南米旅行第15日目。
長い長い帰路の始まりです。
7:33、起床。
台風のような物凄い風で目が覚めました。
今日は飛行機に乗るんだけど、
この風でちゃんと飛んでくれるのかな…
10:00チェックアウトなので
それまでのんびりしてから街に出ます。
まだデモをやっています。
テントが張られているので
泊まり込みでデモをしているようです。
いつまでやるつもりなのだろう…
どうもこの市庁舎の前に集まっているようです。
横断幕の単語から推測するに
市長をリコールしようとしているようですね。
デモはおいといて、
世界の果てから手紙を出すべく
郵便局に向かいます。
この奇抜な壁画の描かれた建物が郵便局です。
何やらRNRの書類を持った人が
窓口に大勢並んでいて時間が掛かりましたが、
無事日本への国際郵便を出せました。
アルゼンチンから日本までで料金はAR$43。
某地球の歩き方情報の3倍以上になっていますが、
350円足らずで地球の裏側まで届けてくれるというのは
冷静に考えると中々凄い事ですね。
特に当ても無く港へ。
何やら軍艦が来ています。
アルゼンチン海軍基地。
もしかしたら見学出来るかもと思いましたが
普通に追い出されました。
やる事が無いので殆ど風も無いのに
何度も着岸をやり直す軍艦を眺めたりしていました。
流石に5日間は余裕を持たせ過ぎだったか…
元々は帰りもEl Calafate(エル・カラファテ)まで
バスで移動するつもりだったので
こんなに余裕のある日程になっています。
そう言えば見ていなかった事を思い出したので
Museo Yámana(ヤーガン族博物館)へ。
東大の学生証が通用して
学割料金のAR$50で入場出来ました。
人類の広がり。
ここパタゴニアは人類が最後に辿り着いた地です。
ケッペンの気候区分では
ツンドラ気候(ET)に属するという
極めて環境の厳しいTierra del Fuego
(フエゴ島)南端に住んでいるにも関わらず、
ヤーガン族は裸で暮らしていた事で有名です。
何故なのかと言うと、
彼等は定住地を持たないノマドで
ちゃんとした防水機能のある家を持たず、
天候の安定しないTierra del Fuegoでは
頻繁にずぶ濡れになってしまう為、
乾かし易い裸の方が却って快適だからだそうです。
ヤーガン族の生活の様子が
ジオラマで再現されています。
カヌーを使って海の生物を捕らえるのが生活の柱な為、
自分のカヌーを持つ事が一人前になった証なんだとか。
また、犬を使った猟も行っていたそうですが、
その犬は欧州からもたらされたものと考えられています。
Tierra del Fuegoの先住民達のその後。
欧州から持ち込まれた疫病により
大幅にその数を減らした先住民達は、
ノマドとしての生活を諦めて
定住生活を送るようになり、
ヤーガン族はPuerto Williams(プエルト・ウィリアムス)、
オナ族はRío Grande(リオ・グランデ)やTolhuin(トルイン)、
アラカルフ族はPuerto Edén(プエルト・エデン)に
それぞれ現在は住んでいるようです。
Estancia(エスタンシア、牧場)や
Misión(ミッション、伝道所)の分布。
嘗てはUshuaia(ウシュアイア)や
Puerto Williamsより遥かに南の
Islas Wollaston(ウォラストン諸島)にある
Isla Baily(ベイリー島)にMisión Baily
(ミッション・ベイリー)という伝道所があり、
これが世界最南端の町(というか定住地)だったようです。
Islas Wollastonに今も定住地があれば
Cabo de Horno(ケープ岬)にも行き易かったのに…
小さいながらも中々面白い博物館でした。
Ushuaiaの博物館のオススメ度としては
1. Museo del Presidio & Museo Marítimo(元監獄と船舶博物館)
2. Museo Yámana(ヤーガン族博物館)
3. Museo del Fin del Mundo(世界の果て博物館)
な感じです。
昼食を食べるお金は無いので
お土産でも見つつ時間を潰そう…
と思ったら、殆どの店が
13時から16時まで昼休みをしていました。
昼時に3時間も休むのかよ!
これが噂のSiesta(シエスタ)か…
その分、21時とか夜遅くまで開いていますが。
荷物を回収する為に宿に戻ります。
階段途中の斜面にあった謎の郵便受け。
誰が受け取るのだろう。
あ、一昨日遊んだシェパード君が居る。
もう逃げないよう柵の中に入れられたようですね。
って、違うのかよ!
普通に飛び出してきました。
懐いたな…
最後なのでタクシーが来るまで
思い切り遊んであげました。
これでこいつと今生のお別れと思うと
ちょっと寂しくなるな…
Ushuaiaの街に虹が架かっています。
良い街だった。
タクシーに乗って遂にお別れ。
さらば、達者でな!
追い掛けてくるかとちょっと期待しましたが、
割とあっさり家に帰っていきました。
まあ、ついて来られても困りますが。
「さらば!」と挨拶をしたら、
タクシーの運転手が
“¿SARABA es Chao en japonés?”
(「さらば」っていうのは日本語の別れの挨拶かい?)
と訊いてきたので、
“¡Sí!”(勿論さ!)
と答えておきました。
これからUshuaiaのタクシー運転手は
日本人旅行者に対して別れ際に
“¡Saraba!”と言うようになる事でしょう。
Ushuaia Malvinas Argentinas国際空港
(ウシュアイア=マルビナス・アルヘンティナス国際空港)に到着。
世界最南端の国際空港です。
和訳するなら「ウシュアイア
それは置いといてマルビナスはアルゼンチン領だ!
国際空港」みたいな名前。
空港名まで領有権を主張していくのか…
日本でやるなら「中標津日本領北方領土空港」でしょうか。
物凄い強風だけど、飛行機は飛ぶのかな…
16:10発AR1871便に搭乗。
普通に定刻通り出ました。
¡Saraba, Ushuaia!
また来る日はあるのか。
強風の所為か怖いくらい揺れるな…
Canal Beagle(ビーグル水道)の対岸、
Isla Navarino(ナバリノ島)。
Ushuaia対岸のPuerto Navarino(プエルト・ナバリノ)から
Puerto Williamsへ続くと思われる道が見えます。
程無くして雲に入ってしまったので
Puerto Williams自体は見えませんでしたが。
やはりそんなものは存在しなかったのか。
バスでは乗り継いで1泊2日掛かった道のりも
飛行機ではあっと言う間です。
こんな道を走ってきたのか…
17:09、Comandante Armando Tola国際空港
(コマンダンテ・アルマンド・トラ国際空港)に到着。
タクシーで宿に向かいます。
制限速度60km/hの道で
警察車両を100km/hで追い抜き、
スマホを見ながら120km/hを出し、
その後150km/hでかっ飛ばす運転手。
しかも、対向車あり。
パタゴニアンドライバーの運転はヤバい。
こんな道を60km/hなんかで
走っていられないという気持ちは
愛知県民としては分からないでも無いけど…
制限速度で走っていたら
後ろから90km/hの速度で追突されるのか…
ホテルに着いたらお土産を見るべく街へ。
初めてEl Calafateに来た時は
大型犬が放し飼いになっているのに驚いたけど、
Ushuaiaでシェパード君と触れ合った後は
全然怖くありません。
一般市民も数多く暮らすUshuaiaと違い、
完全な観光都市であるEl Calafateは
お土産の値段もUshuaiaより高めなので、
El Calafate特産であるCalafateの実を使った
Licor de Calafate(カラファテリキュール)を
買うに留めておきました。
チョコレート屋で買うのが安かったです。
この後はホステルに戻って
夕食を自炊してから寝ました。
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