(無題)

昨日の続きを投稿しました。
残念ながら久留里線ではありませんが…

以前、成岩入江橋梁の名前の由来を調べる為に
半田市誌という郷土資料の付属地図を見ていた際、
昭和41年(1966年)の地図があったのですが…
JR武豊線から分岐。
…ん?
何だこの支線は。
今こんなのあったっけ?
もしや…廃線か!?
半田市にも廃線があったのか!?
これは半田市民として調べざるを得ない!
という訳で、定期試験が終わったので実地調査してみました。

まずは図書館にて事前調査。
「武豊線物語 記録・写真集」によると、
2つの支線の内、北東側のものは半田臨港専用線、
南西側のものは瀧上工業専用線らしいです。
今回は主に半田臨港専用線を見ていきます。
半田臨港専用線、別名半田運送専用線は
大正15年(1926年)に開業した全長1.1kmの貨物線。
満州等から送られてきた肥料飼料等を輸送したそうです。

では、フィールドワークといきましょう。
うーん、台風の影響か不安定な天気だな。
急に土砂降りになったかと思うとすぐに晴れたり。
風も凄いし。
傘が折れ曲がってしまった。
その代わり、涼しいです。


土砂降り。
この10秒前まで全く雨が降っていなかったと信じられるだろうか。
しかも、20秒後には止みました。
1時間半の散歩で振っては止んでが計12回。
どうかしているな…


地図によればここが分岐点の筈だけど…
うーん、言われてみれば現役の武豊線の線路の向こうに
うっすらと線路があった跡が見えるような、見えないような…


武豊線の左側を並走していたらしいきど…
うーん、確かにそんなような空き地がある…だろうか。
良く分かりません。
次の踏切に向かいます。


あ!これは明らかに廃線跡だな。


どうやら生活道路として整備されたようです。
ただの生活道路にしては無駄に曲がっていますから、
これは廃線跡でしょう。


住宅地の中を抜けていきます。
廃止から37年を時を経て、
辺りは完全に再開発されました。
周りの家の新しさから考えてもここが廃線跡の筈です。
…どうしてこうしつこく繰り返すのかと言うと、
自分でも自信が無いからなのです。
正直、ここまで跡形も無くなっているとは思いませんでした。
日本油脂専用線くらい残っているかと…


道が途切れました。
砂利の中にバラストが混ざって…
…いないな。
本当にここで合っているんだよな…?


最後の望みを託して半田臨港専用線のヤードがあった
日本肥糧半田工場に向かいます。
…一応ここは一般人が入っても大丈夫だよな?


半田臨港専用線ヤード跡…と思しき場所。
草繁茂し過ぎワロタwww
ワロタ…
線路があったのかどうか全く確認出来ません。
ここまでレールや枕木は疎か、バラスト一石さえ見付かってないぞ!


フィールドワークとは何だったのか。
半田臨港専用線の廃止に代わって開業した
半田臨海鉄道を見上げながら思います。
時の流れとは恐ろしいものだ…


その時、「非電化なんだなー。」
と明らかに半田臨海鉄道を見て発したであろう言葉が。
振り向いてみると何やら鉄っぽい3人組が居ました。
その3人組を見ていると、林を撮影し出すではありませんか。
もしや…


あったー!
間違い無い、半田臨港専用線のレールだ!
こんな所に残されていたのか!
結果的にレールの在り処を教えてくれた訳だから、
3人組には感謝しないとな…
3人組は「知多娘とか廃線とか、来る価値あったなww」
とご満悦の様子で帰っていきました。
どうやら半田市は3人組のニーズに応えたようです。

という事で、鉄研フィールドワークでした。

おまけ

虹。
この1分後に土砂降りに遭ったのは言うに及ばない。

コメント

  1. sou16 より:

    萌えは世界を動かす。
    いや、半田市は世界を動かす(小並感)