(無題)

膝が一向に良くなりません。
うーん、何故だ…

今日は学校祭実行委員会の具体案についての
1年生向け議員説明会がありました。
文化祭実行委員会委員長のYRが
某教諭に難癖を付けられたりしていましたが、
討論会実行委員会については恙無く終わりました。
学校祭の幹部である以上は勿論、
討論会実行委員会の性質的にも、
自らの意見を主張なり説明なりする場面は
これから著しく増えていく事が予想される訳ですが、
どうなのだろう、僕は果たして自分の意見を
的確に分かり易く主張出来ているのだろうか?
顧みると、誰かの意見を受け売りしている事が殆どで、
自身独自の意見は滅多に無い様な気さえしてくる。
そう思いつつも、完全なるオリジナリティなど
人間には到底有り得ない事であって、
その思考の源を辿って行けば、
その本流、支流の源流の大部分は自身の外にあって、
結局はただ取るに足りないような支流の源泉のみが
自己の内側に存在し、その僅かな流れが個人の思考を
その個人独自のもの足らしめしているに過ぎない…
…しまった、自分で広げておいて収拾が付かなくなった。
主張の首尾一貫性というのも大切ですね。

コメント

  1. kuni より:

    それ、僕もよく思う。
    例えば、南京虐殺の殺害者数について述べよといわれたとする。
    この問いに答えることは不可能だ。だって、情報源をどこから得るかによって、またどの情報源がいちばん納得できたかによってしか判断できないから。
    ここに自分の思考をはさめる余地は一ミリも無い。

  2. kuni より:

    そりゃまったく根拠もない主張は別だけども(汗
    死者の数だって、ゼロとか、5万人とか、10万人とかいろいろ説はある。
    これに対して一般大衆が自分の意見を持てと言われても、無理じゃね?って話。
    意見を持ってるように見えるとしたら、それはたまたま情報源として仕入れた他人の主張に納得しただけであって、自分の意見ではない。

    この論理、おかしいかな?

  3. よしお より:

    遅くなってからのコメント。
    sou16の考えは限りなく仏教に近いな…

  4. sou16 より:

    俺は少なくともキリスト教やイスラム教みたいな一神教徒ではないからな。
    やっぱり、祖母とかの影響もあって仏教や神道的な思想を持っているとは思う。