南欧旅行第7日目。
ヨーロッパで最新の国、コソボ共和国を巡ります。
6:38、起床。
昨夜は一瞬で寝落ちしてしまった…
シャワーを浴び、朝食を食べてから出掛けます。
Prizren(プリズレン)のシンボル、Ura e Gurit(石橋)。
オスマン朝時代に造られたものだそうです。
Tiranë(ティラナ)のものと同じ形ですね。
オスマン朝に共通のものなのでしょうか。
後ろにはXhamia e Sinan Pashës
(シナン・パシャ・モスク)も見えます。
Prizrenのもう一つのシンボル、
Kalaja(城塞)にも行ってみます。
街を見下ろす丘の上にあるので
かなり急な坂を登らねばなりません。
雪がカチカチに凍っていて危ないです。
割と登ってきました。
左端に写っている教会はギリシャ正教会と
セルビア正教会が合わさったものだとか。
Kalaja到着。
いやー、良い眺めだ!
Dubrovnik(ドゥブロヴニク)のように
赤い屋根の家々が所狭しと建ち並んでいます。
紛争で破壊されて再建する際にも
昔のままの様子を残したんですね。
ただ、Dubrovnikとは違ってこちらは山の中ですが。
この城趾は博物館として整備される計画があるそうです。
立札に拠れば今年の10月に完成予定だとか。
雨が激しくなってきたので、足早に下ります。
街で土産を物色。
青いのはコソボの国旗ですが、
赤いのは昨日の土産物屋で嫌と言うほど見たアルバニア国旗です。
何故隣国の国旗を土産に?と思うかも知れませんが、
コソボはアルバニア人がセルビアから独立して建てた国なのです。
コソボをアルバニアに併合しようという
大アルバニア主義というのも燻っていて、
紛争が一段落したとはいえ
まだまだきな臭い地域ではあります。
モスクの外に飾ってあった
紛争直後と現在のPrizrenを比較した写真。
つい最近までこんなにボロボロだったんですね。
今も紛争の爪痕はそこかしこに残されています。
もしかすると紛争関係無しに壊れた可能性もありますが。
近くにあった教会。
アルバニア人は大半がムスリムですが、
一定数キリスト教徒も居ます。
中を見学出来たりするかなーと覗いていたら、
周りでボール遊びをしていた子供達が開けてくれました。
優しい。
言葉の通じない見知らぬ外国人集団相手に対して
はたして自ら案内をしてくれる子供は日本に居るだろうか…
教会の中はこんな感じ。
異常に寒いです。
何故外よりも寒いのか。
もっと立派な教会もありました。
世界遺産にも登録されているБогородица Љевишка
(リェヴィシャの生神女教会)です。
これはセルビア正教の教会なので、
コソボ紛争の際には暴徒化したアルバニア人によって
かなり痛めつけられてしまった為、
現在は修復作業中で立ち入ることは出来ません。
そんな崩壊した教会の塀で佇む猫。
猫達も紛争の中を必死に生き延びたのでしょうか…
取り敢えず、この教会は外からしか見られないので
中に入れる別の場所に行ってみます。
“Bebi në veturë”(赤ちゃんが乗っています)
このステッカーって世界中にあるんですね。
Sahat Kulla(時計塔)。
Богородица Љевишкаの
お隣にあるPrizrenのシンボルの一つです。
掃除をしていた受付らしきお兄さんに声を掛けて
中に入れさせてもらいます。
お兄さんがそのまま案内してくれる事に。
Sahat Kullaの一階部分は考古学博物館になっています。
ここも屋内の方が寒いな…
コソボという国自体は欧州一新しい国ですが、
この土地自体は石器時代から人が住んでいます。
貴重な土器なども出土しているとか。
が、紛争の際にセルビアが持っていってしまったので、
今展示されているものの多くは
隣国のアルバニアから持ってきているのだそうです。
イスラムの国らしくアラビア文字の石碑も。
コーランはアラビア語で読まないといけないと言うし、
今でもアルバニア人はアラビア文字が読めるのかな?
さて、折角の時計塔なので上にも上らせてもらいます。
暗くて急な木製の階段を上っていくと…
着きました!
大した高さの塔ではありませんが、
ビルなどほぼ無い街なので見晴らしは良いです。
Prizrenは嘗て内陸部のセルビアから
アルバニアの港へ金を運ぶ交易路になっていたそうで、
この時計塔には見張り番も常駐していたとか。
Богородица Љевишкаを俯瞰。
もう殆ど直っているように見えるけど、
再び一般公開される日はまだ来ないのかな?
ただ、このSahat Kullaすら
まだ修復途中(博物館の準備途中?)のようで、
庭には何かの石が沢山置かれています。
お次はMuzeu Lidhja Shqiptare e Prizrenit
(プリズレン・アルバニア連盟博物館)。
古民家(?)を改造して博物館にしているようです。
ノリの良い館長さんに案内されて中へ。
中はコソボの伝統的な家屋をベースに
様々な時代の衣服・装飾品や家具などが展示されています。
但し、説明などは特に書かれていないので
気になった物については館長さんに直接聞きましょう。
英語は余り通じませんが…
身振り手振りで色々話していたら、
館長さんの部屋にも入れてくれました。
ここにはコソボゆかりの品ではなく
館長さんの個人的な趣味で集められた品々が。
日本の美濃焼もありました。
常滑焼じゃないのか…
また、世界各国のお金も集めているという事で
FKが日本円をあげていました。
お昼になったのでUra e Guritの傍で昼食。
中々お洒落な喫茶店…
ですが、何故か店内をカモが闊歩していました。
つくづく謎な国だ…
料理は安くて美味しかったです。
昼食を終えたら、14時のバスでPrizrenを発ちます。
丁度雨が降ってきました。
良いタイミングだったな…
雪に覆われた平野の中をひた走ります。
草原の広がる景色…
バルカンだなぁ…
今は雪原になっていますが。
1時間半ほどでPrishtinë(プリシュティナ)に到着。
コソボ共和国の首都です。
今回の旅行で最も治安が悪いと目されており、
KTなんかは結構怯えています。
流石に首都だけあってマンションが建ち並び、
人通りも多くて活気があります。
まあ、大抵の国では人の多さと治安の悪さは比例しますが…
目抜き通りの交差点にビル・クリントンの像が。
ビル・クリントン元大統領はコソボ紛争の際
コソボ側にかなり肩入れしていた関係で、
コソボはかなり親米的な国になっているのだそうです。
それにしては若干像が小さいような気がしないでもないけど…
ただ、Prishtinëで小さいのは銅像だけではありません。
この可愛らしい建物、
実はコソボ最大のターミナル駅である
Prishtinë駅(プリシュティナ駅)です。
日本で言うところの東京駅ですね。
紛争でかなり痛め付けられましたが、
コソボは一応鉄道が走っています。
この景勝路線っぽいのは何処なのかな…
ホームには丁度列車が停まっていました。
時間帯的にPrishtinë通勤者の帰宅列車かな?
コソボで列車通勤という概念があるのかは分かりませんが。
本当は明日乗る列車の切符を買いたかったのですが、
切符は当日しか発売していないとの事で、
時刻表だけ貰って帰りました。
この小さな紙切れ一枚がコソボ国鉄の旅客列車の全てです。
それでも、アルバニアよりはマシ?
Prishtinë駅から北東へと延びる線路は
嘗てセルビアのБеоград(ベオグラード)まで通じていましたが、
セルビアはコソボにとって宿敵中の宿敵なので
流石に今は廃線状態になっています。
ついこの間「Kosovo je Srbija(コソボはセルビアだ)」と
世界各国語でラッピングされた列車が、
セルビアからコソボ国境ギリギリまでやって来て
コソボ国境警備隊が出動する騒ぎになったりもしていました。
いつの日かバルカン半島が
鉄道で縦横無尽に旅行出来る日はやって来るのだろうか…
“AMBASADOR GO HOME YOU’RE DRUNK”
(大使は帰れ この飲んだくれめ)と書かれた落書き。
大使にも分かるようちゃんと英訳してあって偉い。
歩行者天国のBul. Nënë Terezë(マザー・テレサ大通り)。
今夜の宿はこの大通りに面したホステルです。
ちょっと銀座っぽい雰囲気があるというか、
ここまでの街の中で断トツにお洒落な通りだな…
折角なのでちょっと街歩きしてみます。
ここまで来た感じ、治安の悪さは感じなかったので。
何故巨大レゴブロックが置かれているのだろう…
中心部より少し北にある
Xhamia e Fatih(ファーティヒ・ジャミーア)。
この辺りは旧市街だそうです。
と言っても、時間が時間なので
空いているお店とかは一切ありませんが…
中に入れないかなーと覗いていたら、
中に居たお兄さんが招き入れてくれました。
コソボの人達は外国人観光客に優しい。
でも、何故こんな時間にモスクに居たのかな?
と思ったら、何とイマーム
(神社で言うところの神主)なんだそうです。
「イスラームは排他的だと言う人が居ますが、
他者を拒絶するのは一部の過激派だけです。
私達だって平和を求める心は変わりません。
お互いの違いを理解し、受け入れる事の重要性は
コーランでも説かれています。」
と仰っていました。
モスクの中に入ったのは初めてだな…
1461年に建てられた歴史あるモスクですが、
今日の礼拝時間が何時何分なのか一目で分かる
デジタル時計が掛かっていたり、
時代に合わせて柔軟に変化している様子も伺えました。
今度はBul. Nënë Terezëを南下。
モニターに映っていた広告にエラーメッセージが出ていました。
この詰めの甘さもまたバルカンらしい。
通りの南端にあるのはKatedralja e së Lumes Nënë Tereza
(マザー・テレサ大聖堂)。
ここは時計塔の上に上れると聞いて来たのですが、
夜になっていたので上れませんでした。
残念…
お、プリシュティナ大学だ!
ここは言語学科のキャンパスのようですね。
残念ながら物理学科のキャンパスは見当たりませんでした。
街歩きしてお腹が空いたところで
ちょっと高級なレストランで夕食。
高級と言っても、コソボ基準なので大した事ありませんが。
でも、味は高級!
いやー、コソボって良い国だなぁ…
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