シベリアの首都に降り立ちます。
(以降、イルクーツク時間UTC+8.0h)
5:30、起床。
まだ辺りは真っ暗ですが、
多くの乗客が荷支度をしています。
次の停車駅はシベリアのパリと呼ばれたあそこです。
6:00、Иркутск Пасс.駅
(イルクーツク・パス駅)に到着。
シベリアと言えばこの都市、
人呼んでシベリアのパリ、
Иркутск(イルクーツク)です。
霧に包まれていますね。
っていうか寒い!
気温はたったの5℃です。
流石はシベリア…
中心街は駅から遠いので
トラムに乗って向かいます。
Ангара川(アンガラ川)を渡る。
この川が霧の原因かな?
ул. Горького電停
(ゴーリカヴァ通り電停)で下車。
早朝のИркутск市街。
誰も歩いていません。
こんな寒いのに出歩く人は居ないか…
Иркутск的には今は
一年の内で5番目に暖かい月なのですか。
早歩きで宿のある通りまで向かいます。
霧に騙されて道を間違えながらも
何とか宿の建物の前までやって来たのですが、
入口が見当たりません。
おかしいな、住所はここで合っているのに…
どうやら民泊形式の宿のようだから、
Ushuaia(ウシュアイア)の時のように
宿の管理人に電話しないといけないのか?
偶々通りかかったおじいさんの助けも借りて
サイトに載っていた電話番号に掛けてみたのですが、
使われていない番号だという事。
えぇ!?
予約サイトのカスタマーセンターにも電話したものの、
やはり連絡が取れないとの事。
ええぇ!?
何と気温5℃の早朝のИркутскで
宿無しになってしまいました。
喫茶店もまだ開いてないし、
このままでは凍死してしまう…
シベリアの地に斃れる事になるなんて…
諦めて新しい宿を探そうという事になったのですが、
ここはアルゼンチンではなくロシア。
そう、バウチャーシステムの国なのです。
外国人は入国前に全ての予約を
完了している事が前提となっているロシア。
いきなり現れた不審な東洋人4人組を
はいどうぞと泊めてくれる宿はあるのか…
一縷の望みを懸けて一番近いホステルに向かい、
受付で必死に困っているアピールをします。
…泊めてくれる?
やったー!
何とか凍死を免れる事が出来ました。
宿で4日振りのシャワーを浴び、
すっきりしてから街に出ます。
朝の霧に包まれた無人で極寒の
Иркутскは何処へやら。
眩しい陽射しが照り付けるИркутскは
行き交う人々で溢れています。
いつの間にかお昼になっていたので昼食。
お洒落な喫茶店でビジネスランチを食べました。
物価が安い分、本当のパリの上位互換ですね。
さて、ここでOSとTKはお腹の調子が悪いそうで
今日は宿で療養するとの事。
しかし、僕とMTは好腸、もとい好調なので
二人で街歩きをする事にします。
海外の都市に良くある”I♡都市名”の碑。
ただ、ロシア人は英語が極端に苦手だからか
I♡IrkutskではなくЯ♡Иркутскになっています。
Иркутскのシンボル、Ангара川。
Енисей川(エニセイ川)に合流して
北極海へと注ぐ大河です。
どちらへ流れているかも良く分からないほどの遅さ。
その川縁にあるのがこの公園。
そう、Детские железные дороги(ДЖД、子供鉄道)です!
Южно-Сахалинск(ユジノサハリンスク)
にもありましたね。
そして、今回は定休日で乗れませんでした。
何故かДЖДとは縁が無いな…
野外に静態保存されていた車両を見て帰ります。
お洒落なИркутскですが、
木造の建物も多いです。
冬は死ぬ程寒いというのに大丈夫なんだろうか…?
観光用に残しているという訳ではなさそうですが…
こちらは観光用の130-й Квартал(130地区)。
13~15世紀のИркутскを再現しているとか。
土産物屋やレストランが立ち並び
さながらテーマパークのような雰囲気です。
案内図を見ていると…
地区の端っこにロシア国鉄の鉄道博物館!?
これは行くしかない!
ロシア国鉄の建物はこれだけど…
肝心の博物館が見当たりません。
近くに居たおじさんに尋ねると
確かにこの建物に博物館が入っているようですが…
もしかして、これ?
Хабаровск(ハバロフスク)の食堂もそうだったけど、
ロシア国鉄の施設は入口が異常に分かり難いな…
中はこんな感じ。
博物館…だよね?
受付も何も無く、奥では仕事をしている声が聞こえます。
しかし、部屋に入ると確かに博物館です。
鉄道の運行に使われていた機器などが並べられています。
奥にはロシア全土の路線図が。
既存の路線だけでなく計画線も書かれています。
北極海沿岸のХарасавэй(ハラサヴェイ)やら、
オホーツク海沿岸のМагадан(マガダン)やら、
間宮海峡を渡ってСахалин(サハリン)やら、
極めつけはベーリング海峡を渡ってAlaska(アラスカ)という、
何処まで本気なのか分からない鉄道が大量にあります。
でも、ロシアなら造りかねない気もする…
ちなみに、間宮海峡を渡る路線は
「社会的に重要」と位置付けられているそうなので
実現可能性は高そうです。
夢が広がりますね。
シベリアのパリИркутскだけあって
シベリア鉄道の展示が充実しています。
これはОзеро Байкал沿岸の
Мысовая(ムィソーヴァヤ) –
Порт Байкал(ポート・バイカル)間は
Озеро Байкалを作った断層による
非常に急峻な地形で知られ、
1903年時点ではОзеро Байкалを
連絡船で渡す事にして、
厳冬期は凍ったОзеро Байкалの氷上に
そのままレールを敷いたという、
その時の様子を写した写真。
こういう事をするロシアなら
ベーリング海峡も渡りかねない気がしてくるな…
第二シベリア鉄道とも称される
Байкало-Амурская Магистраль
(バイカル・アムール鉄道)、
別名БАМ(バム鉄道)の展示も。
これも乗ってみたいな…
展示されていた鉄道模型で疑似撮り鉄。
恐らく、ロシア国鉄で最も長いトンネル
Северомуйский туннель
(セベロムイスキートンネル)の辺りですね。
バム鉄道で撮り鉄しようとしたら凍死しそう。
中々面白い博物館でした。
賑わうул. Дзержинского
(ジェルジンスカヴァ通り)。
市場があり、露天で子猫まで売られています。
ここはパリというよりもアジアですね。
Дом КН. С. П. Трубецкого
(トルベツコイの家)。
Трубецкой(トルベツコイ)は
皇帝専制と農奴解放を掲げて蜂起した
デカブリストの乱に参加し、
捕らえられてシベリア送りにされた公爵。
デカブリスト達は貴族の将校であり文化的教養があった為、
今日の美しいИркутскの形成に
一役買ったと言われています。
内部も見学可能。
シベリアのど真ん中だというのに
ドイツ製のピアノが置かれていたりして
比較的恵まれた生活環境だった事が窺えます。
シベリアでどのようにして農耕を行うか
苦心惨憺したという話も展示されています。
大通りで売っていたКвас(クヴァース)。
黒パンを発酵させた炭酸飲料で、
程良い酸味が美味しいです。
極寒の朝が嘘のように28℃まで上がったから
冷たいКвасが美味しい!
宿に戻ってきました。
これは宿の傍にあった遊具。
体操大国ロシアでは普通の子供が吊り輪をやるのか…
夕食はTKの強い希望で
130-й Кварталにあったウズベク料理屋へ。
ここにもパクチーが…
人生中々辛いものである。
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