北国旅行第11日目。
今日は遂に帰国の日です。
7:30、起床。
一昨日の寝台列車以外で初めて6時以降に起きたな…
ホテルの受付の人が8時に云々と言っていたので
8時から朝食なんだろうと思い行ってみると、
8時はホテルの宿泊証明書を貰える時間で
朝食は9時からとの事。
日本と殆ど同じ経度なのに
1時間進んでいるСахалин(サハリン、樺太)は
日本に比べて1時間程朝が遅いです。
暫く待ってから受付に行くと朝食券を渡され、
駅前広場の喫茶店で朝食を摂る事になりました。
店名が筆記体で書かれていて
何処のお店か解読するのに苦労しました。
チェックアウトして街歩きに出掛けます。
駅前で昨日のВикторさんに再会しました。
ВикторさんとЧехов(チェーホフ)像。
「後で必ず手紙を送っておくれよ!」
と言われてお別れしました。
Сахалинский Областной
Художественный Музей
(サハリン州立美術館)。
旧・北海道拓殖銀行豊原支店です。
拓銀の中で札幌に次ぐ預金残高を誇ったという。
そんなに時間に余裕がある訳では無いので
外観を見ただけで先に進みます。
これも日本時代の建築らしいです。
周りの建物と全然変わらない…
大日本帝国が進んでいたのか、ソ連が遅れていたのか。
こちらは現代のСахалинの建物。
コンクリートに木で増築するとは…
中々斬新な事をしますね。
団地の中庭で落ち葉を掃くおばさん。
街は落葉が進んでいます。
秋の訪れが早いな…
Парк Культуры и Отдыха им. Гагарина
(ガガーリン記念文化公園)に到着。
日本時代の豊原公園です。
地面に折鶴の模様が。
元・Южно-Сахалинск
(ユジノサハリンスク、豊原)市長の宮西豊氏が
桜並木を作ったりしたそうです。
遠いようでやっぱり近いСахалин。
木々は仄かに色付いています。
そして、その先に微かに見えるのが…
Детские железные дороги(ДЖД、子供鉄道)です。
旧ソ連諸国では英才教育の一環として、
鉄道関連の職業に就職を希望する子供に
実際に鉄道を運行させるというものがあります。
その鉄道に一般人も実際に乗車出来るのです。
この様なДЖДはロシア全土に20ヶ所以上あります。
流石は広大な国土を有する鉄道大国ロシア。
Комсомольская駅(コムソモーリスカヤ駅)。
Комсомол(コムソモール)とは旧ソ連の青年組織です。
ここで切符を買います。
…と思ったのですが、
何故か受付のおばちゃんが売ってくれませんでした。
雨だから運休?
が、後で普通に運行していました。
何やねん!
もしかして、今はまだ時間になってないとか言ってたのかな?
圧倒的ロシア語力不足。
景色良さそうだし、乗りたかったなー。
ここのДЖДは池(王子ヶ池)を1周するように走っています。
王子ヶ池の周りを歩きます。
綺麗な公園です。
人魚の像とアザラシの像が置かれています。
ロシア人女性の経年変化を現しているのだろうか…?
9月中旬にして平地で紅葉。
流石はСахалин。
森の中を通るДЖД。
軌間は旧ソ連のナローゲージ750mmです。
スキーのジャンプ台。
日本統治時代にはここで練習を積んだ牧田光武選手が
昭和4年と6年に全日本大会で優勝しています。
公園が拡張でもされたのか、
今はジャンプしたら壁に激突しそうですが。
ДЖДには途中駅もあります。
Пионер駅(ピオネル駅)。
Пионерとは先駆者(パイオニア)の意味です。
Площадь Славы(栄光広場)。
旧・樺太神社鳥居前広場です。
今では見る影もありませんが。
Сахалинский Областной Краеведческий Музей
(サハリン州立郷土博物館)。
旧・樺太庁博物館です。
愛知県庁舎に似ているとの事ですが、
県庁は1回しか見た覚えが無いので良く分かりません。
ここは入館してみます。
Сахалинの自然についての展示。
やはりヒグマの剥製があります。
Ноглики(ノグリキ)の郷土博物館に比べて
流石に剥製の質が高いです。
Сахалинの先住民族であるアイヌ、ニヴヒ、
エヴェンキ等の嘗ての暮らし振りについての展示。
現在の先住民族の活動については言及がありません。
この点はНогликиの方が上?
戦後70周年の9月とあって
第2次世界大戦関連の特設展もやっていした。
日本人が興味津々でこれを見ているって、
ロシア人からするとどういう気持ちなのだろう…
郷土博物館の裏庭には先住民族の住居の実寸模型があり、
中に入って見学する事が出来ます。
こちらは夏期の住居。
そして、こちらは冬期の住居だそうです。
中々充実した博物館ですね。
博物館を見終えたら土産屋へ。
ロシア土産を買います。
プーチングッズが沢山あるな…
ロシアでのプーチン人気は凄いです。
右の銀のマグカップに書かれている
“Самый вежливый из людей”
という文章は「最高に礼儀正しい男」という意味です。
最高に礼儀正しい男(大嘘)
ул. Сахалинская(サハリン通り)では
露店でベリーが売っていました。
夏の間に収穫したベリーをジャムにして保存し、
冬のビタミン源とするのがロシアの古くからの知恵です。
悩みに悩んで土産を買った後は最後の昼食へ。
アインス宗谷内のガイドブックにあった
オススメのお店を探すのですが、
載っていた住所の場所を幾ら探しても見付からない。
道行く人々に訊いてみたりした結果、
新しいショッピングモールに移転していた事が分かりました。
という訳で昼食。
欲張って沢山頼んでしまいました。
ロシア人は昼食が一番豪華というから、多少はね?
ロシア料理もこれで最後と思うと少し寂しいな…
昼食を終えたら空港へと向かうべくバスを探します。
バスを探して通りを歩いていたら、
衝撃的な光景に出くわしました。
何と小学校低学年くらいの女の子2人が
馬に乗って買い物をしています。
モンゴルじゃあるまいし、
そこそこ都会なЮжно-Сахалинскで何故…
…おっと、見惚れている場合じゃなかった。
空港行きのバスを探さねば。
8番のバスが駅前から出ているらしいけど、
時刻表を見てみたら全然本数が無いな…
となると63番のバスだけど、
何処にバス停があるんだ…?
道を歩いていたお姉さんに訊いてみたら、
バス停まで案内してくれました。
やっぱりСахалинの人は親切です。
63番バスに乗車。
満員だしボロいしで大変でした。
今回の旅行で一番キツい移動だったかも知れない。
Южно-Сахалинск空港(ユジノサハリンスク空港)、
別名Хомутово空港(ホムトヴォ空港)に到着。
早速手続きをしようと思うのですが、
日本人が全く見当たりません。
日本行きの飛行機で僕等以外に日本人皆無なんて事は…
インフォメーションで訊いてみたら、
国際線は隣だという事でした。
え?この勝手口みたいなのが国際線ターミナル入口なの?
そして、待合室が驚きの狭さ。
Корсаков港(コルサコフ港)より更に狭い。
需要の少なさを物語っています。
18:50発HZ151便に搭乗
するのですが…
え?遅延?
鉄道はあんなに正確だったのに
航空便はこんな調子なのか、ロシア…
まあ、待つより他に無い。
18:50に漸くチェックイン開始。
僕は一度Миграционная Карта
(入出国カード)を失くして
Корсаков港で再発行しており、
しかもその時の向こうの対応が物凄く適当だったので
ちゃんと出国出来るのか不安だったのですが、
何事も無く出国出来ました。
うーん、厳しいんだか緩いんだか良く分からんな。
20:30に出発時刻変更との事でしたが
待てど暮らせど一向に出発する気配が無く、
ASとKKは乗り継ぐ飛行機をキャンセルする羽目に。
僕は翌朝の飛行機なので助かりましたが…
21:15になってやっと空港内バスへの乗車が始まり、
21:30に実に2時間40分遅れで出発。
今はオーロラ航空ですが、
機体の塗装は昔のSAT(サハリン航空)のままでした。
そして、出発したは良いものの、
滑走路の舗装がデコボコで驚く程ガタガタ揺れる。
大丈夫かいなこれ…
兎にも角にも、Сахалинとはお別れです。
さらば、ロシア…!
またいつの日か…
国際線なので一応機内食が出ました。
フライト時間が短いのでただのサンドイッチですが。
もっとロシア色を出してピロシキとかだったら良かったのに。
付属の砂糖の量はロシア仕様(大量)でした。
(以降、日本時間UTC+9.0h)
21:49、新千歳空港に到着。
飲食店は勿論の事、コンビニまで閉まってるよ…
夜を明かせる宿泊出来る温泉施設は…
満席の為入館出来ません?
しかも、新千歳空港ではロビーで夜を明かせない!?
これはヤバい!
大急ぎでKK(北海道大)に連絡を取り、
泊めてもらえないか打診して札幌へ。
22:53発JR千歳線快速エアポート227号札幌行きに乗車。
うーん、下調べが足りなかったか…
北京首都国際空港では夜を明かせたのに…
という訳で、ドタバタな感じになりましたが、
取り敢えず野宿だけは避けられました。
後は半田に帰るのみ!
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