ユーラシア旅行 第21日目

ユーラシア旅行第21日目。
Toshkent(タシケント)を巡ります。

6:21、起床。
同じ宿に泊まっていた人に
トルクメニスタンの情報を聞いたりしながら
朝食を済ませ、チェックアウト。
Toshkentを観光します。
キルギス人と日本人は似ていると言うので、
キルギスTシャツを着たら
キルギス人に見られるかも実験してみます。
…ウズベキスタンの人は薄い色の服が多いから
真っ赤な背景に黄色い天窓模様の
キルギスTシャツは滅茶苦茶目立つな。


まずはお金を両替。
さて、問題です。
この札束は一体何ドル分でしょうか?
正解はUS$30(≒3,100円)。
150,000So’mです。
ウズベキスタンスムはベトナムドン並みに
インフレが進んでいる上に
最高額紙幣が5,000So’mの為、
こんな札束を持ち歩かねばならないのです。
日本で言うなら100円玉までしかない感じです。
デノミしないのかな?
取り敢えず、現金を手に入れたので
地下鉄Kosmonavtlar駅(コスモナウトラル駅)へ。

Toshkentの地下鉄は異常に警備が厳しいです。
入口に警備員が立っていて、
リュックを開けさせられるのは勿論、
筆箱もカメラバッグも
袋状のものは全て開けさせられます。
空港並みの手荷物検査を受けてから薄暗いホームへ。
石造りのホームはまるで遺跡のようで、
ホームで目を光らせる警官や
くたびれた古い車両と相俟って
旧ソ連にタイムスリップしたような感覚を覚えます。
ただ、古いだけでのんびりはしておらず
エスカレーターは爆速、
列車の扉は完全に停車する前に開きます。
O’zbekiston線(ウズベキスタン線)
Beruniy(ベルニー)行きに乗車し、
Chorsu駅(チョルスー駅)で下車。


やって来たのはChorsu Bozori(チョルスー・バザール)。
モスクを彷彿とさせる青いドームが目印で、
Toshkentで最も歴史のあるバザール。
中は一体どんなカオスが待っているのか…


と思いきや、予想外に整然としています。
全ての売り場に番号も振られており、
コミックマーケットのようになっています。
…行った事ないけど。


ドームの外はバザールと言って想像されるような
雑然とした空間が広がっていますが。
Алматы(アルマトイ)のバザールでは
土産物屋コーナーがあったけど、
ここのバザールは日用品ばかりだな…
完全に地元の人向けですね。


折角ウズベキスタンに来たのだからと
近くにあるメドレセを目指してみます。
混沌とした交差点を渡って北へ。
運転マナーはウズベキスタンが断トツで悪いな…


この門がメドレセの入口かな?
お墓に迷い込んでしまいました。
ウズベキスタンのお墓は
墓石に遺影が彫ってあるものが多数あり、
誰のお墓なのか一目瞭然です。
中には銅像が建てられているものも。
でも、ここからメドレセには入れないな…


どうやらここがBaraqxon Madrasasi
(バラク・ハン・メドレセ)の入口のようですが、
観光客は入る事が出来ないようです。
某旅行本の情報は何だったんだ…
昼時になってお腹が空いてきたので
バザールまで戻って昼食にします。


バザールに隣接したチャイハナコーナー。
ここでもボラれたという話を良く聞くので
最大級の警戒をしながら店を選びます。
僕はもうウズベキスタンを一切信用していません。


Plov(プロフ)を頼んでみました。
中央アジア流のピラフです。
ちょっと油っこいけどかなり美味しい。
ただ、この席は椅子がシーソー状態になっていて
僕の貧弱な体重では
恰幅の良いウズベクおばちゃんに太刀打ち出来ず、
おばちゃんが立ち上がる度に
無力にも突き落とされてしまって
食べ難い事この上無いです。
なお、心配していた食事代については
ボラれる事なく正規料金でした。

旧市街のバザールを見たので、
今度は新市街に向かってみます。
Chorsu駅からO’zbekiston線
Do’stlik(ドゥストリク)行きに乗車し、
Alisher Navoiy駅(アリシェール・ナヴォイ駅)で
Chilonzor線(チランザル線)Buyuk Ipak Yo’li
(ブユク・イパク・イューリ)行きに乗り換えて
Amir Temuir Xiyoboni駅
(アミール・ティムール・ヒヨボニ駅)へ。


新市街の中心部、Amir Temur Xiyoboni
(ティムール広場)です。
一周2km弱という広さがある上に
車道メインに作られているので
人通りはかなり疎らです。
高級ホテルなんかはこの付近に集まっています。


とにかくどの建物もデカい。
Бишкек(ビシュケク)との格差が凄いです。
活気はБишкекの方がありましたが。
何かあるかと思ってきてみたけど、
特に何も無いな…
急にお腹が痛くなって
近くの喫茶店に駆け込んだだけで終わりました。
そのまま徒歩で次の場所へ。


A. Navoiy nom. Opera va Balet Teatri
(ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場)。
所謂シベリア抑留で強制労働させられた
日本人によって造られた建物で、
1966年にToshkentを襲った直下地震の際に
街が瓦礫の山と化す中、
この建物は無傷で残ったという逸話があります。
こんな場所でも働かされていたんだな…


バザールではお土産が買えなかったので
劇場の横にあるスーパーマーケットで買い物。
1階に幾つか土産物屋がありました。
でも、ロシア、カザフスタン、キルギスに比べると
圧倒的にお土産は少ないな…
一番観光国な筈なんだけど。


日本では馴染みの無いイラン航空のオフィス。
中央アジアのすぐ傍には
イラン、アフガニスタン、パキスタンと言った
如何にも治安が悪そうな国
(イランはそこまででもないらしいが。)
が集まっているので、
中央アジアも治安が悪いものと思われがちですが、
全アジアで一二を争うくらい治安は良いと思います。
それは置いといて、
この辺りに本屋があるという話だったんだけど…
見付からない。
ロシアではあれだけ充実していた本屋が
Toshkentには全然ありません。
これが文化水準の差なのか…?

幾ら乾燥していてまだ過ごし易いとはいえ、
今日の最高気温が34℃というToshkentを
朝から歩き詰めだったので
疲れて喫茶店で一休み。
TKと今後の予定について話し合いましたが
二人の行きたい場所が全く違うので、
治安も良いという事で別行動する事に。
地図付きの旅行本は
方向音痴のTKが持って行ってしまったので、
僕は完全に地図無しでToshkentを巡ります。
各交差点で街行く人々に道を尋ねて目的地へ。
Toshkentは今回行ったあらゆる街の中で
一番英語の通じる率が高いな…


まずやって来たのはToshkent駅(タシケント駅)。
Toshkentの玄関口です。
これまたデカい。
Алматы II駅(アルマトイⅡ駅)よりずっと大きいです。
本当はБишкек(ビシュケク)から鉄道に乗って
ここに降り立つつもりだったのですが、
Озеро Иссык-Куль
(イシク・クル湖)と引き換えに
鉄道移動ではなくなってしまいました。


そして、Toshkent駅から徒歩5分のところにあるのが
Temir Yo’l Tekhnikasi Muzeyi(鉄道技術博物館)。
何十両もの機関車が屋外で静態保存されています。
ここに来たかった僕と
来たくなかったTKの間で意見が食い違った事が
別行動になった最大の原因だったり。


中はこんな感じ。
かなり年代物の車両が多いです。
流石は広軌の旧ソ連だけあって機関車も大きく迫力があります。
中には最高時速160km/hなんて機関車も。
その速度で走れる線路は存在したのかな?


除雪車。
7月の平均最高気温は36℃というToshkentですが、
冬は0℃を下回るまでに冷えます。
除雪車を使うほど雪が降るのかは分かりませんが。


ウズベキスタンカラーの客車。
ウズベキスタン国鉄にも乗ってみたかったけどな…


敷地内には子供向けと思われる狭軌鉄道もあります。
実際に親子連れも居ました。
というよりは、僕の他には一組の親子連れしか居ませんでしたが。


チャイハナスタイルの絨毯もあったり。
ここで休むのでしょうか。
湿度が低いのでそんなには感じませんが、
今日の最高気温は36℃。
朝から炎天下を歩き詰めていたので日陰で一休みします。
絨毯はノミとかがいそうなので止めました。

暇なので、メドレセに再挑戦してみたいと思います。
確か、西の方にメドレセが一つあって、
Toshkent駅からは地下鉄に乗って
1回乗り換えて着くブなんちゃら駅が最寄りだった筈…
という滅茶苦茶曖昧な記憶を元に目指してみます。
果たして、Toshkentで僕の方向感覚は通用するのか。


Toshkent駅からO’zbekiston線Beruniy行きに乗車し、
Alisher Navoiy駅でChilonzor線
Olmazor(オルマゾール)行きに乗り換えて
Bunyodkor駅(ブニョードコル駅)へ。


確かここの駅だった筈だけど…
人の居ないだだっ広い広場しかありません。
駅から南西に向かうんだったっけ…
太陽の位置からするにこの通りかな?


着いた!
Abdulqosim Madrasasi(アブドゥルハシム・メドレセ)に到着。
僕の方向感覚の勝ちだ!
が、またしてもメドレセには入れず、
警備員が如何にもぼったくられそうな
土産物屋に誘導してきたので退散しました。
方向感覚では勝ったけど、何だか負けた気分だ…

疲れたので宿へと戻ります。
なお、キルギスTシャツ実験は
ウズベク人からの大注目を集めるだけで
一発で日本人と見破られてしまって失敗しました。
一人だとTKやOSと一緒に居る時よりも
日本人だと看破される確率が高かったな…
中央アジアでは僕みたいな人間が
典型的日本人像なのでしょうか?
Bunyodkor駅からChilonzor線
Buyuk Ipak Yo’li行きに乗り、
Alisher Navoiy駅でO’zbekiston線
Do’stlik行きに乗り換え、Kosmonavtlar駅へ。

同じ宿に泊まっていた人と一緒に3人で
宿に呼んでもらったタクシーで空港に向かいます。
宿で呼んでもらったからボラれる事もなく安心…
と思ったら、10,000So’mで話を付けた筈なのに、
到着時に15,000So’mを要求されました。
最後の最後まで…

兎にも角にも、Toshkent Xalqaro Aeroporti
(タシケント国際空港)に到着。
これまた異常に警備が厳しいです。
写真撮影が禁止なのは言うまでもなく、
空港の敷地に入る際、
空港の建物に入る際、
入国審査を受ける前、
入国審査を受けた後、と
何と4回も手荷物検査を受けさせられます。
少なくとも入国審査の前後どちらかは要らないだろ…
が、検査そのものはザルです。
どれくらいザルかと言うと、
500mlペットボトルの水に気付かないくらいザルです。
もしかして、テロ対策とかではなく
雇用創出の為に警備を強化しているのでしょうか?

中に入ると周りは日本人だらけ。
どうやら、シルバーウィークで来ていた社会人が
同じ便で一斉に帰るようです。
ウズベキスタンってそんなにメジャーな国だっけ…?
いや、単に便数が少ないからかたまるだけ?
日本人の自分が言うのも何だけど、
異国情緒も何もあったものじゃないな…
まあ、それは兎も角として帰ります。

22:20発OZ574便に搭乗。
さらば、ウズベキスタン!

コメント