
やはり地域の事は地元の人に訊くのが一番ですね。
13:46発JR日田彦山線普通添田行きに乗車。
14:02、添田駅に到着。
この先は平成29年の豪雨以降不通になっています。
日田彦山線の県境区間は大赤字路線の一つで、
JR九州は地元自治体と協議を進めており
復旧はかなり絶望的な状況。
せめてJRとして代行バスが運行されている内に
形だけでも乗っておこうという次第です。
14:20発JR日田彦山線代行バス日田行きに乗り換え。
えらく駅から離れた場所にバス停があるんだな…
日田彦山線の名前の由来にもなった彦山駅。
仮に添田以南がこのまま廃止されるとすれば
日田彦山線は日田にも彦山にも通じない路線となります。
ちなみに、駅名の由来となった「ひこさん」は
本来「英彦山」と書くようです。
彦山駅の南にあるこのM字型の山
と言うべきか、V字型の巨大な切り通しと言うべきか、
これがどのようにして出来たかご存知でしょうか。
時は太平洋戦争末期、小倉にあった火薬庫を空襲で失った軍は
新たな火薬の貯蔵場所として当時まだ建設中だった
日田彦山線彦山-宝珠山間にあった2つのトンネルに目を付け、
特に二又トンネルというトンネルには
実に53トンを超える大量の火薬が搬入されました。
戦後にこの火薬を見付けた占領軍はその処理に於いて
「火を点けて燃やす」という方法を取る事にしました。
そんなの爆発するに決まってるじゃんと思われるかも知れませんが、
火薬というのは輸送などの際に簡単に爆発してもらっては困る為、
信管や雷管などによって起爆されて初めて爆発するようになっています。
なので、ゆっくり燃やしてやれば爆発を起こす事なく
火薬を無力化する事が出来る…筈だったのです。
しかし、あまりの火薬量に火はどんどん強くなり、
最終的には臨界点を超えて大爆発。
その爆発は山を丸ごと吹っ飛ばすというとんでもない威力で、
150人近い死者を出す大惨事となってしまいました。
今でも近くの踏切、その名も「爆発踏切」にその跡を残しています。
日田彦山線の全通を遅らせる最大の原因となった釈迦ヶ岳越えは、
少し西にずれた国道211号を走ります。
その為、釋迦岳トンネルを出てすぐの場所にある筑前岩屋駅は
この区間を走るバスでは経由せず、
筑前岩屋始発の区間便が別途設けられています。
そんな険しい峠越えなのだから
きっと県境だろうと思っていたのですが、
峠を越えた先も福岡県の東峰村でした。
このバスは筑前岩屋駅を経由しない代わりに
東峰村役場前に停車します。
村の人にとっては寧ろ便利になった…
と思わせる事でバスへの転換を進めようという
JR九州の意図が透けて見えますね。
橋の上に橋を架けるという意味不明な橋。
下の橋はかなり歴史がありそうだけど、
もしかすると旧線なんだろうか。
15:16、夜明駅前バス停に到着。
大行司駅で県境を越えて大分県に入っていました。
ところで、肝心の夜明駅が見当たらないんだけど…
あ、バス停の裏の法面の上にあったのか。
初見では中々分かりづらいですね…
これがJR日田彦山線としての終点である夜明駅。
ここでJR久大本線に接続しており、
代行バスは全て日田駅まで直通しています。
夜明駅の駅舎内には地元の園児達が作った
「復旧おめでとう!」のボードが。
まだ復旧させるかも決まっていないのに何て気が早い…
のではなく、これは久大本線の復旧を祝うボードです。
久大本線も日田彦山線と同じく
九州北部豪雨によって運休に追い込まれたのですが、
一大観光地の由布院を抱えているだけあって
1年ほどで全線復旧しました。
日田彦山線用のボードを作る日は来るのだろうか…
駅には夜明のシンボルマークなるものも掲げられていました。
夜明という何とも美しい響きの地名ですが、
元々は「夜焼」だったのだそうです。
これが夜明集落。
筑後川沿いに窮屈そうに民家が建ち並んでいます。
こんなところで豪雨が来たら堪ったもんじゃないな…
15:42発の久留米行きに乗り換えます。
あれ?反対方向の列車が来たな。
15:11発の列車が遅れているのかな?
まあ、15:42発の列車はどうせこれの折り返し列車だろうし、
折角なら日田駅まで乗ってみるか。
日田駅に到着。
で、これがそのまま折り返しの久留米行きに…
あれ?由布院行きとか言い出したぞ?
えぇ!?15:28発の久留米行きは運休!?
何という事でしょう。
台風の所為で運行が乱れに乱れて
この久大本線もダイヤが滅茶苦茶になっています。
仕方無いので、木造りでやけにお洒落な日田駅待合室で
再加熱過程の計算をしたりして次の列車を待ちます。
一応、次の列車は運行されるらしいけど、
時刻表によればこれが今日中に宿に着ける
ギリギリの列車なんだよな…
大丈夫かな…
定刻16:20発JR久大本線普通久留米行きに乗り換え。
遅延していた大分方面からの列車を待っていた為に
いきなり18分遅れで始まりました。
時刻表通りだとしてもこいつから乗り継いでいくと
最終列車ギリギリで着く事になるし、
乗り換え時間で待たされるマージンがあるとは言え
相当厳しい戦いを強いられるのでは…
やはり列車行き違いの度に少しずつ遅れて行きます。
気を揉んでも仕方無いので研究でもします。
17:46、久留米駅に到着。
乗り継ぐ列車の時刻表上でのデッドラインは
17:53発JR鹿児島本線普通鳥栖行きだが果たして…
定刻17:39発JR鹿児島本線快速門司港行きに乗り換え。
こいつが9分ほど遅れていたので乗れました。
鳥栖駅で18:07発JR長崎本線普通早岐行きに乗り換え。
こいつは時刻表通りでした。
佐賀駅で18:45発JR唐津線普通西唐津行きに乗り換え。
またしても佐賀県中心部の通過が夜になってしまった…
何も見えない。
20:08、唐津駅に到着。
唐津焼の唐津です。
福岡空港からの直通列車もあります。
本当は島に渡った後博多から直でここに来て
色々巡ろうと思っていたのですが…
折角なのでちょっとだけ外に出てみました。
駅前では唐津焼の獅子頭がお出迎え。
唐津駅で20:21発JR筑肥線普通伊万里行きに乗り換え。
ここまで来ればもう安心です。
20時台の列車に乗れるなんて全然余裕じゃん
と言われそうですが、正にこの列車が最終列車です。
唐津線の唐津-伊万里間はJR九州の中でも
5本の指に入る超閑散区間なのです。
どれほどかと言うと、宗谷本線の稚内-名寄以下です。
21:13、伊万里駅に到着。
長かった…
広場の雨避けかと思いきや
屋根の無い骨組みだけの謎の構造物。
伊万里駅周辺には意外とアパートが建ち並んでいます。
予定より遅くなってしまったので
飲食店がまだ開いているかどうか不安でしたが、
えらくディープな飲み屋街(?)がありました。
まさかの2晩連続担々麺。
名物でも何でもないじゃん…
と思いかけましたが、
良く考えたら「唐津」という地名は
「唐(中国)へ行く為の津(港)」な気がするので、
中華料理を食べるのは理に適っている…筈。
この担々麺は見た目通りの麻辣振りでした。
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