北国旅行第8日目。
日本最北端のその先へ。
5:30、起床。
朝食と支度を済ませて稚内市街へ。
最後の同行者AF(東大P会)、SM、KK(理物)と合流。
日本最北の踏切を越えて
向かうのは稚内駅では無く…
稚内港です。
陸路は稚内で終わっていても、
海路はまだ続いているのです。
そして、渡るのは利尻島でも礼文島でも無く…
樺太(サハリン)です。
稚内と大泊(コルサコフ)を結んでいた稚泊航路。
その現代版に乗って日本に一番近くて遠い国、
ロシア連邦へと向かいます。
一時帰国していた在サハリン日本人団が
同じ船で帰るという事で、
稚内市長が挨拶に来ていました。
僕等が乗る船は今年のコルサコフ行き最終便。
そして、このアインス宗谷号の最終便でもあります。
サハリン航路は北海道の交通機関の御多分に漏れず赤字続きで
運行会社のハートランドフェリーが撤退する事になりました。
来年はどうなるかまだ未定なので、
本当に最後の稚泊航路になるかも知れません。
9:00発ハートランドフェリー アインス宗谷に乗船。
日本とは暫しのお別れです。
札幌からここまで一緒だったKAとHKも見送ってくれました。
さらば、北海道よ…!
船は一路樺太へと向かいます。
宗谷海峡の日ロ中間線を越えると記念カードが配られたり。
あと、このアインス宗谷で特筆すべき事と言えば
この100円ビールでしょう。
国際フェリーの船上は税金が掛からない為、
水よりもビールが安いという現象が起きているのです。
そう考えると、普段どれだけ税金を取っているのか…
お酒大好きロシア人が大量に纏め買いするので
乗船後すぐくらいに買わないと売り切れますが。
船内はこんな感じ。
国際フェリーとは思えない程小さい船です。
隠岐汽船の方がまだ大きいくらい。
需要の少なさが伺えます。
最後の便になるかも知れないというのに
日本人観光客は僕等の他に5人程しか見当たりません。
フェリーは丁度お昼時を跨いで運行しますが、
出発時にお弁当が配られるので安心です。
空気が冷たくなり、サハリンが近付いてきました。
(以降、ウラジオストック時間UTC+10.0h)
15:30、Корсаков港(コルサコフ、大泊港)に到着。
到着したと船内放送があってから下船が始まるまで
30分間も待たされました。
漸く下船が始まったのですが、
何故かある一定の人数で下船が一時打ち切りに。
それを見越してなのか、
ロシア人乗客は到着1時間くらい前から並んでいました。
で、ここでまさかの事態が。
何と、4人の中で僕1人だけが下船させられてしまったのです。
戻るに戻れないので単独下船せざるを得ません。
降りた先にはバスが待っていました。
どうやら、このバスの定員の関係で
一度に下船出来る人数が限られているようです。
大泊港時代の線路が残る橋を渡ります。
パンツ一丁のおじさんが海岸に居ました。
気温は15℃あるか無いかなのに寒くないのかな…
港だから海も余り綺麗には見えないけど…
ガタガタの舗装路を5分程で入国審査所に到着。
稚内国際フェリーターミナルよりも更に小さい、
地方のちょっと大きい駅レベルの建物です。
3人が来るまで待合室で待っていれば良いか。
が、バスが一向に折り返さない。
もしかして、1回目の人が全て捌けないと駄目なのか?
残り5人程になったところで漸く折り返していきました。
国境警備隊や麻薬探知犬に囲まれて待つのは寂しい…
20分程待って漸く合流。
いよいよ入国審査です。
ロシア語で何か訊かれたらどうしよう…
と思ったのですが、何も言われませんでした。
ビザを照会すれば分かるからかな?
Корсаков港待合室。
およそ国際フェリーターミナルとは思えません。
トイレ。
この右には小便器もあります。
開放的だな…
もう一つ驚くべきところは
このトイレが男女共用だという事でしょうか。
Корсаков港外観。
田舎の小さなスーパーみたいです。
という訳で遂に来ました、
Сахалин(サハリン、樺太)です!
僕の中ではいつか訪れたい国No.1だったロシア。
その地に遂に降り立ったのです!
街はめっちゃ寂れた雰囲気ですが。
船内で僕と同じ様な経路で来ていた人と意気投合し、
一緒に歩いてバスターミナルへ向かう事に。
街には廃墟が目立ちます。
ソ連崩壊以降、極東地区の衰退が激しいと聞きますが、
これは中々のものですね。
交差点にスーパーがあったので
お金を崩しがてら入ってみます。
おお、黒パンだ!
ロシアな感じですねー。
冷凍Пельмени(ペリメニ)なんかも売ってます。
日本製品も置かれています。
Сахалинだと流石に日本との関わりも深いですね。
車も殆ど右ハンドルだし。
旧・北海道拓殖銀行大泊支店。
戦前は札幌支店に次ぐ預金残高を誇っていたとか。
今は朽ち果てて見る影もありませんが、
未だに国立銀行の支店として使われているという噂が…
うーむ、何だか空気が悪いな。
自動車の排気性能と舗装の悪さ故でしょうか。
中国とはまた違った空気の悪さです。
中国は生臭い感じで、ロシアは酸っぱい感じ?
アパート。
中国とかなり似ているように思います。
共産主義スタイル?
日本の中古トラックが
日本時代の塗装を残したまま置かれていました。
噂には聞いた事があるけど、本当だったとは。
歩行者天国みたいな道に出ました。
道端でおばさんが野菜や花を売っています。
大広場。
広場があれば…
当然、レーニン像も鎮座しています。
ロシアである事が一発で証明出来る写真ですね。
やけに慎重な運転をしている車がいると思ったら、
助手席に教官が座っている教習車でした。
教習車は頭に”У”(←Учебная)が付いています。
そんなものが付いていなくても
運転の荒いロシアで交通法規を守っていれば丸分かりですが。
バスターミナルに着きました。
埃まみれのバスが1台停まっているだけですが。
115番バスに乗車。
前面だけ綺麗にしてあるのか…
運賃は前払いで、お釣りも出してくれました。
付け焼き刃のロシア語で会話出来てちょっと嬉しい。
ほんの数分走ると森に囲まれます。
かなり起伏があります。
湾に沈む夕陽を横目に走る。
綺麗だ…
運転手が横を見ながら走るくらい綺麗です。
あと、大量に戦車が置かれた場所があったりもしました。
Хомутово(ホムトヴォ)辺りで運転手の携帯電話に着信が。
運転しながら電話するのはまあ良いにしても、
ジェスチャーしてハンドルから手を離すのは止めて欲しい。
いや、電話の相手には見えないですよ。
あと、交差点でいきなりドアを開けて
隣の車の運転手と話し出したり。
ロシアは運転が荒い事で有名だから、
これくらいは許容範囲か…?
市街地に入ってきました。
19:14、Южно-Сахалинск
(ユジノサハリンスク、豊原)に到着。
Сахалин州の州都です。
バス停はЮжно-Сахалинск駅
(ユジノサハリンスク駅)のすぐ目の前です。
駅の横のホテルの1階のファストフード店で夕食。
店員さんは若いから英語も通じるのでは…
と思いきや、想像以上に英語が通じませんでした。
小銭が足りなくてお釣りが出せないから
もっと細かいお金で払ってくれ、
みたいな事をロシア語で言われて、
お互い身振り手振りで何とか乗り切れました。
店員さんが親切なだけ良かった。
飲み物の大きさに対してハンバーガーとポテトが小さい。
まあ、ロシア極東にハンバーガーがあるというその事自体
一昔前では絶対考えられなかった話だろうけど…
時間を潰してから駅に向かいます。
荷物検査を受ける…
と思いきや、一切何も検査されずに中へ。
警備員の人は日本語が話せました。
待合室。
中国の駅と比較するとかなり狭いです。
壁に描かれていた路線図。
実はこの一部は廃止になっていたりするのですが。
まあ、もし樺太が日本だったら
鉄道なんか一切残っていなかっただろうからな…
時刻表。
Ноглики(ノグリキ)行きが2本、
Томари(トマリ、泊居)行きが1本、
Быков(ブイコフ、内淵)行きが1本、
Ново-Деревенское
(ノヴァジェレヴェンスカヤ、奥鈴谷)行きが2本
(8:31発は平日のみ、7:55発は土日のみ。)の
計1日7本です。
22:30発1番列車Ноглики行きに乗車。
日本政府の公式見解では南樺太は所属未定との事なので、
公式にロシアに行ったと言えるよう北樺太に向かいます。
車内はこんな感じ。
Сахалин最高の列車だけあって高級感のある内装。
Сахалинは日本と同じ狭軌(1067mm)なので
そんなに広くはありません。
廊下には時刻表が貼ってあります。
通過時刻も書いてくれる親切振り。
ただ、残念ながら北緯50度線の通過時刻は書いてありません。
Победино(ポベジノ、古屯)とОнор(オノル)の間なので
6:00前後といったところのようです。
この注意書きは車両火災時に
出火車両をパージする手順?
乗客にも周知徹底するのは日本も見習うべきか否か…
ロシアなら乗客ごとパージし兼ねませんが。
ロシア鉄道名物Самовар(サモワール)。
いつでも熱々のお湯が手に入る湯沸かし器です。
中国国鉄の車両にもありましたね。
乗客はティーバック(ロシア人)や
カップ麺(日本人・中国人)を持ち込んむのが常。
ユーラシア大陸を長時間走る列車には必需品です。
22:30丁度、定刻通りに動き始めました。
出発後15分もするとこんな車窓に。
一切の光が見えない暗闇です。
流石は道北より更に未開のСахалин…
明日に備えて寝る事にします。
Спокойной ночи.
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