(無題)

試験用に地理の勉強をするのも後僅かか…
大学で講座をとったら話は別なのかも知れないけど。
中央ロシアについて勉強していたら、
何とも気になる路線が。
それがキーロフでシベリア鉄道から分岐し、
北極海にも程近いコミ共和国ヴォルクタへと通じる路線、
通称ペチョラ鉄道(Pechora railway)。
地理で習った知識から察するに、
ペチョラ炭田で採れる石炭の運搬用に作られた路線なのでしょう。
緯度的に世界最北端の鉄道はムルマンスクですが、
ムルマンスクは不凍港として栄えているため、
最果て感はこちらの方が数段上でしょう。
行ってみたいな…
帰られなくなりそうだけど。
で、ちょっと調べていたら更に目を引く情報が。

ロシアにある大陸横断鉄道。
皆さんはこう聞いて何を思い浮かべますか?
何よりもまず世界一有名なシベリア横断鉄道(Trans-Siberian Railway)。
少し鉄道に詳しい人、そして地理選択者なら
第2シベリア鉄道とも称される
バイカル=アムール鉄道(Baikal-Amur Mainline)、
通称バム鉄道も思い浮かぶでしょう。
実は、これだけではなかったのです。
過去のロシア(旧ソビエト連邦)では
「第3シベリア鉄道」とでも呼ぶべき代物が計画され、
実際に強制収容所の労働者によって建設されていた事をご存知でしょうか?
ヤマロ・ネネツ自治区のサレハルドと
クラスノヤルスク地方のイガルカを結ぶ1,609kmの鉄道、
その名も、サレハルド=イガルカ鉄道(Salekhard–Igarka Railway)、
別名、「極地横断鉄道(Transpolar Mainline)」。
かのスターリンが計画を推し進め、
悪名高きグラグによって強制労働施設が
サレハルド(501収容所)とイガルカ(503収容所)の両端に作られ、
政治犯などによって1947年から建設が行われました。
地図を見ても、名前からしても一目瞭然ですが、
極寒の中央シベリアでの作業は困難を極め、
徴用された30万人もの労働者立達の約3分の1は
飢えや寒さから命を落としました。
幅1.6kmのエニセイ川や幅2.3kmのオビ川を渡る橋の建設は
厳しい環境を抜きにしても相当に困難なものであり、
夏季は鉄道連絡船(渡し船)で、
冬季は凍結した川に直接レールを敷いて凌いでいたそうです。
日本の鉄道建設全盛期もそうでしたが、
甘い需要予測で建設が計画されたこの路線。
元々人口などゼロに等しい地域に
多大な犠牲を払ってまで鉄道を敷く価値などある筈もなく、
1953年のスターリンの死と同時に建設は凍結されました。
6年間で建設された699kmの路線は放棄され、
1,000億ドルにも上るとされる建設費は水泡に帰したのです。
英語版Wikipediaより。
BBC News – Joseph Stalin’s deadly railway to nowhere等より)

へー…
何をやるにしても、やはりロシアはスケールが違うな…
不謹慎ながら、もしこの鉄道が完成していたなら、
きっと世界屈指の秘境鉄道として名を馳せていた事でしょう。
乗ってみたかったな…
地理の勉強と英語の勉強が同時に出来て一石二鳥な一日でした。

コメント